
明治11年(1878)に、豊かな好奇心と行動力で日本各地を旅したイギリスの世界的な紀行作家イザベラ・バード。彼女が明治時代の新潟を旅した足跡を、地域に精通するまち歩きガイドの皆さんに案内していただくシリーズ後編は、新潟市~中条エリアを歩きます。彼女が新潟を訪れた理由も紹介しながら、当時の新潟の文化や街並みをたどります。
※本稿では、地理学者の金坂清則(かなさか きよのり)氏が翻訳と注釈を手掛けた、イザベラ・バードの著書『完訳 日本奥地紀行』(平凡社、原題:Unbeaten Tracks in Japan)を引用しています。以下、同書を『日本奥地紀行』と表記します。
「絵のように美しい」明治の新潟のまちを現代に重ねて
阿賀町津川(あがまちつがわ)から舟で新潟に入ったイザベラ・バードは、どのように過ごしていたのでしょうか。案内してくれたのは、新潟イザベラ・バード研究会代表の伊藤頼子(いとう よりこ)さんと、新潟シティガイド代表の小野塚昭美(おのづか あきみ)さんです。

前編にもご登場いただいた伊藤さん(写真右)と、「新潟文化物語」file-188でもガイドを務めた小野塚さん(写真左)。当時のバードと通訳の伊藤鶴吉(いとうつるきち)を思わせる衣装で、バードの方が背が高かったことを表現しています。
バードの著書『日本奥地紀行』によると、新潟で過ごした期間は、明治11年(1878)7月3日15時頃から、10日の早朝までです。なぜ彼女は旅先の一つに新潟を選んだのか。背景には、新潟に赴任していた英国教会伝道協会宣教師(せんきょうし)のファイソン氏と医療宣教師のパーム医師の活動について「学び知る」という目的がありました。
今回のまち歩きは、白山公園の前から新潟市役所につながる道からスタートします。ここにはかつて、一番堀と呼ばれる堀がありました。バードは新潟に着いて早々この堀沿い、現在の新潟市役所そばの噴水付近にあったファイソン氏の自宅を訪れ、旅の拠点としました。
「最初にファイソン氏を訪ねたことは分かっていますが、そもそも舟でどこに上陸したかは、いまだに謎なんです」(小野塚さん)

現在、新潟地方裁判所がある場所には、かつて米蔵がありました。現在も周辺には一番堀通町という地名が残っています。

一番堀通町から新潟大学医歯学総合病院方面へ向かうと、ファイソン氏ゆかりの新潟聖パウロ教会があります。教会には、ファイソン氏とバードを紹介する案内板が設置されています。
「バードが『この街の絵のような美しさは日本では非常に珍しいものである』と記し、挿絵にも描かれているのが、この辺りですね」と説明を受けたのは西堀通。バードはこのように新潟を高く評価していましたが、そこには意外な背景がありました。小野塚さんによると「実は新潟は彼女が訪れた2か月後の9月に明治天皇をお迎えすることになっていたので、まちは非常に美しく整備されていたんです」と、幸運な偶然も重なっていたようです。

『日本奥地紀行』の挿絵と現在の街並みを照らし合わせながら歩きます。随所で、バードになりきって原書の訳文を読み上げるなど、楽しさと学びが一体となった解説です。
西堀通から古町通、本町通へ出たら、新潟島の北東部に位置する、通称「しもまち」方面へ向かいます。

本町通にて。バードは書店の主人と気が合い、毎日のように店へ通って、新潟の文化や書物について学んでいたそうです。彼女はその場所を「本町」と記しました。しかし、これは本町通(ほんちょうどおり)ではなく、当時書店がいくつもあり、「本町(ほんまち)」と呼ばれていた古町通を指すのではないかと、お二人は推察しています。
本町通にある、パーム医師が開いた病院があったとされる付近を訪れ、そのそばにある薬局の存在に病院の名残を感じるなど、お二人の話を聞くうちに、まちの中には、明治時代の新潟の面影が数多く残されていることに気付きました。
そしてもうひとつ、しもまちにはバードと新潟の物語を知る上で大切な場所があります。
それが、まち歩きコミュニティ「路地連新潟」代表の野内隆裕(のうち たかひろ)さんが営むカフェ「日和山五合目」です。ここでは『日本奥地紀行』の原書が展示されているほか、閲覧できるバードの資料もずらり。心地よい空間の中で、時を忘れて明治への時間旅行を楽しめます。

ハンドドリップコーヒーや手作りのお菓子と共に、開放感あふれる日和山の風景や新潟の歴史に親しめる「日和山五合目」。

約1週間の滞在を終えたバードは、しもまちから舟で信濃川(しなのがわ)、通船川(つうせんがわ)、阿賀野川(あがのがわ)を渡ります。「船は棹(さお)を使いながら六時間の間苦労して進み、木崎に着いた」とその苦労を書いています。
同年9月には、明治天皇も北陸巡幸で木崎を通る新発田街道を進み、新崎村で小休憩、内島見で昼食休憩をとられました。木崎は新潟と新発田の中間に位置し、交通の要衝(ようしょう)として宿場町が栄えていました。

前編で参加した「イザベラ・バードが見た明治の新潟を歩く【沢海編】」では、通船川の水量を調整している山の下閘門排水機場(こうもんはいすいきじょう)を見学したほか(写真上)、木崎のまちも歩きました。木崎を案内していただいたのは、まち歩きガイドとして新潟市北区を拠点に活動する北宝隊(ほっぽうたい)の田辺修一(たなべ しゅういち)さん(写真下)。
バードは木崎で人力車に乗り換えて、胎内市中条(たいないしなかじょう)方面へ向かいます。

写真は明治33年(1900)の木崎宿です。バードが通過した当時に近い、宿場町の様子を伝える写真です。
イギリスでは高級品?遊び心あふれる料亭のおもてなし
中条では、新潟イザベラ・バード研究会が主催するバードの足跡(そくせき)をたどる企画の一つ「イザベラ・バードが見た明治の新潟を歩く【中条編】」に参加させていただきました。
ガイド役を務めるのは、胎内市でまち歩きガイドをしている路地連胎内の先川幸宏(さきかわ ゆきひろ)さんです。先川さんによると、「バードはここから少し離れた築地(ついじ)という地域で木崎から乗ってきた人力車から、別の人力車に乗り換え、築地街道を通って中条を通過したのではないかと思います」とのこと。

古地図と見比べながら案内する先川さん。「イザベラ・バードが見た明治の新潟を歩く」シリーズはゆかりのある5つのエリアで実施されています(令和8年(2026)現在)。
パーム医師にゆかりのある中条教会では、牧師の金子智(さとし)さんがバードとパーム医師、そして中条教会の関わりを紹介してくださいました。

中条教会。パーム医師は新潟から毎月中条へ通い、医療伝道活動を行なっていました。
「パーム先生は、明治10年(1877)1月2日に初めて中条を訪れ、診療を行って多くの人々の支持を集めました。集まった人々にイエス様の話をするようになり、それが中条教会の前身となりました。バードは新潟から中条へ向かう途中で、中条から新潟へ移動するパーム先生の人力車とすれ違ったと『日本奥地紀行』に書き記しています」(金子牧師)

ユーモラスな考察も交えながら、当時のエピソードを語る金子牧師。
中条教会を後にした私たちは、再び中条のまちへ。高低差のある中条の地形や個性的なお祭り、明治の道路状況など、時にはクイズに参加者みんなで頭をひねりながら、地域を楽しく学びます。

中条の商家「荒惣(あらそう)」を見学しました。文政7年(1824)創業で、現在はパソコンや複合機などの事務用機器を扱っています。

黒い壁に白い格子状の模様が入った「なまこ壁」の土蔵が点在する中条のまち。なまこ壁模様のTシャツを着た先川さんが壁に同化する「消えるガイド」もこの企画の見どころ。
行程には、バードが目にしたであろうスポットもあります。その一つである室町時代に開かれた大輪寺(だいりんじ)では、総門(そうもん)と、大きな鐘をつるす鐘楼堂(しょうろうどう)が、バードが訪れた当時から残っています。

大輪寺総門。バードを乗せた人力車はこの前を通ったと考えられます。

彫刻が見事な大輪寺の鐘楼堂。
そして「イザベラ・バードが見た明治の新潟を歩く【中条編】」ならではのお楽しみが。老舗料亭(しにせりょうてい)南都屋(なんとや)でいただくランチです。大きなお弁当の蓋を開けると、参加者の目に飛び込んできたのは、なんと1本のきゅうり。実はこれがバードを語る上で欠かせないメニューなのです。
「新潟や中条の次に訪れる黒川で、どんなにお腹いっぱいきゅうりを食べたかをバードは『日本奥地紀行』に書いています。たくさん食べさせられたことへの呆れた皮肉なのか、本心なのか、というのも、当時のイギリスではきゅうりは高級品だったんです」と伊藤さん。

きゅうりのほかにもバードが木崎~築地間にある砂丘地の畑で目にした野菜をふんだんに使った料理や、中条の郷土料理・地鶏の旨煮など、本企画ならではの特別メニュー。
参加者は20代から中高年の方まで幅広く、1人で参加した方や、県外から訪れた方もいらっしゃいました。バードという共通の話題があるからか、食事をしながら「どうしてバードに興味を持ったのか」など、自然と会話が弾みました。

ランチ会場のお座敷の一角に設けられたバード関連の資料コーナー。写真手前は、当時バードが使用した『ブラントンの地図』を、金坂氏が復刻に尽力したもの(金坂氏寄贈)。バードや鶴吉のお面が並ぶ遊び心も。
バードはここ中条を7月10日に通過して胎内市のもう1つの宿場町・黒川へ向かい1泊し、その後山形方面に峠を抜けていきました。
明治の新潟を今に伝え、人を結ぶ。今もなお輝くバードの軌跡
今回の取材では前後編にわたり、新潟県内各地に足を運びました。『日本奥地紀行』を手に、まち歩きガイドの皆さんの案内で、バードが巡った明治時代の新潟を楽しく、深く体感することができました。
新潟を案内してくださった小野塚さんは「新潟での天気は良くなかったそうですが、それでも精力的に新潟のまちを歩いて、詳細に書き残してくれたおかげで、今を生きる私たちも明治初期の新潟の様子を知ることができるんです」と、彼女の功績をたたえます。

まさに、彼女の旅をたどる道しるべとなった『日本奥地紀行』には、新潟の生活様式や物流、季節による変化、宗教、建築、都市設計、文学、生活用品、薬、市場、植物の生態など、多彩な内容が記されています。値切り方にまで触れているほどです。伊藤さんも、「バードさんの好奇心と観察力、それを言葉にする力はすごいです」と驚きます。
当時、欧米にはまだ詳しく知られていなかった日本の地方の暮らしや、新潟の姿を記録し、書籍にまとめ世界に広めたイザベラ・バード。『日本奥地紀行』はベストセラーになり、日本の評判が上がり、来日する外国人も増えました。現代でいえば、イザベラは明治時代の「インフルエンサー」のような存在だったのかもしれません。
今回の取材では、バードが残した明治時代の新潟や日本に関する記録に加え、もう1つ大切なものを感じました。それは、バードを共通の話題として生まれる、人々のつながりです。

地域を超えたまち歩きガイドの方々の交流が生まれており、ガイドの皆さんは所属やエリアが違っても息がぴったり!
前編で案内していただいた津川の薄(うすき)さんは「各地にあるまち歩きの団体の中には、バードがきっかけでつながった人たちもいます」と話し、伊藤さんも「新潟イザベラ・バード研究会は、地域や団体の垣根を越えてガイド同士がつながれないかと考え、ワークショップを開いたことをきっかけに発足しました。まちの歴史を学び、当時の人々が感じていた魅力を現代の視点でもう一度見直すと、今も残る魅力に気付くことができます。そうした話をしながら、地域を越えて交流できるようになったことが、一番良かったと思います」と語ります。

バード関連以外にも、明治の新潟の基盤を作った人たち、大河ドラマに出てくる新潟、老舗の銘菓の豆知識、柳の意外な生態、寺町としての歴史など、たくさんのお話を教えていただきました。
バード来日から、まもなく150年を迎えますが、まだまだバードを巡る活動は大きな可能性を秘めているようです。
「新潟県内各地のバードゆかりの地に、印となる看板などを設置できたらいいですよね。そして、全国のバードファンや、いつかはバードの母国・イギリスの方々にも、足を運んでもらえたらうれしいです」と伊藤さんは展望を語ります。

『日本奥地紀行』の原書は、前編で水上バスの下船場所にもなった「新潟市歴史博物館 みなとぴあ」の常設展でも見ることができます。
新潟県には、イギリスから訪れたイザベラ・バードが関心を寄せ、称賛した歴史や文化があります。そして今も、それらを生き生きと語り継ぎ、研究を深めている人たちがいます。『日本奥地紀行』とその貴重な原書を活用しながら、地域を越えて交流を広げていることも、全国的に珍しい取組です。バードの足跡を通して、新潟の魅力を一緒に楽しく探ってみませんか。
取材協力