file-101 「佐渡金銀山の町」相川の夏祭り(前編)
金の島の夏祭り~人々の暮らしに根づく金銀山
平安時代末に書かれた「今昔物語集」に登場して以来、『金の島』として知られてきた佐渡。産出された金銀は、江戸時代には幕府の財政を、明治時代には日本の近代化を支えました。その繁栄の歴史を伝える遺跡や文献資料を残そうと、世界遺産登録に向けての活動が全島で大きな盛り上がりを見せています。金銀山の町・相川では、史跡や江戸時代の風情を残す町並みを活かした祭りを開催。新旧ふたつの夏祭りのなかに、金銀山の面影をたどります。
江戸時代と変わらない調べ
慶長3年(1601)に金銀脈が発見され、相川金山が始まったとされる「道遊の割戸(どうゆうのわれと)」。山を割るほどの掘削に、金への執念が感じられる。
「世界遺産候補になったことは、佐渡にとって大きな誇り。本登録まで、官民が協力して活動を続けていきます」/野口さん
佐渡の北西海岸に沿って長く延びる相川エリア。大佐渡山地が海岸近くまで迫り、平野部分は決して多くはありません。しかし、江戸時代には奉行所が置かれ、人口は5万人を数えるなど、佐渡の中心として繁栄しました。その理由は『金』。相川は佐渡金山の鉱山都市として、平成元年の操業停止までの400年間に、80トンの金、2300トンの銀を産出しました。
「慶長6年(1601)の金山開山で、一気に島外から人が集まったようです。金山で働くのはすべて罪人と思われがちですが、専門技術を持つ職人、一般の労働者も多く、高賃金を求めて北陸を中心に労働者が渡ってきたんですよ。集まりすぎて、一時、越後や加賀からの渡航を禁止したという記録もあります」と、佐渡市世界遺産推進課・野口敏樹さんは、繁栄のスピードを語ります。
有形民俗文化財「相川音頭絵馬」。縦横約100㎝の杉寄板に、仮装して踊る人々を彩色で描き、美術的な価値も高い絵馬。/相川郷土博物館にて展示
「史跡や自然の保全も世界遺産登録に向けて重要です。みなさんの理解と協力をいただけるよう努力していきます」/滝川さん
城下町とは異なる鉱山都市の自由な雰囲気、金銀山に集まってきた人々の賑わいを背景に、相川では町人文化が発達しました。盆踊りもその一つです。17世紀半ばには、奉行所の門前で盆踊りが行われたとの記事が『異本佐渡年代記(いほんさどねんだいき)』に記載されています。(「佐渡相川郷土史事典」による)
また、文政4年(1821)に塩竃神社(しおがまじんじゃ)に奉納された「相川音頭絵馬」には、仮装した踊り手たちが円陣を作って踊っている風景が描かれ、この当時の相川の盆踊りの様子がうかがえます。
「面やかぶり物を付けているのではっきりわかりませんが、武士風、家来の奴っこ風、尼さん風などの人々が、階級にとらわれずに集まり踊っています。当時の風俗を知る、貴重な資料だと思います」と、現在では、相川郷土博物館に収蔵されている絵馬について、佐渡市教育委員会・佐渡学センターの滝川邦彦さんが説明してくれました。
相川音頭は、どこかもの悲しく、ゆったりとした調べに、七・七音の歌詞が続く、流麗な民謡です。古くは、実際に佐渡で起こった心中事件を題材にした恋物語の歌詞でしたが、奉行の前で披露するにあたり、江戸時代には重罪であった心中を歌うのはふさわしくないと、勇ましい軍記物や時代物の歌詞に変えられました。また、踊るときに奉行に顔を見せるのは失礼だと、笠をかぶって素顔を隠しました。相川音頭が、またの名を御前踊り(奉行の前で踊ること)と呼ばれる由縁です。
現在も、相川音頭は源平の合戦の歌詞で歌われ、編み笠をかぶって踊られます。かつて佐渡奉行のためにアレンジされた形が、平成までそのままの形で伝わり、人々に継承されている……相川は、今も確かに金銀山の町なのです。
金銀山の町に生まれた平成の祭り
相川の町並みが夕景に沈み始める頃、鐘の音が相川に響きます。正徳3年(1713)に佐渡産出の銅で鋳造された鐘が、今も毎日、朝夕の時刻を知らせているのです。ある夜、三味線や鼓の伴奏に乗せて相川音頭が始まりました。やがて、グループごとにそろいの浴衣を着た踊り手たちがしなやかに舞い、その行列がゆっくりと進み始めました。1年に一度、6月初旬に開催される「宵乃舞」のスタートです。
国指定史跡「佐渡奉行所」。奉行所内に、役所・奉行の住居・金銀の製錬工場を持つ、独特の造りが特徴。/平成13年(2013)復元
「宵乃舞」は、平成14年(2002)に始まった、相川の新しい踊りのイベントです。平成6年(1994年)、相川の文化財7カ所が国指定文化財となり、平成13年(2001)に奉行所が復元されたことをきっかけに、そうした文化財をどう活かしていくかを考えて、旧相川町役場観光課と地域の人々が力を合わせて一から創りあげました。
北野神社から奉行所まで、約900mの京町通りを約500名の踊り手が相川音頭を踊り流す「宵乃舞」。2016年に15回目を迎えた。
「当時の観光課長はプロ級の民謡の歌い手。地元の民謡、相川音頭の魅力に着目して、文化財や町並みを生かすイベントを立ち上げたんです」と、宵乃舞実行委員会会長・小林祐玄さん。江戸時代の風情を残す町で、江戸時代に作られた歌と踊りを、地域の人々が踊る……哀調を帯びた相川音頭の雰囲気に合わせ、時間帯は夜にしました。
会場は、江戸時代には金山から奉行所へ金を運ぶ『金の道』であり、両側には京都から仕入れた反物などを扱う呉服屋が並んでいた京町通り。今も板塀の家が続き、当時の雰囲気を残しています。車一台がやっとという細い道には、この夜、約300本のぼんぼりが並べられ、踊り手と演奏者をほんのりと照らします。ゆるやかな坂道を編み笠の行列が進む様子は、まるで昔話のワンシーンのよう。幻想的な光景に魅せられて、観客は毎年増え続け、15回目の今年は、6,000名を超えました。踊り手も22団体で約500名と最高数を更新。首都圏から参加する佐渡出身者の会もありました。
実行委員会のメンバーは、市観光振興課のほか、町内会、商工会や観光協会、民謡協会など幅広く、「運営には延べ300名以上のボランティアが参加しています。でも、実行委員会に入っていなくても『草刈りをしておくね』『ぼんぼりの点火や消火は任せて』など声をかけてくれる人もいて、このイベントへの思いや期待を感じますよ。新しい祭りになったなと実感します」と、小林さんは手ごたえを感じています。
小林さんは、次代を担う子どもへの働きかけも行っています。民謡保存団体・立浪会(たつなみかい)の協力を得て、相川小学校で相川音頭の踊りと地方(じかた 歌と楽器演奏)を教え、「宵乃舞」では大人が踊る前に、子どもだけの流しをしました。「こうした経験が郷土への関心や愛着につながって、文化を受け継いでいってくれたら。大切なのは、人の心。人が動いて、頑張って、つないでいくのだと思っています」
後編では、相川最大の夏祭り「鉱山祭」で踊られてきた「佐渡おけさ」と、金銀山のかかわりをひもときます。
■ 取材協力
相川郷土博物館
野口敏樹さん/佐渡市世界遺産推進課 文化財室 室長
滝川邦彦さん/佐渡市教育委員会 社会教育課 佐渡学センター 文化学芸係 主任
小林祐玄さん/宵乃舞実行委員会 会長
■ 参考文献
佐渡相川郷土史事典/2002年 相川町