file-152 阿賀野川スイーツライン探訪記【新潟市編】(前編)
新潟湊がにぎわった時代を歴史に持つ老舗たち
阿賀町・五泉市・阿賀野市の銘菓を取り上げたfile-143に続き、新潟市編として「第34回国民文化祭・にいがた2019」開催時に、お菓子の開発・販売にご協力いただいた4店舗をご紹介。新潟銘菓という切り口から、新潟市内の魅力を掘り下げていきます。
笹川餅屋〜明治時代から変わらない佇まい
新潟名物『笹団子』のお土産化に貢献!
関東からの90代の旅行者に「ここは昔から変わらないね」と言われたことも。顔の分かる農家から仕入れた上質なこがね米を石臼でひき、杵でついた腰の強いお餅には多くのファンがいる。
同店の笹団子がそのままかき氷になった『笹団氷(ささだんごおり)』。笹川さんが大切にする〝笹の香り〟がしっかり感じられるシロップで、白玉は笹団子に使うよもぎ入り。
西堀通と鍛冶小路が交わる十字路に明治期から立つ笹川餅屋。変化するまちなかにあっても変わらずに、市民や旅人のランドマークになっています。江戸時代は新潟奉行所が近くにあり、「ここは牢屋だったようです」と言うのは6代目店主の笹川太朗さん。
今では代表的な新潟土産となった笹団子ですが、きっかけは昭和39年(1964)開催の新潟国体でした。当時の4代目店主(太朗さんの祖父)が新潟市土産品協会の理事であり、行政から「新潟土産を作ってほしい」と依頼され、笹団子を提案。それまでは家庭で手作りして食べるもので、誰もお土産にするという発想がなかったのです。日持ちもしなかったので4代目店主が改良に尽力し、賛同してくれたお菓子屋さんと〝笹団子作りの情報を共有〟。そんなチームワークからお土産としての啓蒙や生産体制が整い、笹団子は国体関係者からの口コミで全国へ広がりました。
「こだわりは、材料と発売時から変わらない製法。時間とともに硬くなる昔ながらの笹団子です。笹の香りとともに笹団子の歴史をお楽しみください」と太朗さん。
美豆伎庵 金巻屋〜白山神社の門前町〝カミフル〟から
北前船を模したパッケージ『舟づと』に込めて
北前船の模型と「和菓子とはすなわち〝我が師〟」と言う金巻さん。湊の風を受けて育った同店の自由な発想、壁のない交流から、新しい時代に応じた和菓子が誕生している。
『舟づと』は食べやすい一口サイズ。今年から夏バージョンが登場予定。店内に設けた「門前茶屋みずきあん」は、若い人と和菓子との接点となりスイーツ女子&男子が増えている。
金巻屋が現在の場所にオープンしたのは、新潟湊が開港した2年後(1871)のこと。大河津分水の完成時には祝菓子を納め、2代目店主が全国菓子大博覧会を誘致するなど新潟とともに歩んできました。人気の古町芸妓たちも甘いお菓子を求めてお忍びで通ってきたそうです。
『舟づと』は、北前船で栄えた新潟を4代目店主の金巻栄作さんが表現した和菓子。新潟市の名産品「黒埼茶豆」を練り込んだ餡は、枝豆の風味を残しつつ口の中で溶ける甘さにするために苦心しました。表面にはエゴマをまぶし、全ての素材が調和した絶妙なおいしさに仕上がっています。北前船を模したパッケージの絵画は、新潟湊隆盛時に日和浜で茶屋をしていた人が描いたそう。新潟市で最も古い校歌(湊小学校)にも「百船千船 うかべつつ 流れ ゆたけき 信濃川」とあります。「舟づとの〝づと〟とはお土産の意味。にぎわった湊の景色を想像しながら、みなさんで楽しく食べていただきたい」と金巻さん。
童心菓匠 丸屋本店〜古町の老舗として
まちへの想いを込めた『みなと浪漫』
高い専門性を持つ和菓子職人と洋菓子職人がおり、ひとつの店に和菓子店と洋菓子店があるイメージ。「ファーマーズスイーツ」を創造し、新潟の農産物を積極的に活用している。
コロナ禍で高齢者が外出しにくいことから市内全域に配達する「工場直送便」を開始。お届けの際に電灯の付け替えなど簡単なお手伝いもする、いわゆる昔の御用聞き。地域への恩返しでもある。
北前船の寄港地となり、明治時代には人口が全国1位となるまで栄えた新潟県。なかでも古町は、祇園(京都)、新橋(東京)と並ぶ三大花街として活気づいていました。その古町十字路近くに明治11年(1878)から店を構える丸屋本店は、その隆盛とともに育ってきた老舗です。
北前船で栄えたまちを再び活気づけたい、力になりたいと考案したのが『みなと浪漫』。伝統的なフランス菓子であるフロランタンをもとに作られ、北海道バターと新鮮な採れたて地卵の生地に、香ばしさを損なわないよう作る直前に自社工場で砕くアーモンドを使ったプラリネをのせて焼き上げています。半分はこだわりのチョコレートでコーティングされており、チョコレート部分を下にすると、夕日が日本海に沈んでいるように見えます。美しい夕日や湊をテーマに新潟の発展を願う……そんな思いが丁寧なお菓子作りに込められているのです。
百花園〜老舗にあぐらをかかず新風を
次期5代目店主の若い感性から生まれた『にいがた季寄せ』
見た目も美しい『にいがた季寄せ』。羊羹の水分が最中種にしみ込んでしっとりとした舌触り。最中種と羊羹が一体となり四季のおいしさを引き出している。
パティシエを目指す若者は多くいるが、和菓子職人は減っており、「だからこそ興味を持ってもらい和菓子職人に憧れる人が増えてほしい」と太田さん。
東中通と営所通の十字路にある百花園。創業した明治15年(1882)は、まだ柾谷小路が西堀で行き止まり、東中通につながっていない頃でした。そんな老舗で頑張るのは次期5代目店主となる専務の太田新太郎さん。「常に新しいものを取り入れて和菓子文化の底上げをしたい、若い人たちにもっと和菓子を食べてほしい」との思いから『にいがた季寄せ』が生まれました。洋菓子のマカロンを意識した可愛い色合いと、手に持っても汚れにくく、歩きながら食べられる気軽さが魅力です。新潟を代表する4つの農産物(越後姫、新潟茶豆、おけさ柿、ルレクチェ)と白餡で羊羹を作り、最中種ではさんでいます。全種類を1度に食べると、新潟の四季をまるごと感じられると大好評。
和菓子製造一級技能士である太田さんは、30代で「婦人画報のお取り寄せアワード2020和菓子部門賞」を獲得。有名人もはまっている『生キャラメルの羊羹』の生みの親でもあります。
掲載日:2022/2/7
■ 取材協力
笹川太朗さん/有限会社 笹川餅屋 6代目店主
金巻栄作さん/美豆伎庵 金巻屋 4代目店主
本間彊さん/童心菓匠 丸屋本店 代表取締役会長
太田新太郎さん/株式会社 百花園 専務(次期5代目店主)
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