7月某日、いよいよ粟島に向けて出発!粟島は初体験。まるごと粟島を体験してきま〜す。 岩船港から約35km、高速双胴船で約55分、普通船フェリーでも90分ほどで着いちゃう、意外と近い島なんです。
粟島に到着。そして島に初上陸。
粟島は、雄大な大自然と穏やかな時間に包まれた周囲約23km、面積約10平方kmの小さな島です。 「どんな出来事が待っているのだろう」とワクワクしつつ、最初の体験「まちあるき」の準備をしていると、そこへ島民ガイドの本保次世さんが迎えに来てくれました。宿に荷物を預け、「まちあるき」出発の場所、粟島浦村資料館へ向かいます。
最初の体験「まちあるき」
粟島の集落(内浦地区)を島民ガイドと一緒に散策し、ディープな島の暮らしを体感します。
「粟島のイメージはどうですか?」
島民ガイドの本保さんいわく「粟島を一言で言えば信仰の厚い島。昔から神様をとても大切にしてきました」…小さな島のいたるところに神社や神様が祀られており、離島と言う厳しい自然環境の中で、神様や仏様が、心の安らぎを与えてくれる唯一のものだったからと、話してくれました。
最初に「板碑(いたび)」を案内していただきました。
粟島には、142基の板碑があるそうです。昭和52年に老人クラブが結成されたときに、当時の会員の方々の手により地中に埋まっていた板碑が掘り起こされ整備されたそうです。
昭和55年4月に金箔を施した「釈迦三尊板碑」が出土され、村人の関心が高まり保存活動が進み、現在のような形に整備されました。これらの板碑は鎌倉時代、南北朝初期の時代に建立されたものと言われ、全国的にも最古と考えられています。
粟島に板碑が造られた背景には、遊行僧(ゆぎょうそう)によって死後の霊魂は、海の彼方の西方浄土へ旅立ち、仏陀のいる極楽浄土で再び生まれ変わるという中世の宗教観があるそうです。そのために黄金色の夕日の中に浮かぶ粟島が、その極楽浄土への入り口とみなされ、一時期集中的に板碑が造られたといわれています。
次に、島に伝わり大切にされている観音様を案内していただきました。
「やす突観音」
釜谷の六造さん(亀太郎と言う説もある)という人が魚とりに行った時、今の仏崎の沖に光明が射し、海の底を見ると異様なものが波の揺らめきに垣間見られたので「よいものならひとやす、悪いものならふたやす」と言って力いっぱい突いたら、観音様が浮き上がってきました。その観音様をここに安置しています。
ここからは、内浦地区にある様々な神様を案内していただきました。
「粟島様」
治郎作さんの私神として屋敷内に祠(ほこら)があります。その昔霊験あらたかな石がありましたが、その石を酒田の鉄門海上人(僧侶)が、酒田に持っていき海向寺に安置しました。それから、治郎作さんの家では、病人が次々に出るなどしたので、海向寺から届いた御礼と代わりの霊石3個を安置し、粟島様として祀られているとのことです。
「風の三郎様」
看板には強風を治めて、海上の航海安全を祈願するための神様と書かれていますが、もう一説あるとのことです。
村に風邪が流行すると、村人は萱で作った船を担いで「風の神送れよう」と唱えて村を回り、村人は小豆飯や魚、こんぶを船にしばり、村を回り終わるとその船を海に流して、風邪が流行しないように祈りました。 島には医者がいないことから、神様に祈るしかなかったのかもしれません。
「薬師様」
目の神様を祀っています。昔は医療が不便だったため(無医村)、神様に無病息災を祈ったとのことです。
「乳入り観音」
女性が赤ちゃんを産んだ後に、お乳がたくさん出るようにと、お参りをします。布で乳首の形をしたものを12個作り、それをしゃもじにつけて一緒にお供えをします。そして、前に供えられていたしゃもじをもらってきて、それでご飯を食べるとお乳が出るようになると、ご婦人からの信仰を集めています。
「水神様(水明様)」
水の神様。天照大神を祀っています。新潟地震の際はここの竹やぶに避難したそうです。頼るべきはやはり「神様」ですね。
「山の神様」
作物が良くできるようにお祀りしています。
「火の神様(古峯神社)」
粟島はかつて大火が何回もあり、毎日当番が夜回りをして火の用心を呼びかけてきました。
古峰様は火の神をまつる神様として、住民の信仰心は厚いそうです。
「八所神社」
大和朝廷の守護神、八人の神様を祀っています。花角知事が選挙の時、いの一番に必勝祈願をした神社だそうです。
「弁天様」
海の神様を祀っています。村の有形文化財となっています。
弁天様が祭られている岩は、新潟地震前までは海に囲まれていましたが、内浦側が2メートルも隆起したために、現在では陸続きになりました。弁天松は、樹齢300年以上と言われています。
「庚申塔」
集落の入り口にあり、江戸時代に全国に広まった庚申(こうしん)信仰の所産。人間の体内にいるサンシチュウという虫が庚申の日の夜、人間が寝ている間に人間の悪事を神様(天帝)に報告しに行くといわれているので、それを避けるために、庚申の日の夜は寝ないで天帝や猿田彦や青面金剛を祭り、勤行したり宴会したりする風習があります。
このように、粟島では、昔から神様をとても大切にしてきました。現在では、科学や医療の進歩、島民の高齢化もあり、文化・風習の伝承が廃れかけてきているのが現実だそうです。
まちあるきの後は、観光船『シーバード』に乗って、海から粟島を一周体験します。
粟島は昭和39年の新潟地震の震源地に近く、島全体が隆起したり、形が変わったりした西海岸の奇岩や島などを間近に見ることができます。この日は夏休み前の平日だったこともあり、なんと貸切状態で出航!
一日目最後の体験は「わっぱ煮作り体験」
今回の集合場所、内浦海水浴場までは、粟島浦村資料館から歩いて移動します。
あわしま自然体験学校の松浦さんと牧井さんが出迎えてくれました。 挨拶を終えると、牧井さんが「持ってますね!」と一言。??
実は、ケミカル⇄リアクションさんがプロモーションビデオの撮影で来島中で、わっぱ煮体験を一緒にすることになったのです。ケミカル⇄リアクションさんは、「新潟文化物語」file-103 新潟から元気を発信!~にいがた・ローカルアイドルの可能性(前編)に登場していただいた、新潟を拠点として活動しているアイドルグループです。
「新潟文化物語」が縁となり、快く取材協力を受けていただきました。
昔から漁師飯として食べられている「わっぱ煮」は、ごはんと味噌を入れたわっぱ(お弁当箱)の蓋の方を使い、そこにへ焼いた魚と持参した味噌をいれてお湯を注ぎ、真っ赤に焼いた石を落として、一気に煮立ったところへネギを加えただけの豪快な漁師料理です。
この日、お世話になる宿には合計5名が宿泊。食事も大広間で一緒に食べます。
民宿ならではの交流、みんなで食べるから美味しさも倍増。美味しい料理と共に話しの輪が広がりました。
滞在2日目、粟島体験のメインイベント「自転車での島一周」に挑戦!
まずは観光案内所でレンタサイクルを手配します。アシストなしとアシスト付きがありますが、係の人の助言から、道はアップダウンが激しいので電動アシスト付きを選択しました。
10:50、釜谷地区に到着。
ここで自転車を降りて、地区に祀られている「六所神社」へ参拝します。道路から約30段、中間にある手すりから鳥居まで約70段、そして鳥居から約80段の石段を登ると神社に到着です。
観光コースの案内図を見ると、階段や砂利道が続く往復約1kmのコース。この日の高温とここまでの疲労を考え中止しました。日陰を求めて再出発しましたが、どこにも日陰が見当たりません。
立ちはだかるように「上り坂500m」の看板が。この坂だけは電動アシスト付きでも難関の坂でした。
東屋がある展望台「矢ヶ鼻」に到着。水分補給をしてしばし日陰で休憩。時刻は12:00を回っていました。
12:45、ゴ〜〜ル!
内浦港に戻ってきました。
景色を見たり、休憩を入れながら約4時間の自転車での島一周サイクリング。疲れもありますが、島を征服したような達成感と心地よい充実感を感じることができました。
※レンタサイクルの料金は、自転車の種類、超過時間等により変動します。
13:00、「カフェそそど」で、ほっこり美味しいスローフードランチをいただきました。
14:00、「漁火温泉おと姫の湯」でサイクリングの汗を流し、心身ともにサッパリ。疲れた体をクールダウンし、帰り支度を始めます。
帰りは「普通船フェリーあわしま」に乗船。16:30に出航です。
とても楽しく、いろいろな体験ができた2日間の「粟島まるごと体験」が終了。
今回は、粟島のトップシーズンを体験しましたが、オールシーズン楽しめる島のようです。
今度は秋に訪問してみたいです。
奥が深く、人情も深い。そして、海の幸に大満足した粟島での体験でした。
体験等の詳しいお問い合わせ先は
粟島観光案内所 0254-55-2146
あわしま自然体験学校 070-1044-0777 まで
おすすめサイト
【新潟のつかいかた】「ほんとに何もない?粟島旅」
粟島に関する情報はこちらもご覧ください。
粟島浦村ホームページ
粟島観光協会ホームページ
取材協力:
島民ガイド 本保次世さん
あわしま自然体験学校 松浦清さん、牧井貴子さん
ケミカル⇄リアクション
粟島観光案内所
カフェそそど