第45回 佐渡・宿根木の文化に触れる~船大工が築き上げた1ヘクタールの町並みと文化の集積地~前編

 佐渡の南西部に位置する「宿根木(しゅくねぎ)」地区。
 わずか1ヘクタールほどのこの小さな集落は、江戸時代中頃から明治時代にかけて、日本海を舞台とする廻船業の基地、または北前船の寄港地として発展し、かつては佐渡の富の三分の一を集めたといわれるほど栄えました。船大工をはじめ造船技術者が密集して居住したその町並みには、かつての栄光とその後の衰退の様子が残されています。
 独特の文化で築き上げられた宿根木の町並みと、北前船によって全国各地からもたらさられた文化の集積地を体験してきました。

 まず訪れたのは佐渡国小木民俗博物館。今回はまち歩きガイドをお願いし、博物館で待ち合わせ。
 ガイドは佐渡小木ふれあいガイドの有田孝志さん。有田さんの案内で博物館に隣接する展示館から見ていくことにしました。

佐渡小木ふれあいガイドの有田孝志さん柔らかい語り口で説明してくれました

佐渡小木ふれあいガイドの有田孝志さん
柔らかい語り口で説明してくれました

 この展示館では、実物大の千石船「白山丸」を公開しています。
 安政5年(1858)に宿根木で建造された「幸栄丸」を当時の板図(設計図)をもとに復元したもので船内の様子や船からのスケールを体感することができます。

千石船
木造の和船。米1,000石ほどを積める船で、弁財船ともいう。
江戸時代の日本の商船のほとんどを占めていた。

 

千石船展示館の外観外観からでもどれだけ大きなものが展示されているのかがわかります

千石船展示館の外観
外観からでもどれだけ大きなものが展示されているのかがわかります

復元された実物大の千石船「白山丸」間近で見ると圧巻の大きさです

復元された実物大の千石船「白山丸」
間近で見ると圧巻の大きさです

白山丸を展示館の2階部分から見た光景大きさもさることながら、その美しい船型にも驚かされます

白山丸を展示館の2階部分から見た光景
大きさもさることながら、その美しい船型にも驚かされます

巨大な舵のある船尾からの光景

巨大な舵のある船尾からの光景

 これだけ大きな船体にもかかわらず、その板図(設計図)はほとんどが、側面図と2ヶ所ほどの断面の構造図を書き入れただけのもので、この1枚の板図をもとに、船大工たちは船を造り上げていったといいます。
 安政5年(1858)に造られた「幸栄丸」の板図は、側面図と断面図に加え、平面図もセットで残されており、非常に貴重な資料として展示されています。

こちらが幸栄丸の板図たったこれだけの設計図で船大工たちは船を造り上げていきました

こちらが幸栄丸の板図
たったこれだけの設計図で船大工たちは船を造り上げていきました

白山丸が復元される様子も写真で残されていました

白山丸が復元される様子も写真で残されていました

千石船の艤装の説明図大きな帆を立てて航海していました

千石船の艤装の説明図
大きな帆を立てて航海していました

 復元された白山丸のサイズは、全長23.75m、最大幅7.24m、艫高6.61m、積石数512石積(約77t積)、船の重さ50t(製作時)。これだけ大きな船体のため、港に入る際には舵を引き上げていたといいます。水深が浅い当時の港に出入りする際に舵が壊れたり、船体が傾いたりしないようにするための工夫です。

引き上げ式の舵港に入る際にはこの大きな舵を引き上げていました

引き上げ式の舵
港に入る際にはこの大きな舵を引き上げていました

 江戸時代において、千石船は隆盛を極めた水運の象徴ともいえる存在でした。この大型船は高い積載能力を誇り、穀物や商品の運搬に適した船であったことから、地域経済に新たな活力をもたらし、その航海は日本の経済や文化に大きな影響を与えました。

白山丸に上がってみると船上でもその大きさを実感できますこちらの甲板部分の敷き詰められた板は、小さな穴がいくつも開いていて 取り外せるようにもなっていました

白山丸に上がってみると船上でもその大きさを実感できます
こちらの甲板部分の敷き詰められた板は、小さな穴がいくつも開いていて
取り外せるようにもなっていました

甲板から覗いた船内の様子大人が立てるくらいの高さがあります

甲板から覗いた船内の様子
大人が立てるくらいの高さがあります

船内には神棚もありました

船内には神棚もありました

こちらは船頭部屋白山丸クラスの大きさの船にはこのような個室を造り、 航海許可証や金銭などを管理していました

こちらは船頭部屋
白山丸クラスの大きさの船にはこのような個室を造り、
航海許可証や金銭などを管理していました

船員たちが長い航海中に暮らしていた船室部分思った以上に広い船室でした

船員たちが長い航海中に暮らしていた船室部分
思った以上に広い船室でした

 ちなみにガイドの有田さんのお父さんは船大工だったそうで、実はこの白山丸を造った職人のひとりでした。

有田さんのお父さんをはじめ、白山丸を造った職人の方々が紹介されています

有田さんのお父さんをはじめ、白山丸を造った職人の方々が紹介されています

船内には階段があり、下層部分に降りていくと荷室になっています少しでも多くの荷物を積めるように造られています

船内には階段があり、下層部分に降りていくと荷室になっています
少しでも多くの荷物を積めるように造られています

船の全長と同じくらいの高さの帆柱に大きな帆を張るため、船が転覆しないよう、船底に御影石などの重いものを載せていました

船の全長と同じくらいの高さの帆柱に大きな帆を張るため、
船が転覆しないよう、船底に御影石などの重いものを載せていました

白山丸の模型断面を見ると船の構造や荷物の積載量が多かったことがわかります

白山丸の模型
断面を見ると船の構造や荷物の積載量が多かったことがわかります

 こちらの白山丸の展示館には、千石船に関する資料や白山丸の復元の際の情報なども多くあるので、じっくりと見て回ることをおすすめします。

 展示館に続いて、隣接する佐渡国小木民俗博物館を案内していただきました。こちらは大正10年(1921)に開校した旧宿根木小学校をそのまま博物館として利用しています。小学校の名残があるこの木造校舎の博物館には、住民に呼びかけて集めたという海運の歴史を物語る貴重な品々が収められています。それぞれの家で使っていたものや蔵で眠っていたものなど、各家庭から集められた品々はその数なんと3万点余にのぼります。

旧宿根木小学校を利用した佐渡国小木民俗博物館大正時代の木造校舎の姿が良く残っています

旧宿根木小学校を利用した佐渡国小木民俗博物館
大正時代の木造校舎の姿が良く残っています

まっすぐに伸びた廊下各教室にはテーマごとに品々が展示されています

まっすぐに伸びた廊下
各教室にはテーマごとに品々が展示されています

こちらの教室では昔の生活道具を展示実際にこの地域で使われていた品々が展示されています

こちらの教室では昔の生活道具を展示
実際にこの地域で使われていた品々が展示されています

こちらは「信仰」の展示神棚や仏壇が展示されています どれも実際にこの地域の家庭で使われていたものです

こちらは「信仰」の展示
神棚や仏壇が展示されています
どれも実際にこの地域の家庭で使われていたものです

 展示されている民俗資料のうち、「南佐渡の漁撈用具」1,293点や「船大工道具」1,034点は、国の重要有形民俗文化財に指定されています。

 これらの展示品の大きな特徴は、北前船によって全国各地から佐渡に運ばれてきたものが多く、種類によっては、佐渡のものがひとつもないものもあるそうです。

陶器の展示室には「佐渡のものはひとつもありません」と表記がされています全国各地から運ばれてきたものばかりです

陶器の展示室には「佐渡のものはひとつもありません」と表記がされています
全国各地から運ばれてきたものばかりです

石見焼や備前焼の甕も展示されていました

石見焼や備前焼の甕も展示されていました

 北前船の多くは積荷を運ぶ船賃で稼ぐのではなく、荷物を買って運んで売る「買い積み式」が主体となっていたそうです。越後から大量の米を運び、行く先で米を売って新たな品物を仕入れ、また別の地域で売ってその差額を稼いでいたといいます。そのため、北前船の航路である蝦夷(現在の北海道)から大坂にかけての本州沿岸や離島には多くの寄港地があり、そのひとつである宿根木には、全国各地から、様々な品物や文化が持ち込まれ、大きな富がもたらされたのです。

所せましと全国各地の陶磁器が並んでいますいまだに産地がわからない品物もあるそうです

所せましと全国各地の陶磁器が並んでいます
いまだに産地がわからない品物もあるそうです

 この地域に集まってきたのは、伊万里や唐津、備前、瀬戸など今も有名な産地の陶磁器や、白山丸の船底の錘として使われていた尾道産の御影石も多く運ばれて来ました。御影石は、宿根木地区の石橋や鳥居、船つなぎ石などに使用され、今も残っています。

廻船業から薬種問屋、そして郵便業へと転業した宿根木の石塚家の看板

廻船業から薬種問屋、そして郵便業へと転業した宿根木の石塚家の看板

大型展示室にはまだ未整理の品々もありますここからまた新たな文化が発見されるかもしれません

大型展示室にはまだ未整理の品々もあります
ここからまた新たな文化が発見されるかもしれません

 このように、宿根木地区には全国から多くの文化が運び込まれ、大きな富をもたらしました。博物館に展示された品々を通して、この地域がまさに全国各地の文化の集積地であったということに触れる貴重な体験でした。かつての木造校舎を利用した博物館には、この地域の歴史と文化がぎっしりと詰まっていますので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

 この後、ガイドの有田さんの案内で、いよいよ宿根木地区の町並みを歩いてみます。後編では北前船の寄港地として整備され、繁栄した宿根木をご紹介します。

関連リンク

佐渡・宿根木の文化に触れる~船大工が築き上げた1ヘクタールの町並みと文化の集積地~後編

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佐渡市小木民俗博物館
新潟県佐渡市宿根木270番2
電話:0259-86-2604

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