佐渡の南西部に位置する「宿根木(しゅくねぎ)」地区。
わずか1ヘクタールほどのこの小さな集落は、江戸時代中頃から明治時代にかけて、日本海を舞台とする廻船業の基地、または北前船の寄港地として発展し、かつては佐渡の富の三分の一を集めたといわれるほど栄えました。船大工をはじめ造船技術者が密集して居住したその町並みには、かつての栄光とその後の衰退の様子が残されています。
独特の文化で築き上げられた宿根木の町並みと、北前船によって全国各地からもたらさられた文化の集積地を体験してきました。
前編では、佐渡小木ふれあいガイドの有田さんから宿根木で復元された実物大の千石船「白山丸」と佐渡国小木民俗博物館を案内してもらい、宿根木の廻船業の歴史と文化に触れることができました。そして博物館を後にし、宿根木の町並みへと移動してきました。
有田さんから撮影ポイントを教わりながら、集落に向かって道を下っていくと海岸に出ました。穏やかな海には、一艘のたらい舟がゆっくりと舵を取っていました。
国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている宿根木は、江戸時代中頃から明治時代にかけて、船大工を含む造船技術者が多く住んでおり、廻船業に加え造船基地として整備され、現在に続く町並みと集落形態が形成されていきました。宿根木地区の大きな特徴は、家屋が密集していること。ほとんどの家屋は敷地いっぱいに建てられており、小路と呼ばれる路地と接しています。
小路の大半は、この地区を北から南へ流れる称光寺川と平行に海に向かって伸びていて、その小路に沿って家屋が並び立っています。称光寺川の川筋は、江戸時代初期に人為的に作られたものです。わずかな荒れた土地のため、当時の人は川筋を決めて道割をし、その間にできた土地に家を建てたといいます。そのため、正方形の宅地は少なく、それを象徴するのが「三角家(さんかくや)」です。
敷地に合わせて三角形に切り詰めて建てられた、何とも変わった造りの家。三角家は、もともと隣町の四角い建物を解体して移築した建物で、船大工の知恵と技術によって、限られた土地を最大限に活かした建物が造られました。
宿根木の建物には船板や船釘が使われているものが多く、千石船の面影と船大工の技を色濃く残しています。100棟あまりの建造物が1ヘクタールの狭い谷あいに密集しているため、ほとんどの建物は総二階建てとなっているといいます。
また、外観は日本海の潮風から建物を守るため、包み板と呼ばれる縦板張りになっていることも大きな特徴のひとつです。一見するととても質素な感じがするのですが、家屋の高さや張り巡らされた木の板の外観によって、美しい統一感があります。
高台の眺望ポイントから集落を眺めていた時に気になったのが屋根でした。
色の違う瓦屋根と、屋根の上に石が置いてある家々があり、これだけ統一感のある集落が、屋根だけはバラバラな感じがしていました。有田さんの解説によると、かつては「木羽葺(こばぶ)き石置(いしおき)屋根」という宿根木独自の屋根でしたが、江戸時代に石見瓦、そして昭和30年代に能登瓦が廻船で運ばれたことにより、瓦屋根の家が多くなったということでした。
現在は主屋や納屋の屋根約40棟が石置屋根に復元されて、独自の景観を保ち続けているそうです。この木羽葺き石置屋根は、木の板を重ね合わせてその上に飛ばされないように石を置くというもの。木の板は「木羽(こば)」と呼ばれ、木羽を専門に作る木羽屋さんが現在もあるそうです。木羽葺きと瓦屋根の混在も、宿根木が文化の集積地であることを表しているといえます。
宿根木には、北前船によって様々な文化がもたらされ、当時としては刺激的な集落だったと思います。小さな集落の中に、全国から運ばれてきた見たこともない各地の産物や、実際に日本全国を回ってきた廻船業者が出入りしていたわけですから、日本の文化の最先端が宿根木に集まっていたことになります。
そんな環境の中で育ち、やがて世界に興味を示した人物がいました。幕末の地図学者である柴田収蔵(しばたしゅうぞう)です。彼は文政3年(1820)に宿根木に生まれ、江戸に出て蘭方医学を学ぶとともに、世界地図にも興味を持ち、嘉永5年(1852)に卵形式の世界地図「新訂坤与略全図(しんていこんよりゃくぜんず)」を作成しました。あまり知られていませんが、この世界地図は、樺太・ニューヨーク・ボストンなどの最新情報が記され、当時としては先進的で正確な地図であり、貴重な歴史資料となっています。
宿根木という文化の集積地で、日本各地の文化に触れたことで、柴田はさらに広い世界を求めたのかもしれません。
明治時代の中頃になると、国内の物資の輸送が鉄道へと移行し、宿根木の廻船はやがて衰退していきました。多くの人は海を離れて農業に従事したり、仕事を求めて島外へ出稼ぎに行きました。ガイドの有田さんも宿根木で生まれましたが、この地を離れて東京へ出たそうです。しかし、高齢のお母さんの面倒をみるために、10年前に家族を置いて単身で宿根木に戻りました。現在この宿根木には約20世帯が暮らしています。
「ここ(宿根木)もあらためて住んでみると、面白いんだよね。宿根木には宿根木の良さがある。先のことはわからないけど、このまま宿根木に住み続けるのも悪くない。」有田さんはそう語りました。
北前船で隆盛を極めた集落を宿根木地区の住人たちは、これからもその姿を変えずに守り続けて行くことでしょう。
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佐渡・宿根木の文化に触れる~船大工が築き上げた1ヘクタールの町並みと文化の集積地~前編
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