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域文化 データベース

新潟の歴史文化

文化財や寺社仏閣などの伝統的な建造物、新潟に縁のある偉人などを紹介します。

地域文化
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  • 代官所跡

    江戸時代、幕府は佐渡の金銀を運び込む重要な港町として、出雲崎に代官所(七万石)を配し天領としました。当時の威風をしのばせる代官所が、道の駅「越後出雲崎 天領の里」に再現されています。 出典:出雲崎町観光協会 提供元:出雲 […]
  • 芭蕉園

    芭蕉真筆の「銀河の序」全文を拡大彫刻した句碑が建つ庭園。一六八九年(元禄二)七月、芭蕉は奥の細道の旅の杖をこの地にとどめ「荒海や佐渡に横たふ天河」の名吟を残しました。 出典:出雲崎町観光協会 提供元:出雲崎町観光協会 画 […]
  • 西照坊

    若き日の良寛もしばしば訪れていたという小堂。生家が争いの渦中にあった際は、仮住まいして見守ったといわれています。 出典:出雲崎町観光協会 提供元:出雲崎町観光協会 画像提供元:出雲崎町観光協会
  • 円明院

    円明院の第十世の住職は、三十一歳の若さで逝去した良寛の弟、宥澄。本堂には「良寛さんの生家橘屋の菩提寺」とあるほか、橘屋の過去帳も残されています。良寛生誕のルーツをうかがい知れる寺院です。 出典:出雲崎町観光協会 提供元: […]
  • 光照寺(良寛剃髪の寺)

    十八歳で名主見習い役となった良寛が、その身を仏門に投じた禅寺です。出家の理由は、幼かったころに座禅を組み修行する僧の姿にあこがれたなど、さまざまな諸説があります。良寛は剃髪、出家してから、諸国行脚の旅に出るまでの四年間を […]
  • 天領出雲崎時代館

    今、港には金銀を満載した一枚帆に葵の御紋、飾り金具がまばゆい御奉行船が佐渡から到着、こんなストーリから始まる天領出雲崎時代館は四〇〇年の時を越え、天領時代にタイムトリップする時代旅行館です。館内には出雲崎特有の妻入りの街 […]
  • 越後出雲崎 天領の里

    越後出雲崎天領の里は佐渡を望む海岸線にそって造成された敷地面積21,000平方メートルを要する施設です。出雲崎は、元和2年(1616)佐渡からの金銀の陸揚げ港として越後で初めて代官所が置かれた直轄地天領となりました。天領 […]
  • 良寛堂

    良寛堂は、良寛の生家橘屋の屋敷跡に大正11年安田靫彦画伯の設計により建てられた。良寛の母の国佐渡が島を背景にし、日本海に堂が浮かんで見えるように設計された優美な建物です。ここを訪れると、子供たちの遊ぶ姿があり、その昔、い […]
  • 良寛記念館

    故・佐藤耐雪翁の発起により、文化勲章受賞の故・谷口吉郎博士苦心の設計による清楚で典雅な記念館で、良寛の生家・橘屋ゆかりの虎岸ヶ丘に建設され、館内には良寛の遺墨、遺品ならびに神品と称えられる故・安田靫彦画伯の良寛肖像画をは […]
  • 伊平タケ

    父丸山奥次郎の二女ソイ、5歳のときハシカで失明、柏崎市藤井の瞽女武田ヨシに弟子入りし、芸名タケ。12歳の時初めて夏は刈羽・魚沼方面へ、秋は群馬へ門付け稼ぎをする。大正元年26歳北条の鍼師伊平伝吾と結婚。以後地方廻りをやめ […]
  • 田中角栄

    角次の長男。二田尋常高等小学校時代は成績優秀、体力・知力・胆力にも優れ首席で通す。柏崎の県土木出張所に勤め、16歳で上京。苦労し中央工学校土木工学科を終え、建築設計事務所をへて独立。理化学研究所長大河内正敏博士の知遇を得 […]
  • 宮川神社社叢

    宮川神社は社殿正面を除いて馬蹄型の屋根に囲まれており、社殿背後の斜面は季節風がさえぎられ、ケヤキの巨木と共に常緑広葉樹のシロダモ、タブノキ、ヤブツバキなどが生い茂り、シロダモ-ケヤキ群落を形成している。また、季節風の影響 […]