file-106 金・銀山の島―佐渡のキリシタン(後編)

 

歴史の中に潜むキリシタンの痕跡

 資料も史跡も乏しく、なかなか全貌がつかめない佐渡のキリシタンたち。それでも、歴史書の中の数行や、佐渡以外に残された資料の中に、確かにその存在を見ることはできます。そうした少ない痕跡を丹念に集め、想像力と創造力で一編の小説を書き上げた玄間太郎さん。事実をそのまま著すのではなく、独自の視点から見つめ、作品世界の中に構築し、新しい意味を与えていく。その創作の原点と、作品に込めた思い、これからの目標について伺いました。

表舞台に現れない人々に光を与える

わずかな足跡をたどっていく

百人塚 記念碑

昭和63年(1988)、有志の呼びかけでキリシタン塚は整備され、記念碑が建てられた。

キリスト像
マリア像

十字架を背負ったキリスト像やマリア像もその時に建てられたもの。

 天文18年(1549)にフランシスコ・ザビエルによって伝えられたキリスト教は、天正15年(1587)の豊臣秀吉によるバテレン追放令以降、弾圧や迫害を受け、徐々に信者数を減らしていきました。そうした状況の中、佐渡へはどのようにキリスト教が伝わり、信者が増えていったのでしょう。布教を伝える記録は多くはないので、実態は捉えにくいと、佐渡市役所 世界遺産推進課の濱野さんが説明してくれました。
 「禁じられていますから、佐渡ではキリシタン関係の史料はあまり残っていません。江戸時代に、布教のために来日した宣教師たちのレポートをまとめた『イエズス会年報』に、慶長9年(1604)に京都・伏見から熱心なキリシタンが来島したこと、元和5年(1619)以降に二人の外国人神父が来島したことのわずか3例が記されているだけです。」

 

金山坑道

小説の主人公弥之助は、金穿(かなほり)大工として鉱石を掘り出していた。

小木港

危険を犯してまで布教のために来島した神父たちが降り立った小木港。

 同年報には、佐渡金銀山についての報告と、そこで働く鉱夫の中にキリシタンがいたことが書かれているので、神父たちは主に金山で布教活動を行ったと考えられます。常駐する神父がいない中で、信仰はひっそりと続いていたのでしょう。
 一方、取締りや処罰については、わずかですが、佐渡に資料が残っています。寛永14年(1637)の島原の乱を受け、江戸幕府はキリスト教禁教の徹底、キリシタン取締りの強化を図ります。佐渡でもキリシタンの探索と詮議、処刑が行われたとされています。『佐渡年代記』では数十人、『佐渡風土記』『佐渡国略記』では百人ばかりと処刑者数に違いはありますが、中山峠の地で大量の処刑があったことをうかがわせます。
 しかし、これだけの大規模な処刑でありながら、詳細は伝わっていません。正確な人数、名前、年齢、職業などは謎のままです。
 また、中山峠での処刑以降は、算学者の百川忠兵衛が疑いにより投獄、役人の河合五兵衛が死罪という2例が公式に残されているだけだと、濱野さんは指摘します。隠れキリシタンの告発を命ずる高札(看板)や、キリシタンとして処罰された者の親族の生死までを記した覚え書の保存など、監視体制は取られましたが、「一揆などに結びつかない限り、キリシタンであっても、転び(棄教した)というと必要以上の詮議はされず、キリシタンたち自身もうまく周囲と折り合いを付けていったのではないかと思います。天領の自由な環境、金山で潤っていた佐渡だからできたことかもしれませんね。」
 中山峠での処刑以降、佐渡のキリシタンたちは歴史の表舞台から姿を消し、体制に溶け込んでいった――濱野さんはそのように考えています。

 

誇り高く生きる人々を描く

京町

小説の登場人物たちも歩いていた相川京町通り。今も江戸時代の風情を残す。

 玄間太郎さんの二冊目の著作は、出身地の出雲崎を舞台に、母のルーツを訪ねた『少年の村―出雲崎慕情』でした。「父や母をはじめ、時代の波に翻弄されて、それでも懸命に生きた人々の人生を描きたいという思いが創作の原点です。資料や記録が乏しくても、過去と対話をしながら、想像力で記録をよみがえらせ、作品にしていく。そういう姿勢で取り組んできました。」と語ります。
 小説『黄金と十字架―佐渡に渡った切支丹』執筆のきっかけは、以前に読んだ遠藤周作の『沈黙』をふと思い出したこと。キリスト教の迫害について調べるうちに、佐渡の中山峠での殉教を知り、これをモチーフに書こうと決意しました。「地元の相川図書館、佐渡市立図書館、新潟県立図書館で資料を探し、佐渡も4回訪ねましたが、なかなか手強かったですね。」と、玄間さん。「あれほどの大虐殺なのに、処刑された人の名前さえ残されていない。これは、時の権力者にとって都合の悪い記録は残さない、農民や鉱夫などの弱い立場の人々や、ましてやお上に楯突くような人々のことは抹消してしまいたいからではないか。それならば、自分が彼らの立場に立って、その思いを代弁する小説にしていこうと思ったのです。」

 

『黄金と十字架ー佐渡に渡った切支丹』  玄間太郎 東京図書出版

『黄金と十字架ー佐渡に渡った切支丹』 玄間太郎 東京図書出版 2015年・第9回新潟出版文化賞優秀賞

文化賞

新潟県内在住者による自費出版図書から優れた作品を顕彰する「新潟出版文化賞」。

 弱い者が虐げられた悲劇ではなく、資料がわずかで寡黙でも想像力と創造力で補い、主人公たちが手を取り合って立ちあがり、現実を変えていこうとする、未来と展望のある物語を紡ぎ出したいと、執筆に着手しました。約2年をかけて書き上げ、出版にこぎつけた『黄金と十字架―佐渡に渡った切支丹』は、新潟県が隔年で開催している第9回新潟出版文化賞優秀賞を受賞しました。
 小説を書くのは孤独な苦しい営為だけれど、楽しみもあると玄間さんは話します。「作品を書くとき、いつも、自分を投影した登場人物を一人、作中に滑り込ませます。小さな役です。そして、思いをひとこと述べさせる。私も一緒に戦いたいんですよ。」と、玄間さんはにっこり。今回は、思想家で医師という役なのだそうです。

 

玄間さん

玄間太郎さん。記者として勤務した新聞社を退社後、小説の執筆を始めた。

 「佐渡を舞台にしたので、できるだけ地名を織り込んで、読みながら旅情を感じたり、この本をきっかけにして佐渡を訪れてもらえたりしたら、それもうれしいですね。」
 玄間さんは、「これからも、ふるさと越後を舞台に、埋もれたきれぎれの記録をもとに、名もなく、けれど誇り高く生きた人々の小さな足跡を探し続け、歴史小説に託したい。」と語ります。次作では、角兵衛獅子を取り上げる予定だそうです。また、新潟の知られざる一面が光を得て、読む人の胸に温かな火を灯してくれることでしょう。

 


■ 取材協力
濱野浩さん 佐渡市役所 世界遺産推進課 指導員
玄間太郎さん 『黄金と十字架―佐渡に渡った切支丹』作者
相川郷土博物館


■ 参考資料
『黄金と十字架―佐渡に渡った切支丹』 玄間太郎 東京図書出版刊
『佐渡相川郷土史事典』 相川町史編纂委員会編
『中山キリシタン塚考』 磯部欣三著 佐渡郷土文化 1991・10月号
『キリシタン研究』 キリシタン文化研究会編 吉川弘文館刊
『佐渡年代記 上巻』 佐渡郡教育会刊
『佐渡国略記 上巻』 新潟県立佐渡高等学校同窓会刊
『佐渡風土記』 佐渡郡教育会刊
『佐渡 相川の歴史 資料集七』 相川町史編纂委員会編

前の記事
一覧へ戻る
次の記事