file-109 乙女が「かわいい」に目覚めた時代(前編)

  

大正ロマンと昭和モダン

 大正から昭和初期にかけての日本では、それまでとは違う、モダンでおしゃれな絵や文学が流行し、乙女心をとらえました。日本的なものと西洋文化が溶け合った、夢と憧れの世界。大人でも子どもでもない、少女たちのための「かわいい」作品群は、本や雑誌、付録、文房具、雑貨など多岐にわたりました。その時代に活躍した人気アーティストの一人が、新潟県新発田市出身の蕗谷虹児(ふきやこうじ)です。今回は、虹児の作品を手がかりに「大正ロマンと昭和モダン」に迫ります。

乙女心をとらえるモダンな画風

人気少女雑誌すべてに作品を掲載

 大正時代を迎えた日本は、空前の出版ブームを迎えていました。雑誌や新聞の購読層が細かく分けられ、女学生をターゲットにした少女雑誌も相次いで創刊されたのです。小説の主人公に憧れ、挿絵にときめき、少女たちは雑誌に夢中になりました。まだ写真が一般的ではなかったこの頃、口絵や挿絵はファッションの大切な情報源。中でも、大正の浮世絵師とも呼ばれた竹久夢二が描く、哀愁を漂わせた美人画は人気を博しました。
 

 

蕗谷虹児

「令女界」「少女倶楽部」などで活躍していた頃/蕗谷虹児25歳

 蕗谷虹児は、14歳で日本画家に師事し、その後、竹久夢二の紹介によって、大正8年(1919)、21歳で挿絵画家としてデビュー。挿絵だけでなく、詩や小説、デザイン、本の装幀などにも多彩な才能を発揮し、多くのファンに愛されました。「きんらんどんすの帯しめながら」で始まる「花嫁人形」の詩は、虹児の代表作です。
 

 

記念館

「虹児の抒情世界を具現したい」と建築家・内井昭蔵(うちいしょうぞう)により設計された記念館

蕗谷龍夫さん

「父は絵には気品が大事だとよく言っていました」/蕗谷龍夫さん

 出身地の新発田市に立つ蕗谷虹児記念館には、蕗谷家から寄贈された原画800点に加え、直筆原稿や書籍、印刷物など資料約3,000点が所蔵されています。エントランスに入ると、パリ時代にサロン・ドートンヌに初入選した作品「混血児とその父母」が飾られています。
「父がパリから持ち帰ったのはわずか数点。その中で、ずっと手元に置いていたのがこの絵です。戦争で疎開した時もその後も、ずっと手元のブリキの筒にしまっていたんですよ」と、虹児の三男で記念館名誉館長を務める蕗谷龍夫さん。
 

 

 パリ留学まで、虹児は人気挿絵画家として多くの作品を残しています。記念館の長谷川靜生(はせがわしずお)さんにその活躍について伺いました。
 

 

長谷川靜生さん

「パリ時代の作品も出色です」/蕗谷虹児記念館 長谷川靜生さん

「次々と創刊された少女雑誌が虹児の活躍の場でした。絵も詩もデザインもできる才能と、細かなところまでこだわり抜く姿勢が評価され、すぐに『少女画報』のメイン画家となり、大正11年(1922)に誕生した女性誌『令女界』では、創刊準備の編集会議にも参加していました。この雑誌は、虹児をイメージして創刊されたと言われており、実際に、表紙絵も口絵も挿絵も、主要な絵はすべて虹児が手がけています」
 

 

虹児画譜第一輯「睡蓮の夢」

虹児画譜第一輯「睡蓮の夢」挿絵 大正13年(1924)

洋装の女性 背景グリーン

ウィスタリア「令女界」口絵 昭和2年(1927)

 水彩絵具と日本画用の岩絵具を使った、透明感のある色彩の絵、また、ペン先の細いGペンで緻密に描いたモノクロの線画など、当時の作品は記念館で見ることができます。
 デビュー当時は、恩師である夢二と同じように、なよやかで伏し目がちな女性を描いていましたが、やがて、パリから帰国すると、まっすぐ正面を見つめる、健康的で凜とした雰囲気の女性を描くようになりました。そのモダンな女性像は、新しいモノを求める時代の流れにマッチし、当時の乙女たちの心をつかみます。大正ロマンから、昭和モダンへ、「かわいい」の定義が変わるにつれ、虹児の人気はますます高まり、代表的な少女雑誌すべてに、それぞれの雑誌に合わせて描き分けた女性像を掲載するようになりました。
 

 

少女小説とタッグを組んで活躍

「少女画報」表紙

「少女画報」表紙 大正10年(1921)10月号

「少女画報」で、蕗谷虹児が挿絵を担当した小説家の一人に、吉屋信子がいます。信子は、虹児とは一つ違いで、同じ新潟県出身。男尊女卑的な考え方に反発し、新しい価値観を求めて文学を志しました。新しい考え方を持つ作家と、モダンな画風を追求する画家がタッグを組んで、大正5年(1916)から、同誌に「花物語」を連載。少女たちの熱い支持を集めました。
 

 

花物語

「花物語」単行本 第4巻 大正13年(1924)

「にいがた文化の記憶館」の学芸員、秋岡啓子さんに、「花物語」について伺いました。
「吉屋信子は、少女小説のパイオニア的存在です。女学生を主人公にした短編連作小説『花物語』は、大正5年から8年間に渡って『少女画報』に掲載され、後に単行本5冊にまとめられました。虹児は挿絵の一部と、単行本1巻の装幀を担当しています」
 単行本は「花物語」にちなんで、線画で華麗なバラを描き、大人っぽい雰囲気に仕上げられています。
 開館以来、同館で最高の動員を数えたのが、この「花物語」の展示も含めた虹児の企画展でした。「懐かしい」という声と同時に、新しい感じがする、今の時代に合っているという感想が聞かれたそうです。「観客は女性が圧倒的でしたが、男性でじっくり見入る人もいて、支持層の厚さを感じました」
 

 

JA北越後

紹介した作品、広報誌はHPから見ることができる/JA北越後

 また、平成の今、虹児の作品を連載している冊子があります。JA北越後は、世界的に有名な画家の存在を、虹児の地元・新発田の人たちにもっと知ってほしいと、平成20年(2008)2月号から蕗谷龍夫さんの協力を得てスタート。毎月、虹児の絵と龍夫さんのエッセイを紹介しています。「切り取って保存している」「絵が描かれた背景がわかって楽しい」という声も届き、好評です。
 虹児の作品は時代を超えて、今も、多くの人々の心を惹きつけています。

 

 後編では、大正から昭和の雑誌の付録や文房具などを手がかりに、「かわいい」の系譜をたどります。

 


■ 取材協力
蕗谷龍夫さん/蕗谷虹児記念館 名誉館長
長谷川靜生さん/蕗谷虹児記念館
秋岡啓子さん/にいがた文化の記憶館 学芸員
JA北越後
作品画像提供/蕗谷龍夫 蕗谷虹児記念館

 

後編 → 乙女が「かわいい」に目覚めた時代(後編)
『生活の中の「かわいい」デザイン』

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