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文化の丁字路~西と東が出会う新潟~

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file-138 西と東が花街で出会う~文化の丁字路(後編)

  

五感で楽しむ、古町のおもてなし


 北前船は上方の文化を、三国街道は江戸の文化を新潟に運んできました。それは、時間をかけて舞踊家や料理人によって醸成され、古町花街のお座敷に登場。新潟でしか味わえないもてなしとして、多くの人の心を掴み、令和の今もさらに発展し続けています。

舞踊と料理に残る東西の香りをたどる

上方から江戸、そして越後へ。市山流の変遷

市山さん

「六世の母の時代には、悩みなどある芸妓が夜中でも駆け込むことが度々。古町花街では師匠と弟子の距離が近く絆も強いと思います」/市山七十郎さん

青海波(国民文化祭)

令和元年(2019)開催の国民文化祭「日本舞踊の祭典」で、市山七十郎さんは清元「青海波」で男役を披露。

団十郎娘(国民文化祭)

歌舞伎役者にちなんだ踊り大和楽「団十郎娘」は、六世市山七十郎が振り付けた演目/国民文化祭「日本舞踊の祭典」

 古町通9番町の細い小路に、戦前に建てられた日本家屋が並ぶ一画があります。その一つが日本舞踊・市山流宗家の稽古場です。どっしりとした佇まいに、矢羽根の目隠し板や引き戸の透かし彫りなど、伝統的な装飾が風情を添え、歴史を感じさせる建物です。
 市山流は江戸時代中頃に上方で創始し、その後、江戸に移って歌舞伎舞踊で名を上げ、三世のときに越後へ。以来、古町に居を構えて、200年にわたり、古町花街と新潟の舞踊界の発展を支えてきました。令和元年(2019)の国民文化祭「日本舞踊の祭典」では、弟子とともに舞台に立ち、新潟に根付く踊り文化を発信した七代目 市山七十郎(なそろう)さん。その踊りに、上方と江戸の影響がどのように受け継がれているのかを伺いました。
「関西と関東では、振り付けや踊り方、衣装にも違いがありますが、一番の違いは動きの細やかさでしょうか。同じ間に対して、関西の方が振りを多く入れます。例えば、関東なら二つの動きを振り付けるところに、もうひと動きを加えるので、細やかでリズミカルな印象になります。市山流は関西で生まれているので、細かな手の動きが多いかもしれませんね」
 お座敷で披露される演目には、その土地の人物や物語を踊りに仕立てたものが数々あります。古町では、六世が振り付けた「相川音頭」が、曲を知っている県内のお客様はもちろん、県外のお客様にも喜ばれてきました。「お座敷でのおもてなしは、荷物にならないお土産。多くの方に楽しんでいただきたいと思っています」

 

東から西へ、西から東へ。料理に現れた変化

登坂さん

「一口の前菜を盛り合わせる『しのぎ』は、関西で覚えたことの一つ。新潟らしく寿司を入れて提供しました」/登坂さん

料理

和食は彩りや器も重要な要素。季節はもちろん、座敷の雰囲気、会食の目的や人数によって組み合わせを変える/鍋茶屋提供

 お座敷での料理もまた、西と東の影響を受けながら新たな味を生み出し、多くの人々を魅了しました。弘化3年(1846)創業の料亭「鍋茶屋」で、長く料理長を務めた登坂但(とさかただし)さんは、料理の変遷について次のように語ります。
「修行を始めた昭和40年代は、新潟の料理は、味が濃く甘みも強い関東風でした。地理的に近く、人の往来も盛んだったことで新潟に定着していたのでしょう」
 昭和48年(1973)から2年半、登坂さんは大阪の老舗料亭で修行し、素材の味を引きだす、出汁(だし)文化を知りました。その頃には食品の流通や保存技術が進歩し、人々の嗜好もあっさり薄味を求めるようになったことを追い風に、出汁文化は東京に伝わり、全国に定着。修業を終えて古町に戻った登坂さんは、素材を活かした薄味の料理を取り入れます。「それでも、明治生まれの親方は昔の味にこだわりましたが、徐々に薄味に変えていきました」
 すると、素材の善し悪しがより重要になりますが、素材に求める価値にも変化が起きました。「かつては、地のものよりも、有名産地の高級素材、旬の走りの希少素材に価値が置かれていたので、日本全国から取り寄せていましたが、『そこにしかないのもの』を味わいたいというお客様の声が増え、旬の地元素材を使うように変わっていきました」

 

 さらに変化は酒にも。かつては「酒と言えば灘」といわれ、古町花街でも関西の酒を提供していましたが、1980年代に地酒ブームが到来。淡麗辛口を特徴とする新潟の地酒が一躍有名となり、お座敷でも地酒が喜ばれるようになりました。
「料理は関東の甘辛味から関西の薄味へ、酒は灘から新潟へ。料理というものは時代に合わせ、お客様の要望に合わせて変わっていくものです。それに応え、季節や地域ならではの一期一会の料理を作っていくのが料理人の役割だと思っています」と、登坂さん。
 300年続く料亭の11代目にして料理人でもある行形和滋さんも、同じように、「おもてなしで大切なのは、もてなす側が出すぎないこと」と言います。「時代に合わせ、『一歩進むな、半歩遅れるな』の精神で少しずつ前に進んでいくことが大切です」

 

お座敷の芸妓

昭和30年代。古町花街のお座敷で出囃子を演奏する芸妓たち。今でも同じように演奏されている。

新潟まつり

新潟の夏の風物詩、新潟まつりのパレードに芸妓も参加。歩きやすいように身に着けたたっつけ袴姿が珍しい。

 古町花街が発展した背景には、海路と陸路でもたらされた西と東の文化を受け入れるだけでなく、時代や人々の要望を読んで工夫し、新しい価値を付加していった芸妓、舞踊家、料理人などの努力がありました。
「新潟の特徴は、『外』の人を受け入れることと、スクラップ&ビルドの精神です」と言うのは、みなとぴあ館長の伊東さんです。「他の地域から来る人を受け入れ、排除しない。すると、そういう人が新潟に不足していることを補ったり、街の新陳代謝を後押ししたりして、結果的に街を発展させてくれる。また、古いものにこだわらず、壊して新しいものを作り出す。そうした新潟らしさが、古町花街の発展にも関わっていたと思います」

 

福豆世さんと結衣さん

令和の今、古町花街の芸妓は30名ほど。芸だけでなく、もてなしの姿勢も受け継がれていく/福豆世さん(右)と結衣さん(左)

 新潟市では、地元企業が連携して株式会社の置屋を設立し、芸妓の育成を行っています。芸妓の結衣さんもその一人です。市山七十郎さんに日本舞踊の指導を受け、福豆世さんをはじめ先輩方に支えてもらいながら、芸を磨いています。「上手になったねというお客様の言葉が何よりもうれしいです」
 元禄時代に始まった古町花街の歴史は「文化の丁字路」の上でこれからも続いていきます。「花街は、大人の和のテーマパーク。非日常を楽しむ場です」と行形さん。その世界を体感してみませんか。西と東から伝わり、新潟で花咲いたおもてなしが待っています。

 

留袖

古町花街では、一人前の芸妓は、裾をお引きずりにした留袖を着ることから、「留袖さん」と呼ばれる。/留袖 和香さん(右)と振袖 志穂さん(左)

 

掲載日:2020/8/7

 

■ 取材協力
市山 七十郎さん/市山流宗家 家元
登坂 但さん/元・鍋茶屋総料理長
行形 和滋さん/行形亭11代目
伊東 祐之さん/新潟市歴史博物館みなとぴあ 館長
福豆世さん/古町芸妓
結衣さん/古町芸妓

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