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file-152 阿賀野川スイーツライン探訪記【新潟市編】(後編)

  

一口にお菓子屋さんと言ってもみんな違う


 ふだん何気なく行くお菓子屋さん、何気なく食べているお菓子…。その逸話を知ると新しい世界がどんどん広がります。お菓子を食べて「あ〜、幸せ!」と感じ、深まる知識に「ふむふむ、そうだったのか!」と納得。お菓子屋さんは私たちのすぐそばにあるエンターテイメントかもしれません。

お菓子屋さんはまちのエンターテイメント!

里仙〜初代店主は會津八一の書の弟子だった
そんなご縁から生まれた『かまつか最中』

里仙外観

昭和2年(1927)創業、皇后・雅子さまの新潟入りの際はお菓子を献上する皇室御用達。「入りにくい敷居の高さがその店の格ですが、それを越えて若い人にも来ていただきたい」と佐藤さん。

かまつか

「お菓子作りは省けない手間がある。それを省いた時点で本物ではなくなってしまう」という信念が息づく同店。『かまつか最中』の開発にもたいへんな試行錯誤と工夫があった。

 「初代店主の祖父・佐吉は、會津先生のところに行ってくる、と言いながら一升瓶を持って夜中まで帰ってこなかったそうです」と笑うのは3代目店主の佐藤紳一さん。新潟を代表する文化人・會津八一と里仙の初代店主は、20歳も違いましたが、親しい間柄で同店には八一の書が数多く残ります。その中のひとつが「かまつ可(か)」で、鎌の柄になる葉鶏頭(ハゲイトウ)のこと。八一がことのほか愛し、画賛にもよく書いていました。
 25〜26年ほど前に會津八一記念館から依頼があり、佐藤さんは『かまつか最中』を作ることになりました。館の要望は、詰め合わせの箱がハンドバッグに入るサイズであること。そこから割り出した縦長の上品な最中は、一躍話題に。パッケージには館所有の八一の落款が印刷され、最中の皮にも「かまつ可(か)」の墨跡を刻んでいます。ちなみに八一は甘いものも大好きでよく同店の最中を食べていたそう。初代店主は八一とどんな話をしていたのか……想像するだけでも面白いですね。

 

大阪屋〜お菓子は笑顔を映す鏡
新潟の文化を発信する『万代太鼓』

會津八一揮毫の看板

會津八一揮毫の看板。同店は労働環境整備も業界を牽引し、昭和47年(1972)から完全週休2日制を実施。昭和61年(1986)には、県内で初めて女子再雇用制度を就業規則に明文化した。

万代太鼓

『万代太鼓』は美味しさを求めて配合に苦心した。販売当時は手焼きで、バーナー近くまで手を入れると耐熱手袋をしても腕に水ぶくれができる程で、次年度から自動焼成機を導入した。

 初代店主・岡嘉平は彦根藩領の近江国(現・滋賀県)出身。幕末に大阪でお菓子作りの修行をしたことが社名の由来です。その後、安政5年(1858)に越後・新潟湊の横七番町で「浪速堂 大阪屋」を創業。明治年間には「明けからす(粉菓子)」が皇室御用達献上菓となりました。また、昭和2年(1927)からは新潟市内におけるパン製造の草分けとして、店頭小売の他にもイタリア軒や新潟鉄工所などに納品していました。なお、古町店に掲げる象嵌(ぞうがん)仕立ての看板は會津八一の揮毫(きごう)によるもので、「喫茶去」など多くの作品を所蔵しています。
 昭和43年(1968)、第14代新潟商工会議所和田閑吉会頭の提唱により、新潟まつりを盛り上げる和太鼓・万代太鼓が誕生。これを受け、翌年には小型バウムクーヘンを太鼓の胴に見立て、食べやすいようクリームを中に入れた『万代太鼓』を発売しました。当時は、食品包装にはタブー視されていた黒いパッケージ。新潟銘菓『万代太鼓』は、その「黒色」を使った草分けでもあります。

 

四季のお菓子 わらび屋〜今までにない味を求めて
新しいお餅の食べ方をお菓子で提案『おきつねさん』

阿部さん

お菓子を作るために脱サラした阿部さん。会社に勤めながら早朝と夜に和菓子屋と寿司屋で修行した。2代目の息子さんがロールケーキを開発し、そちらでも多くのファンを獲得。

おきつねさん

油揚げからこぼれそうなお餅が食欲をそそる『おきつねさん』。お餅らしいおいしさの「白もち」、黒ゴマが香ばしい「ごまもち」、食感がアクセントの「クルミもち」の3種類。

 「老若男女問わずおいしく食べられて、かつ珍しい和菓子を作りたい」と店主の阿部弘さんがたどり着いたのが『おきつねさん』でした。油揚げを使用し、県内産の「こがねもち」を合わせた絶妙なコラボレーションです。お餅には餡子やきなこが定番ですが、『おきつねさん』は甘じょっぱい油揚げで挟み、何もつけずにおいしくいただけます。
 発想のきっかけは、『遠野物語』で有名な岩手県のとある地域で出会った大きな餅いなり。お餅といえば新潟も全国に自慢するほどおいしい。その商品はお餅がすぐに硬くなってしまったので、「改良して〝新潟版〟を作ろう!」と考えたのです。
 狐火で有名な阿賀町には、江戸時代の嫁入りを再現した結婚の儀式「つがわ狐の嫁入り行列」があります。阿部さんは「『狐の嫁入り』をはじめ、新潟・阿賀エリアの文化を応援したい。将来的には、その地域を代表するお菓子になってほしい」と言います。誕生して間もない『おきつねさん』はまだ発展途上のお菓子。新バージョンが増えるかも?今後の展開も楽しみです。

 

お菓子処 菜菓亭〜何度も行きたくなるのは楽しいから
発売から30年以上、年間 71万個も売れる『河川蒸気』

家井さん

「作り手も楽しんでいる。うちの職人は型にはまらないお菓子を作り出すのが好き」と言う企画室長の家井みちえさん。店内が楽しく伸びやかなのは、内側から湧く空気なのだろう。

河川蒸気

小豆やコーヒー、新潟産のイチゴ、枝豆、ルレクチェがある『河川蒸気』。昨年始めた春・秋限定の「蒸したて販売」は皮が2倍でふわふわ。不定期開催なので店頭を要チェック。

 昭和57年(1982)創業と若いお菓子屋さんですが、その前身は北区(旧豊栄市)で昭和の戦前から開業していた福寿堂本店です。当時は北前船で湊に運ばれた物資を各地へ運ぶために、河川が利用されていました。豊栄は通船川・阿賀野川・新井郷川を経由し、新発田へと続く道中の停留所で、多くの人力車や馬車が客待ちに集まり賑わっていました。その主役が蒸気船。底の浅い川でも強力な蒸気機関でグングン進み、ポンポンと鳴る汽笛から「ポンポン蒸気」の愛称で親しまれていました。
 『河川蒸気』は、新潟県民のソウルフード「ポッポ焼き」を彷彿とさせる菜菓亭の看板商品。黒糖入りの蒸しかすてらで、クリームを挟み込んでいます。1枚の皮を半月型にして、それが舟の形をしていること、豊栄の歴史と縁が深く、新潟の経済・文化に一大革命をもたらした蒸気船にちなんで『河川蒸気』と命名したのです。包装紙には当時の風景が描かれておりノスタルジーを感じます。

 

今回は、新潟の歴史や文化、地域の個性を反映して生まれたお菓子を紹介しました。みなさんの馴染みのお菓子も登場したのではないでしょうか。気になったお菓子があれば、ぜひ店舗に足を運んでみてください。

 

掲載日:2022/2/14

 

■ 取材協力
佐藤紳一さん/株式会社 里仙 3代目店主
岡嘉雄さん/株式会社 大阪屋 代表取締役(6代目)
阿部弘さん/四季のお菓子 わらび屋 店主
家井みちえさん/お菓子処 菜菓亭 企画室長

 

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