file-154 新潟はビールもすごい!(前編)

  

明治の新潟に「麦酒」があった

 平成の地ビールブームを牽引したのは、新潟市生まれのエチゴビールです。ところが、時代をさかのぼってみると、明治時代の新潟でもビール造りに挑戦し、販売していた人々がいました。チャレンジ精神に満ちた新潟のビールの系譜に迫ります。

クラフトビールの先駆け

長岡・水原・新潟でビール誕生

与板歴史民俗資料館のレプリカ

与板歴史民俗資料館(兼続お船ミュージアム)に展示されている、明治時代のビール瓶(レプリカ)。清兵衛が造った「札幌ラガービール」と冷製「札幌ビール」。

 日本で本格的にビールの醸造・販売が始まったのは、明治5年(1872)の大阪です。続いて甲府、札幌でも醸造が始まり、日本はビール黎明期を迎えました。このとき、札幌の開拓使麦酒醸造所(サッポロビールの前身)で技術者を務めたのは、長岡生まれの中川清兵衛であり、後に、大阪麦酒会社(アサヒビールの前身)設立に尽力したのは、元長岡藩士の外山修三。このように、新潟とビールには浅からぬつながりがあるのです。

 

新潟ハイカラ文庫集合

市民サークル「新潟ハイカラ文庫」は、ビールだけでなくさまざまな観点から魅力あふれる新潟の歴史や文化を取り上げた冊子を制作している。

 そして、まさにこの頃、新潟でビールが生まれていました。それは小規模な醸造所での独自製法によるもので、今でいうクラフトビールに近いものだったと考えられます。新潟の歴史と文化を愛する市民サークル「新潟ハイカラ文庫」の笹川太郎さんによると、「明治16年(1883)1月に、古志郡長岡(現・長岡市)の鈴木鐵造がビールを23銭で発売。7月には水原(現・阿賀野市)の佐藤一郎が、山梨県甲府のビール醸造家を招いて『芙蓉(ふよう)ビール』の醸造に成功。さらに、翌年には新潟市の土屋文二が『井桁(いげた)ビール』を発売し、ドイツ風の味わいでおいしいとアピールしています」

 

新聞広告1

「井桁ビール」を紹介する新聞広告。ロゴマークには重ね井桁の図柄が使われている。明治18年(1885)7月19日付、新潟新聞広告/東京大学大学院法学政治学研究科付属 近代日本法政史料センター 明治新聞雑誌文庫所蔵

 これらは、笹川さんが当時発行されていた『新潟新聞』の記事や広告を丹念に調べて、発見したものです。当時のビールは、日本人にとってはまだなじみのない新しいハイカラな品で、すこぶる高価。自宅で楽しむものではなく、贈り物にしたり、高級西洋料理店で注文したりする特別なものでした。「これら3つのビールが販売の時に掲げたのは、『ドイツやイギリスからの輸入に頼らず、海外産に負けない日本産のビールを造りたい』という思い。事業家としての進取の精神と行動力が伺えます」と、笹川さん。
 華々しく売り出された新潟産のビールですが、長岡のビールと井桁ビールのその後はたどれません。けれど、芙蓉ビールは新しい顔で再登場します。

 

目指すは日本一、冨士ビール誕生

新聞広告2

富士山のような図柄が見られる「冨士ビール」のロゴマーク。商品名の下にあるのは瓶のラベルだろうか。明治31年(1898)7月17日付、東北日報広告/新潟県立文書館所蔵

 明治30年(1897)、新潟新聞が中蒲原郡和舞村(現・新潟市江南区)に北陸麦酒会社が開業したと報じました。その開業式には県知事や村長など地元の名士が招待され、音楽隊・花火・露天商・芸妓の踊りなどを目当てに一般の人々が1000人も集まったという大祭典になりました。仕掛けたのは、芙蓉ビールを手掛けた佐藤一郎。新たに「冨士ビール」の名で規模を拡大して事業に乗り出したのです。「なぜ新潟で『冨士』なのかは分かりません。芙蓉が富士山の別名だからかとも思いますが、実は新潟から日本一を目指していたのかもしれませんね」と、笹川さん。
 この頃には国産ビールの生産量が伸び、ビールの人気は高まってきたものの、近代的設備を持つ大手メーカーの参入に地方の小規模メーカーは太刀打ちできず、姿を消していきます。冨士ビールも同じ道をたどったのでしょう。新潟のビール造りはここで一度、途絶えてしまったようで、調べられる限りでは現存する史料には登場しません。

 

新潟の環境はビールの「母」

栗林先生の紹介

新潟県醸造試験場で清酒造りを支えてきた経験を活かし、大学では醸造学・食品微生物学を指導。「個人的には、エッジの効いたスパイスやハーブ入りビールが飲んでみたいですね」/栗林さん

自然界から酵母を捕まえている様子

「酒造りに必要な酵母は、自然界、たとえば森や野などに無限に存在していますが、その中からビール向けの酵母を見つけ、育てていくのはなかなか大変なこと」/栗林さん

 なぜ明治時代の新潟でこのようにビールが作られたのでしょうか。新潟食料農業大学で醸造について研究する栗林喬さんに、モノづくりの観点から新潟のアドバンテージを伺いました。「日本酒もビールも醸造するためには気候や水が重要です。積雪が多く厳しい新潟の冬は、雑菌の繁殖を抑え、酵母など微生物が働きやすい環境を作ります。また、新潟の水は多くの場合、雪解け水を含んだ軟水。硬水で仕込むと飲みごたえのある味わいになりますが、軟水だと『きれいな味わい』になり、新潟ならではの淡麗辛口の酒が造り出されます。この傾向はビールでも同じで、なめらかでやさしい味わいが生まれます。また、勤勉で技術力の高い越後杜氏の存在も関係があるのではないかと思います。時代は変わりますが、平成になって、地ビールの第1号・エチゴビールが老舗酒蔵で造られたのがその証のように感じられます」
 平成6年(1994)の規制緩和をきっかけに全国で誕生した小規模醸造所。新潟では第1号に次いで多様なブルワリーが立ち上げられ、新たなビールが続々と生まれました。後編では、新潟の最新クラフトビール事情を紹介します。

 

弥彦ブリューイング_ビール集合

 

掲載日:2022/5/27

 


■ 取材協力
笹川太郎さん/新潟ハイカラ文庫
栗林喬さん/新潟食料農業大学 講師

 

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今、新潟でしか味わえないビール

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