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file-17 直江兼続の謎 その2 ~上杉家の関ヶ原~ 米沢の郷土史家にきく「直江兼続と米沢」


~上杉家の関ヶ原~ 米沢の郷土史家にきく「直江兼続と米沢」

米澤直江會4代目会長小山田信一さん
 

兼続の功績を偲ぶ米澤直江會の4代目会長小山田信一さん。「兼続をNHK大河に、と運動を始めたのは20年ほど前。当時はまだ原作になりうる小説もなくて、兼続を書いてくれる小説家探しもした」と懐かしむ。直江會は明治に兼続の家臣の子孫たちで結成され戦中に断絶。今は子孫に限らず70人の会員がいるという。

 
 
米沢市原方衆の町並み
 

米沢市原方衆の町並み。
120万石から30万石への減封で家臣を養いきれなくなったため、兼続は希望者を募り開墾地へ武士を入植させた。彼らは原方衆と呼ばれ、屋敷の後ろに広い農地を持った町並みに暮らした。生け垣は薬効のある「うごぎ」を植えることを奨励され、今もうこぎが青々としている。
 

 
 
柿渋を塗った書物
 

兼続は藩内で栗と柿を植えることを奨励した。食糧として、また栗は腐食に強い木材として、柿は柿渋が防水、防腐、防虫に役立つためだ。写真の書物は柿渋を10回塗り重ねたもの。虫を寄せ付けず保存状態が格段に良い。  

 
 
直江夫妻墓
 

直江夫妻墓
直江兼続とお船の方は、二人並んで米沢市の春日山林泉寺に葬られている。妻お船の方は景勝の息子定勝の養育に尽力し、兼続が亡くなると3000石を与えられ藩政にも影響力を持ったと伝えられる。81歳の天寿を全うした。  

 
 

 米沢30万石に移封となった上杉家はこの地に根を下ろし、一度の改易もなく明治を迎えました。会津120万石から1/4の石高に減った上杉家中を支え辣腕をふるった直江兼続は、米沢の地に何を残したのでしょう。

 上杉家の執政直江兼続は、米沢へ移封になった時、41歳でした。江戸藩邸と行き来しながら城下町を築き、治水、産業振興に腕をふるいます。直江兼続を顕彰して30年近く活動を続け、直江兼続をNHK大河ドラマの主人公にと長年運動を続けてきた米澤直江會会長で郷土史家の小山田信一さんに、兼続が米沢に残した遺産について話をうかがいました。 


 ― 上杉鷹山の師は直江兼続

 米沢で市民に最も尊敬されているのは、なんといっても上杉鷹山。しかし、実は鷹山のしたことというのは、もとをたどると直江兼続の真似なんです。自ら馬を駆って領内をくまなく巡り実情を把握すること、身分を超えて人々と接すること、質素倹約。みな兼続がやってきたことです。

 鷹山が兼続を手本にしたという根拠もあります。ご存じのように鷹山は高鍋藩から幼くして上杉家の養子になりましたが、高鍋藩秋月家の家老、三好善太郎重道が幼い鷹山に送った手紙が残されています。そこには、米沢藩を立て直すには直江兼続に学べと書かれています。

 治水や城下町の建設など、今も目に見えるものはよく知られていますので、今日は目に見えない彼の功績を話します。晩年のお船(せん)の方が病気がちだったこともあり、兼続は伊達藩医の有壁道察(ありかべどうさつ)を米沢に招きます。当時高名な医師で他藩からも招聘があったのですが、有壁家は兼続に応えるんですね。有壁家は医師養成にも非常に力を入れており、多くの医師を輩出しています。現在でも東北地方の医師は米沢出身者が多いんです。明治に入って上杉茂憲が沖縄県令になるんですが、その時有壁家も沖縄入りして医師養成所をつくります。兼続の行った人材登用が、米沢や遠く離れた沖縄で人材の養成に繋がっている一例です。

 また米沢の隣の南陽市は山形屈指のぶどう産地ですが、これも兼続が関係しています。米沢入りした兼続は財源確保のため各地で鉱山開発をするんですが、赤湯というところに甲斐から招いた鉱山師を入れているんです。その際彼らはぶどうの苗を一緒に持ってきた。それが南陽市におけるぶどう栽培の始まりです。

 兼続は情報をとても大事にする人でした。蒲生家の家臣だった西村久左衛門を御用商人にして天下の台所大坂の相場情報を得る一方、与板の「草の者」として使っていた頭領の八木家に士分を与えて米沢に呼び寄せます。農民は移封の際連れて来ることは許されませんから、米沢に落ち着いてから呼んだのです。彼らにはどんなものが売れるのか、どこの国で高く売れるのかということを調べさせました。積極的に情報を収集して作戦を立てる姿勢はその後も受け継がれ、米沢藩が明治まで生き残る基盤となっています。

 兼続が米沢に残した最大の遺産は、質素倹約と先の世代を思って今を生きる心の2つだと私は思います。市街だけでも30か所を超えるゆかりの地がありますが、それだけでなく兼続の精神が、再び皆の心に刻まれることを願っています。


協 力:新潟県立歴史博物館

 

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