file-36 伝統と創造から「時代を動かす力」へ -にいがた総おどり-
「にいがた総おどり」に込められた想い

 県内各地の祭りの中でもひときわパワフルで活気あふれる祭り-それが毎年9月の3連休に開催される「にいがた総おどり」です。約300団体、総勢14,000人の踊り子、数百名の市民ボランティアが参加し、約35万人の観客を動員するなど新潟を象徴する祭りに成長した「にいがた総おどり」。2002年に能登剛史さんを中心とした3人の手によって生み出されました。ルールはたったひとつ「心を込めて踊ること」。

「にいがた総おどり」に込められた想い

にいがた総踊り「合同演舞」

チームの枠を越え参加者が一体となって踊る「合同演舞」。踊りに込められた祈りや想いを感じながら心が一つになる瞬間。全国から集う踊り子、数百人で表現する演舞。

チーム衣装・赤

おそろいの衣装で彩られるチーム演舞も見どころの一つ。チームごとのさまざまな「色」で、新潟の街が彩られていく。

寄せ書き

踊り子による会場内の寄せ書き。想いを込めて、心を込めて。

 一生懸命に踊っている姿を見て「『これだ!』と直感した」と話すのは、総合プロデューサーをつとめる能登剛史氏。2001年、新潟の街に空店舗が増え、大手銀行が破たんし、子どもが犯罪を起こすニュースを多く耳にするようになり、暗い時代に入ったような気がしたという。そんな中、高知のよさこい祭りを新潟で再現。若者の自由に表現している姿に「踊りのチカラが世の中を変えてゆくかも」と直感した。人々が笑い合い、握手をし、抱き合う。そんな一体感に感動を覚えた。「よっしゃ、これに命をかけよう!」すぐに会社を辞め、翌年2002年9月に「にいがた総おどり」が誕生。命をかけて今年で9年目となる。

 どんなジャンルの踊りでも参加ができるのが魅力だが、「心を込めて踊る」のがルール。「心を込められる新潟の踊りを作りたい」と考え、様々な文献をひもといていくと「下駄踊り」に行き着いた。300年ほど前に四日四晩、庶民が踊り続けた踊りだ。当時の新潟は3か月に一度は地形が変わってしまうほどの水害が起こり、生きていくには過酷な土地だった。しかし当時の様子を描いた「蜑の手振り(あまのてぶり)」という絵巻物には、しょうゆ樽(だる)や酒樽(さかだる)をたたく樽砧(たるきぬた)小足駄(こあしだ)と呼ばれる下駄に、色とりどりの着物をまとい、踊りつづける庶民の姿があった。江戸にも聞こえると言われたほどの熱狂的な祭りを、人々はさぞかし楽しみに生きていたに違いない。ここから新潟に再び活気を取り戻す「新潟下駄総踊り」へのヒントを得ることとなる。

 下駄踊りを復活させようと樽砧のリズムを研究し、2005年「第4回にいがた総おどり」で初披露。同年にはロシアや台湾での海外公演も行った。2007年からは新潟市無形文化財の市山流による古町芸妓衆を加え、樽砧に太鼓、三味線のリズムに合わせ、足元には小足駄を履き、インドの民族衣装サリーの古布から仕立てた着物を身にまとった、全く新しい踊りを生み出した。小足駄を作る職人の文化を守りながら、インドの人たちの生活を支えている。「楽しいだけではなく誰かの支えにもなっていること」に想いを馳せながら踊る。県内各地の参加者と共に「地域や個人を超えて思いを繋げることの大切さ」を実感する。古くから伝わる歴史に、新しい命を吹き込み、新潟の魅力あふれるシンボルへと成長を遂げた。「当時の人々と同じように、今の人々にも大切にしていけるものを甦らせたい」。新しい形で現代に復活した「新潟下駄総踊り」にはそんな想いが込められている。

 「にいがた総おどり」は「新潟下駄総踊り」を含めた、さまざまなプロジェクトで構成されている。「次の世代の子どもたちにとって良い社会をつくりたい」という想いから、子どもたちへのプロジェクトが多いのが特徴的。毎年様々な工夫が凝らされた企画が催されているのも注目すべきところだ。

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子どもたちと共に創るレインボーチルドレンプロジェクト

子どもたちと共に創るレインボーチルドレンプロジェクト

「レインボーライズフェスティバル」の様子

子どもたちが一から創り上げる「レインボーライズフェスティバル」の様子。当日の司会進行、会場装飾、ミュージカルの台本、演出など、全て子どもたちの手によるもの。

「レインボーライズフェスティバル」の様子2

同じく「レインボーライズフェスティバル」の様子。生き生きと踊る子どもたちの笑顔が印象的。

 「世界が病んで動物達が姿を消し、人々が愛し合うことを忘れた時、世界を救うために『虹のこどもたち』が現れる」-このネイティブアメリカンに伝わるお話からヒントを得て、2004年(第3回にいがた総おどり)から始まったのが、レインボーチルドレンプロジェクト。「にいがた総おどり」のプロジェクト「Earth To Next」の中の取り組みのひとつだ。

 現在7年目に入り、「にいがた総おどり」に参加する踊り子チームに所属している子どもたちや個人参加の子どもたちまで、3歳から18歳の約250名が参加している。地球環境や世界平和について子どもたちが自ら考えて実践し、「未来」を創るプロジェクトである。さまざまなエコ活動、畑での野菜作り、「平和」とは何かを見つめ、自分たちには何ができるかを考える、などのワークショップを行っている。2010年3月には子どもたちが創り上げたミュージカルを上演した。これからも地球環境を良くしたい、もっと平和な世界にしたい、「幸せ」を感じられる世界にしたい・・・そんな想いを子どもたち自らが発信し続けている。

 

 

 

レインボーチルドレン村の想い

「総おどり」フィナーレ

「総おどり」フィナーレでの子どもたちの演舞。日ごろの練習の見せどころ。

食」ワークショップ・田植

レインボーチルドレンプロジェクトでは、子どもたちにできるだけいろいろな体験をさせているのが特徴。「食」ワークショップでは、実際に田植えも体験する。

竹を使った「スタードーム」

こちらは「住」のワークショップ。竹を使った「スタードーム」の建設。完成品を前に思わず顔がほころぶ。

 「レインボーチルドレン村」とは2010年から始まった取り組みで、子どもたちが夢のように描く村の実現を目指し、よりよい社会を築いていくための活動である。住んでいる家、着ている服、食べている物はすべて子どもたちの手づくり。まさに子どもたちが自分たちの手で「村」を創り上げていく。「生きる力」にあふれる「レインボーチルドレン村」を創り上げるために、プロジェクト初年度は、「衣」「食」「住」の基礎を身につけるワークショップを行った。例えば「衣」では自分が着たいと思う服やアクセサリーを作り、「食」では苗を植え、米を作って、畑で育てた野菜を使ってごはん作りに挑戦する。「住」では竹と布を使って「スタードーム」と呼ばれる建物をお互いに協力しながら作る。子どもたち自身が「村」を創りあげ、踊りを含めたこうした共同体験を通じ、お互いを思いやったり、支え合ったりすることができるようになってほしいという想いがある。総合プロデューサーである能登氏は、14,000人もの人々と一緒に「総踊り」の活動を進めていくうちに、こうした想いが自然と生まれてきたのだと話す。自然や動物を愛し、守っていくために何ができるか、どうしたらこの地球をより良くし、次の世代へ受け継いでいくことができるのか。それを具体的な形で、子どもたち自らの手によって、実現させようとしたのがレインボーチルドレン村である。このレインボーチルドレンワークショップは、上・中・下越の各地域で取り組まれている。新潟市から始まった「にいがた総おどり」だが、県内各地へと活動が広がっているのも見逃せない。「次の世代の子ども達のために感動をつくりたい。根底に流れる力、ハートが人の心や時代を動かす力になる」-こうした能登氏の「心」が次世代を担う子どもたちへ受け継がれていくことだろう。

→ レインボーチルドレンのワークショップブログ

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「踊り」から派生した新しい文化活動

「踊り」から派生した新しい文化活動

新潟の象徴「樽砧(たるきぬた)」

永島鼓山先生

永島流新潟樽砧伝承会。毎年「新潟下駄総踊り」のリズムを刻む、祭りにはなくてはならない存在。創始者・永島鼓山先生(現在81歳)により伝承されている。

 踊り以外の活動も「総おどり」を支える大切な要素。中でも見逃せないのが、新潟独自の文化である「樽砧(たるきぬた)」である。

 その昔、新潟の海岸沿いは漁師の町として栄えており、漁が生活の糧であった。漁の最中に嵐に遭遇した船乗り達は、海の龍神に助けを求め、祈りながら船底を叩きつけたという。後にこの話が祭の囃子(はやし)に取り入れられ、庶民が家で使わなくなったしょうゆ樽(だる)や酒樽(さかだる)をバチで打ち、踊りを踊っていたと伝えられている。

 明治の頃、尾崎紅葉(おざきこうよう)が新潟町の花柳界(かりゅうかい)や芸妓(げいぎ)を見て詠んだ句をきっかけに、新潟独自に発展したこの樽太鼓のことを「樽砧」と呼ぶようになった。北原白秋(きたはらはくしゅう)も新潟の象徴として、歌に詠み伝えてくれていることからも、新潟の貴重な文化であったことがうかがい知れる。しかし時代の流れとともに、その活動はだんだんと衰退していき、最近までごく一部の教育機関や花柳界でのみ維持されているにすぎなかった。これを能登氏らが伝統文化継承活動とし「新潟下駄総踊り」という新たな文化と融合させたことによって、2005年以降再び多くの人々に注目されることとなった。樽砧は現代においても、昔を今に伝える「新潟の象徴」としての地位を築きつつある。

誰でも参加できるさまざまなプログラム

エコウォーク

エコウォークのごみ拾いの様子。街をきれいにするだけでなく、多くの人とふれあい、つながりを意識し、視野を広げるのが活動の目的。

子どもたちのワークショップ

子どもたちのワークショップ。踊りの講習会での一場面。練習にも熱が入る。

 「にいがた総おどり」では毎月1回「エコウォーク」と称して、2004年からゴミ拾い活動をしている。2010年からは、「地産地消のお料理教室」や「手作りキャンドル」などの体験も取り入れながら、さらに内容を充実させたエコ活動を展開している。

 また、その他の取り組みとして、心身にハンディキャップを背負った子どもたちも対象とした「チャレンジド」、学校での総合学習授業などで踊りの講習会を開催する「学校向けプロジェクト」、一致団結してものづくりに取り組む「ものづくりプログラム」など、活動は幅広く展開されている。

「にいがた総おどり」の思い描くビジョンとは?

「チャレンジドプロジェクト」の演舞

「チャレンジドプロジェクト」の演舞。「challenged:チャレンジド」とは「神様からチャレンジするべき才能を与えられた人」という意味の言葉。県内の福祉施設の方々が、練習してきた踊りを披露。障害のあるなしを超えて、会場は一体感に包まれる。

 こうした一連の幅広い活動は、「目的のために選択できるいくつもの手段」と能登氏は語る。「にいがた総おどり」は、より良い世の中を次の世代の子どもたちに残してゆく活動であり、3日間のお祭りはいわば他の362日の集大成。今年から始まった「天地人(あまちびと)プロジェクト」では一つの楽曲で、上・中・下越、異なる難しい振付で踊る。一つの踊りを、地域を越えて「ひとつ」になる想いと努力で結ばれてゆく。時代を作っていくのは私たち一人ひとり。感動という芸術のチカラが多くの人々の心を動かし、一人ひとりが大切な存在だと気づかせてくれるのが「にいがた総おどり」の魅力かもしれない。今年も「心を込めて踊る」人々の熱気に、新潟の街が大きく包まれることだろう。

「にいがた総おどり」
写真・取材協力:新潟総踊り祭実行委員会

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