file-85 越後杜氏と酒造り唄

  

越後杜氏の歴史と特徴

越後杜氏の歴史と技

 
新潟県醸造試験場 場長 渡邊健一さん 越淡麗

新潟県醸造試験場 場長 渡邊健一さん
新潟市出身。国税庁醸造試験所研究員を経て、1991(平成3)年より全国唯一の酒に特化した県立の研究機関である新潟県醸造試験場に勤務。2003(平成15)年より現職。大学での醸造の講義も担当。

 清酒王国と呼ばれる程の一大日本酒生産地、新潟県。そう呼ばれるまでに至るには、酒造りに適した酒米と良質な水、そして技を磨き、脈々と受け継がれてきた「越後杜氏」と呼ばれる人たちによる歴史があります。

 杜氏の一年は春から秋にかけては農家として自分の田畑で働き、冬は仲間を引き連れ、そのチームリーダーとして県内外の酒蔵へ酒造りの出稼ぎをしにいくという生活。かつては出稼ぎによる県外での酒造りが盛んで、1968(昭和43)年には922人もの越後杜氏が活躍していましたが、現在では100人を割る程に減少しています。全国28都道府県もあった出稼ぎ先も減り、今ではそのほとんどが県内の酒蔵に勤めています。減少の大きな要因が高度経済成長による人々の暮らしの変化。土木作業の増加をはじめ、出稼ぎをせずとも地元で生計が立てられるようになり、また都市部への人口流出が加速し、越後杜氏は県内に90ある酒蔵とごく少数の出稼ぎの杜氏のみになりました。

 越後杜氏の特徴は何といっても勤勉さと粘り強さ、そして優れた技術と品質へのこだわりです。「越後杜氏は非常に勉強熱心」と言われており、昔から各地で頻繁に勉強会を開き、杜氏同士お互いに切磋琢磨していたそうで、その堅実な仕事ぶりは出稼ぎ先でも重宝がられたそうです。しかし、時代の流れと共に酒造りの担い手は減少。そこで新潟の酒造業界は技術の継承・発展を目指し総力を結集して1984(昭和59)年に「新潟清酒学校」を開校しました。ここでは酒蔵から派遣された社員が、酒蔵での業務と平行して専門の勉強を3年間行います。開校から30年が経ち、約500名が巣立ったなかで多くの卒業生が杜氏となり、今後更に増えていく見込みです。

 新潟県醸造試験場の渡邊場長にお話を伺ったところ「新潟のお酒はお米をよく磨きます。全国的には大吟醸のような高いお酒であれば良く磨かれるのは当然ですが、新潟は晩酌酒のようなレギュラー酒でも非常に良く磨きます。さらにもともと酒造りにはミネラルを多く含んだ硬水が優れていると言われてきましたが、新潟の水は軟水というハンディがありました。軟水だと発酵が遅く、その分造りに失敗してしまう恐れがあったからです。しかし吟醸タイプのお酒は酒米をしっかり磨いてゆっくり発酵させるのがポイント。そこで技を磨き、軟水の発酵の遅さを逆手に取った製造方法に着目しました。同時に『五百万石』や『越淡麗』といったスッキリとした味わいの酒米を杜氏・農業試験場・醸造試験場が研究を重ね開発し、開発したお米を良く磨いて軟水・低温でゆっくりと発酵させる「長期低温発酵法」が新潟の特徴として定着しました。研究熱心で粘り強い新潟流の造りが確立されているのです」。

越後杜氏の4大出身地と酒造図絵馬

 越後杜氏と一言で言っても、ここは広い新潟県。地区ごとでさらに呼び名があります。数多い杜氏たちの中でも四大杜氏と呼ばれているのが、頸城(くびき)杜氏[上越・妙高・柿崎・吉川]、刈羽杜氏[刈羽・柏崎]、越路杜氏[越路・小千谷]、野積(のづみ)杜氏[寺泊]。特にかつては県外への出稼ぎが多かったこともあり、地域ごとに赴く先に傾向がありました。頸城杜氏は愛知・岐阜・三重、野積杜氏は北海道が主な出稼ぎ先で下越にも多く出稼ぎにいっていたという記録が残っています。

 そんな出稼ぎが多かった時代の酒造りの様子はどのようであったか。酒造りの歴史を知る上で重要な文化財に「酒造図絵馬」というものがあります。神社やお寺に奉納し、また現場の士気を挙げるために描かれたと言われており、新潟県内では長岡の松尾神社と根立寺(こんりゅうじ)、そして柏崎の松尾神社に伝わる三点が確認されています。松尾神社とは京都に総本社がある酒造りの神様を祀った神社です。根立寺の絵馬には圧搾(あっさく)・濾過(ろか)の工程が描かれており、ふたつの松尾神社のものは酒米を貯蔵する蔵から酒屋の店先、酒造工程、蔵人(酒造りの技術職人)たちの休憩所まで描かれています。なかでも長岡(旧越路町)の松尾神社に1883(明治16)年に奉納された「松尾神社酒造図絵馬」は市の指定文化財であり、121cm×303cmという大きさは全国的にも珍しく、注目されているものです。酒造りの工程や道具類はもちろんのこと、蔵人たちが食事や歓談をしながら寛いでいるシーンもあり、その服装やライフスタイルを垣間みることができます。

 

松尾神社酒造図絵馬 長岡市指定文化財 写真提供:長岡市立科学博物館 酒造り絵馬

「松尾神社酒造図絵馬」(写真提供:長岡市立科学博物館)
2003(平成15)年に指定文化財に認定。全国にある酒造り絵馬の中でも、大きさ、内容ともにトップクラスと言われています。

file-85 越後杜氏と酒造り唄

  

良質な酒を生み出す越後の酒造り唄

酒造り唄と酒造りの密接な関係

仕込みが終わってから行う「切り火」

仕込みが終わってから行う「切り火」
火打石を鳴らし、祝詞をあげ、安全醸造を願い神様に祈ります。

「とろりしやらりと 今とぐ米は
          酒に造りて 江戸へ出す」
 かつて、酒造りの現場では「酒造り唄」という唄が唱和されていました。唄うことで作業時間を計ったり、疲れ果てた身を奮い立たせたり。そうすることで作業の正確性はもちろん、作業の効率化や眠気覚まし、危険防止に仲間意識の向上といった効用もありました。また蔵は音の反響がよく、辛い作業をやりきる上で高らかに歌い上げることは楽しみでもあったといいます。歌詞は、労働の厳しさやふるさとに残す妻子への想いなど様々で、リズムも流し唄であったり、威勢がいいものであったりと変化に富んだラインナップです。
 
 【主な酒造り唄の一例】
1:桶(おけ)洗い唄…直径6尺、高さ7尺もある大樽の中に二人で入り、自由な節回しで音頭取りが高らかに唄い、洗いながら合いの手をいれます。
2:米洗い唄…桶の中で足を使って米をとぐ際の唄。桶洗い唄と同じく音頭取りに続いて他のものが声を揃え、足の動きを合わせます。
3:数番唄…旋律はなく、日本語の持つリズムを活かしたかけ声のようなもの。水を運ぶ時など数の確認はすべてこの唄が唄われました。「二、日光結構中禅寺〜」といった語呂合わせなどユーモアが込められた歌詞も。20番まであります。
4:酛(もと)すり唄…蒸米・水・麹をすりあわせ櫂(かい)ですりつぶす作業。哀調を帯びた唄に合わせてリズミカルに櫂を動かします。
5:仕込み唄…日本酒独特の三段階に分けた仕込み方で、2mの櫂を使っての本仕込み。威勢の良い唄声に、酒を造る男たちの弾むような心意気がみなぎっています。
6:二番櫂…夜なべをしながら桶の中の温度が一定になるようかき混ぜます。杜氏の音頭で表面を二回突き、三回目に桶の底まで力強く櫂(かい)を入れます。酒造り唄の中で最も代表的なものです。
7:三ころ…酒造工程も最後の頃に唄われます。最後を締めくくるにふさわしい軽やかで華やかな響きに、喜びが込められています。
 
 他にも流し唄、酛(もと)取り唄、床揉み(とこもみ)唄、道中唄など、作業工程ごとに唄があり、その数は10種類以上あったことが現在でも伝えられています。
 
 「夜中二時間おきに唄いながら世話をしたりと、酒造りは子守りと一緒。きっと唄わないと眠くなったんだと思います。途中で酒の様子が変わったら『酒はどういった原因でこんな状態になった』という風に突き止められる杜氏はお医者さんですね。そうして子どもが一人ひとり違うように、お酒も一つひとつ違うものに成長します」(新潟県酒造従業員組合連合会・新潟清酒学校元事務局長 本間さん)。
 
 実作業だけではなく、仕込みが終わった時にも唄があります。昔は温度管理が難しく製造過程で酒が腐りやすかったこともあり、醸造の安全を祈念して火打石で火花を起こし、神に「切り火」という祝詞(のりと)をあげていました。
 
 このように酒造り唄は実務的にも精神的にも、昔の酒造りには欠かせないものだったのです。
 

酒造り唄が唄えないと半人前?

 
 
酒造り唄を唄いながら櫂(かい)をつく 越後杜氏 酛すり

 

酒造り唄を唄いながら櫂(かい)をつく
かつてはどの蔵でも酒造り唄を唄いながら醸造する様子を見ることができました。現在では催事などでしか目にする機会がなくなり、唄を知らない蔵人も多いとのこと。

 

 造りに酒造り唄が欠かせないことを象徴する言葉が「唄半給金(うたはんきゅうきん)」。越後杜氏独自のキーワードで、酒造り唄を満足に唄えなければ、給金(お給料)は半分しかもらえない、という意味です。つまり、それだけ酒造りの作業の中で唄が果たす役割が大きかったということ。蔵は「三ムイ」=「眠い・寒い・けむい」といわれた場所。ただでさえ過酷な環境であるのに、そこでチームワークを乱してしまっては酒の質、現場の士気、すべてにダメージを与えてしまいかねません。例えば米洗いの場合仕込みをはじめる際の米洗いの最初の日を「洗いつけ」と呼びますが、この時桶の中に一斗の米を入れ、二人で足洗いをします。機械のなかった当時、凍てつくほどの冷水の中、器用に足で米をすくい、隣に送る。そしてその動作を繰り返す。手も足もヒビが切れ、血がにじんだそうです。息が合わなければ作業は遅れるわけで、効率よくスムーズに進めるためにも、唄が重要であったことは想像に難くありません。また計量に関しても、計測ミスは致命的。杜氏が熟練の技術とカンを持って微細な変化を察知し、発酵を止めたりする世界。杜氏の感覚が経験によるものとは言え、最近の研究ではコンピューターによる計測結果と合致していた結果も出ているほどの正確さです。そんな緊張感漂う場で、計量ミスはあってはならないことであり、チーム全体で間違いを防ぐためにも唄は重要な役割を担っていました。「この世界の人たちは『和』を大切にしていますが、こうやって息を合わせて一丸となって取り組まないといいお酒は出来ません」(本間さん)。
 
 当時のエピソードからも、唄を身につけることがそのまま酒蔵で働く人間としての技能アップに直結していたことが読み取れ、「唄半給金」が大袈裟とは言えなかったことが伺えます。
 

地域や蔵によって異なる酒造り唄

 酒造り唄は全国の酒蔵で唄われていましたが、ルーツは同じくとも地域によって節回しや歌詞に違いがあります。

 新潟県内でも、野積(寺泊)のエリアは農村ではなく漁村だった背景から、勇壮な唄い方であるなど、出身地によって節回しが微妙に変化。酒蔵ごとの酒造技術の伝承とも密接に関わっていると考えられています。

 伝承という面から考えると現在行われている新潟清酒学校での教育など、各酒蔵の垣根を越えた技術提携は、蔵で育んできた技術の流出ではないのかという疑問がわきます。しかし長年新潟の酒造りを見てきた渡邊さんによると「研究調査が進んできて、良い酒を造るための原料配合や温度経過などのデータはたくさんあります。しかしその情報をそれぞれの蔵に持って帰って真似ても、決して同じお酒にはなりません。これが酒造りの面白いところで、麹のタイプやもろみの発酵状況など細かいところで蔵や造る人の個性が自然と出るのです。また、失敗例は真似すると必ず失敗するので、そういったことを防ぐ意味も含め、情報をオープンにして共有することが新潟県の酒造りのレベルアップに繋がっています」ということのようです。

 酒造機械の普及や作業形態の変化によって現在ではほとんど唄われなくなった酒造り唄。現在の現場では唄える杜氏がいる蔵でわずかに伝承されるほどですが、一方で文化としての研究が進められ、全国的にも保存活動が活発に行われています。県内では若者を取り込んだ「酒造り唄を歌い継ぐ会」の発足やCD・ビデオの制作や書籍の制作、そして公演活動が行われています。新潟清酒学校の学校祭での定期的な発表をはじめ、表参道ネスパスや「にいがた酒の陣」などの各種イベントでの公演、さらには日本の伝統作業唄として2002年にはドイツで公演が行われるなど、大きな広がりをみせています。

現在とこれからの新潟の酒造り

 
新潟県酒造従業員組合連合会・新潟清酒学校元事務局長 本間久美子さん

 

新潟県酒造従業員組合連合会・新潟清酒学校元事務局長 本間久美子さん
清酒学校の醸造に関わる人づくり・酒造りに裏方で尽力。消費者の立場、女性の視点を心がけてきたとのこと。

 日本酒のシェアはビールやワインといった他の酒に押され気味でしたが、上向きになってきているとのデータがあります。新潟は「1989(平成元)年を基準として今2015(平成27)年が約7割の出荷量です。この間、全国的には4割まで落ち込んでいるので、出荷量は下がってはいても新潟の清酒の全国シェアは実は着実に高まっているのです」(渡邊さん)。その影には、昔から「これからは出稼ぎが減るだろう」と先を見越し、学校の設立などの「人づくり」に尽力した先人たちの取り組みや、時代のニーズに合わせた技術や酒米の開発などの積み重ねがあります。「お客さんの好みが変わるから、それに合わせて技術も進化します。質を良くするためには、いい材料を揃えるだけではなく、最高のものを造る技を持っていることが大切ですね」(本間さん)。
 
 そして、毎年盛り上がりを見せているのが「にいがた酒の陣」。2004(平成16)年に新潟県酒造組合50周年記念としてスタートして以来、回を重ねて今年で11回目です。各酒蔵が一年前から準備を重ね、看板商品はもとより限定酒の発売など趣向を凝らしたPRを行います。2014(平成26)年には2日間で約10万人が来場し、県内はもとより、全国からのツアーでの来場や海外のお客様も多く、ビッグイベントに成長しています。今年の開催は3月14日(土)、15日(日)。今年も約90の酒蔵の地酒500種類以上を多彩な料理と一緒に楽しめます。
 
 「お酒は、そのものがコミュニケーションツール。誰と飲むか、どういう場面で飲むかによって変わってきます」という本間さんの言葉通り、酒の味わいはもとより、歴史や文化、そして飲み方など新潟が誇る豊かな酒文化を存分に楽しみましょう。
 

     

    


■ 取材協力・資料提供
新潟県醸造試験場 場長 渡邊健一さん
新潟県酒造従業員組合連合会・新潟清酒学校元事務局長 本間久美子さん

■ 参考資料
「明日を切り拓く越後杜氏たち」新潟県酒造従業員組合連合会
「新潟清酒ものしりブック」新潟日報事業社
「日本の酒造り唄 定本」阪田美枝 チクマ秀版社
「越後杜氏と酒蔵生活」中村豊次郎 新潟日報事業社
「越後杜氏の足跡」新潟県酒造従業員組合連合会編 新潟日報事業社
「新潟淡麗の創造へ」新潟県酒造組合

 

file-85 越後杜氏と酒造り唄 県立図書館おすすめ関連書籍

  

県立図書館おすすめ関連書籍

「もっと詳しく知りたい!」、「じっくり読みたい!」という方、こちらの関連書籍はいかがでしょうか。以下で紹介しました書籍は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。ぜひ、県立図書館へ足をお運び下さい。

▷『にいがた日本酒手帖 最新版』

(ニューズ・ライン/2014年)請求記号:N588/N726
 “日本酒王国”新潟の全酒蔵を網羅した本書では、それぞれの蔵元の代表銘柄を写真付きで特徴とともに紹介しています。戦後の日本酒の歴史を15のキーワードで読み解き、新潟オリジナルの酒米「越淡麗」や新潟県醸造試験場の取り組みをまとめた「本当にすごいのか?新潟清酒」は読み物としても楽しめます。酒米の精米歩合やラベルの見方などを紹介した「日本酒のイロハ」は、自分好みのお酒を見つけるために欠かせないポイントです。地酒自慢の酒屋さんがおすすめする「お燗をつけるとうまい酒」などの紹介ページもあり、今日の晩酌に飲みたいお酒が見つかるかもしれません。

▷『ケンカ酒 新潟の酒造り 小さな蔵の挑戦』

(高橋真理子著/新潟日報事業社/2012年)請求記号:N588/Ta33
 「日本酒は人の顔が見えたとき、おいしさがわかる酒」。「はじめに」にこのように記した著者が、五泉市(旧村松町)の金鵄盃酒造で「ケンカ酒」の造りを丹念に取材してまとめた1冊です。「ケンカ酒」は、品評会に出品する酒のことで、蔵人がもつ技術や経験、知識が惜しみなく注がれます。酒と向き合い技術を磨きながら、蔵人をまとめる杜氏の真摯な姿勢。酒造りの現場の情熱が伝わる本書を読むと、次に飲むお酒の味もいっそう美味しく感じられそうです。
 杜氏についての書籍は、「八海山」の名杜氏である高浜氏の言葉を収めた『杜氏千年の知恵 米、水、人を生かし切る日本の酒造り』(高浜春男著/祥伝社/2003年 請求記号:N588/Ta31)や、「杜氏」「酒男」についての研究書『越後杜氏と酒蔵生活』(中村豊次郎著/新潟日報事業社/1999年 請求記号:N588/N37)なども県立図書館で所蔵しています。
 

▷『日本の酒造り唄 定本』

(阪田美枝著/チクマ秀版社/1999年)請求記号:767/I26
 酒造りの工程管理が機械化され変化が進むとともに、酒造り唄が歌われる機会も少なくなり、唄を歌える人も減ってきています。何とか今、酒造り唄を残したい、と著者は全国での調査を開始します。最初は「無理だ」と言われた酒造り唄の採集でしたが、4年の歳月をかけて越後杜氏をはじめとする各地の杜氏を訪ね、400人にも及ぶ関係者への取材を経て、本書は完成しました。厳しい環境で作業にあたる蔵人や杜氏の呼吸を合わせ、疲れを癒してきた酒造り唄。本書の付録CDで実際の酒造り唄を聴くことができ、歌詞も本書に採録されています。
 このほか、『越後酒造り唄 創立30周年記念誌』(新潟県酒造従業員組合連合会編・発行/1996年 請求記号:N588/N725S)には「酛すり唄」や「道中唄」など越後杜氏の酒造り唄が採録されています。また、『日本の酒造り唄』(宮内仁著/近代文芸社/1997年 請求記号:388/Mi86)では、「D 越後の酒造り歌」の中で米洗い唄・もと摺り唄・二番櫂唄などについて、歌われる時の酒造りの工程の解説とともに紹介しています。

ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
(025)284-6824(貸出延長・調査相談)
新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

 

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