県内には多くの美術館や博物館があります。それぞれにどんな収蔵品があるのかは、あまり知られていませんが、実は「意外なお宝」があります。前回のfile-177に続き、今回も各館の方々に「収蔵品の中でも特別なお宝」について伺いました。
1.「村上市郷土資料館」のお宝は?

村上市郷土資料館館長 建部(たてべ)昌文さん
Q.村上市郷土資料館の「これぞお宝」は?
A.当館2階に展示されている歴代村上城主資料のうち、本庄繁長(ほんじょうしげなが)が着用した兜です。
Q.その兜はいつ、誰が作ったものですか?
A.天文年間(1532~55)、上州明珍(みょうちん)の作です。繁長が天正16年(1588)の十五里原の戦いで着用し、一命を救われたもので、正面やや右に東禅寺右馬頭(とうぜんじうまのかみ)の太刀によってつけられたきずが残っています。精巧かつ実戦的につくられており、いかにも戦国武将らしい兜です。

赤い○で囲った鋲の取れているところが一太刀が浴びせられた部分です。
Q.本庄繁長はどんな人ですか?
A.繁長は、戦国・江戸時代前期の武将です。越後本庄(村上)城主で、上杉景勝が会津に移封(いほう※1)された後は、陸奥守山城代(※2)、陸奥福島城代を務めました。
天文22年(1553)、長尾景虎(上杉謙信)の家臣となり、その後川中島合戦や関東などへ出陣しました。天正16年(1588)、東禅寺右馬頭を大将とする山形城主最上義光の軍勢に十五里原の戦いで大勝します。展示している兜は、このとき繁長が着用していた兜です。
※1:大名を元の領地から他の領地へ移すこと。領地替え。
※2:城代は城主の留守中に城の管理や防衛を任された家臣や、江戸幕府が置いた職名を指す。
この兜は、のちに直江兼続に贈られますが、直江家から加賀前田家の家臣本多政寛(まさひろ)に贈られ、以来本多家の家宝とされました。明治になり幾人かの所有者の変遷を経て、昭和60年(1985)に茨城県立下妻第一高等学校から村上市に寄付いただいたものです。
Q. その「お宝」を見る方法は?
A.村上市郷土資料館2階の展示場で常設展示しています。
○村上市郷土資料館
新潟県村上市三之町7-9 TEL(おしゃぎり会館)0254-52-1347
https://www.iwafune.ne.jp/~osyagiri/
2.「新潟県立自然科学館」のお宝は?
Q新潟県立自然科学館の「これぞお宝」は?
A.《三菱式MU-2型 双発ターボプロップ※》です。
※ターボプロップは航空機のエンジン形式のひとつ
Q.どんなところが「お宝」なのですか?
A.このMU-2型は、国産初の小型ターボプロップビジネス機です。本展示はその1号機で、昭和38年(1963)9月14日の初飛行後、昭和39年(1964)12月26日までに約360時間の飛行を行い、様々な性能テストに使用されました。
Q、どうして自然科学館の「お宝」になったのですか。
A.このMU-2型は、小型機として世界初の技術をいくつも適用して、762機が販売されたベストセラー機です。
令和7年(2025)4月、独自の技術を適用して型式証明を取得した点が評価され、一般社団法人日本航空宇宙学会の認定する、航空宇宙技術遺産に認定されました。
当館に展示されている機体は、飛行テストに使用された後、昭和40年(1965)のニューヨーク万博や昭和44年(1969)の東京国際見本市に出展され、その後は東京の科学技術館へ貸与されていましたが、当館が開館するにあたり、三菱重工業より寄贈を受けました。
Q、その「お宝」を見る方法は?
A.屋外展示場に常設展示しているため、開館時間中はいつでも見ることができます。
○新潟県立自然科学館
新潟県新潟市中央区女池南3-1-1 TEL. 025-283-3331
https://www.sciencemuseum.jp/
3.「新潟市歴史博物館みなとぴあ」のお宝は?

新潟市歴史博物館みなとぴあの貝沼良風(よしかぜ)さん
Q.新潟市歴史博物館みなとぴあの収蔵品の「これぞお宝」は?
A.当館のお宝は、湊町としての新潟町が描かれた《新潟町絵図》です。
Qそれはどんな作品なのですか?
A.その名の通り、新潟町を描いた絵図で、文政6年(1823)に描かれたものです。北前船の寄港地として栄えた、江戸時代の新潟の姿を知ることができる貴重な史料です。
当館の常設展示室では、信濃川河口で栄えた湊町としての新潟について紹介しています。その中にある新潟町の町割りや、その町にいくつもの堀が通されていたことを説明するパネルは、この絵図を基に作成しています。小路の名前などは、今も使われている地名があるので、近辺を歩いたことがある人は「おっ?」となるかもしれません。
Q、その「お宝」を見る方法は?
A.企画展で展示されることがありますし、当館ホームページ内の「おうちみなとぴあ」から画像データを閲覧することもできますよ。
・おうちみなとぴあ
https://www.nchm.jp/?page_id=1518
○新潟市歴史博物館みなとぴあ
新潟県新潟市中央区柳島町2丁目10番地 TEL 025-225-6111
https://www.nchm.jp/
4.「北方文化博物館」のお宝は?

左端が北方文化博物館の田中茉莉恵さん。「北方文化博物館で、伊藤家三訓の一つとして茶の間に掲げられている扁額(へんがく)には『楽事以不盡為有趣(楽事は尽くさざるを以て趣有りと為す)」と書かれています。明治の三筆の1人、日下部鳴鶴(くさかべめいかく)の書で、「楽しいことはほどほどに……』といった意味合いの戒めの言葉です。」
Q.北方文化博物館の収蔵品で「これぞお宝」は?
A.日本の民藝運動に深い関わりを持つイギリスの陶芸家、バーナード・リーチの絵です。リーチの作る皿のモチーフによく出てくる鹿図で、おそらく下絵。図にある53.(=1953)年は昭和28年。同年10月の伊藤邸(現北方文化博物館)訪問時に描き残したものと思われます。

バーナード・リーチ(1887-1979)/《鹿図》
Q.なぜ、バーナード・リーチの絵が伊藤家に?
A.第二次世界大戦後、農地解放により解体の危機にあった大地主・伊藤家は、財団を設立し、博物館として屋敷を開放することで活路を見出しました。
名称は、七代伊藤文吉と親交のあった文化人らの助言により、スウェーデンのストックホルムにある世界的な民俗博物館「北方博物館」を模範とし、また日本の北方に位置する新潟の「文化」を残し伝えるため、「財団法人北方文化博物館」となりました。
その館名への助言を行ったとされる文化人の中に、民藝運動を通してリーチに繋がる人たちがいたわけです。
昭和28年~29年(1953〜1954)のリーチの日本滞在日記をまとめた「バーナード・リーチ日本絵日記(講談社学術文庫)」によれば、昭和28年(1953)10月12日に、インタストリアルデザイナーの柳宗理(そうり)、陶芸家の浜田庄司とともに新潟を訪れたリーチは、「私たちは、これまで見たうちで最も魅力ある家宅の一つで夜を過ごした。ここには古い領主の家と、見事に釣合のとれた、静かで威厳にみちた庭がある。」と記しています。
このリーチの「鹿図」は、北方文化博物館の草創期へ導いてくれる当館のお宝の一つなのです。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.館内「中の間」のテーマ展示にて、令和7年(2025)8月9日~令和8年(2026)2月28日 展示しています。
○北方文化博物館 新潟県新潟市江南区沢海2丁目15-25 TEL.025-385-2001
https://hoppou-bunka.com
5.「木村茶道美術館」のお宝は?

木村茶道美術館館長の石黒信行さん
Q.木村茶道美術館の収蔵品で「これぞお宝」は?
A.楽(らく)茶碗23点です。初代である楽長次郎(らくちょうじろう)より15代楽直入(らくじきにゅう)までの、全代作による楽茶碗コレクションです。
木村茶道美術館は、柏崎市の旧家に生まれた故・木村寒香庵重義(きむらかんこうあんしげよし)翁(※1)が収集した茶雑具、および先祖伝来の山林、家屋敷と約1億円相当の株券を含む一切を柏崎市に寄付し、できた美術館です。ただ、この楽茶碗23点をいつ、どれくらいの時間をかけて収集したのかは分かっていません。
※1 柏崎近郊の北条村の旧家・木村家39代目当主として生まれ、早稲田大学、海外留学を経て教育者となり、後に北条村村長を務めながら、茶道教師としても名高い人物。
Q.その23点のお宝の中でも、特に見てほしいものは?
A.黒楽(くろらく)茶碗の《武悪(ぶあく)》です。長次郎は、中国より渡来した安土桃山城の瓦(かわら)を焼いた職人と伝わっています。千利休(せんのりきゅう)が中国や朝鮮で作られた茶碗ではなく、自分を追求した「侘茶(わびちゃ)」にふさわしい茶碗を作りたいとの思いから、長次郎を中心とした作陶プロジェクトを立ち上げ、利休が指導して、赤い茶碗と黒い茶碗を生み出しました。そのプロジェクトには利休の息子も参加し、以後代々が楽焼(らくやき)を世に送り続けています。

黒楽茶碗 銘《武悪(ぶあく)》長次郎 作
《武悪》は、利休の孫の宗旦(そうたん)を通じ、茶道の三千家(さんせんけ(※2))の一つ、武者小路千家に代々伝わった茶碗でした。しかし天明8年(1778)、京都の天明の大火により被災したと8代休翁宗守(きゅうおうそうしゅ)が箱の蓋に書き付けています。その後に、「武悪」は裏千家に渡ったようで、明治初期に裏千家12代又玅斎(ゆうみょうさい)が柏崎を訪れた時、柏崎市田尻の地主・山田家へ伝えられました。
※2 茶道の流派である表千家、裏千家、武者小路千家の三つの家元の総称。利休の孫・千宗旦の息子たちがそれぞれの茶室を建てたことに始まりました。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.当館は周年事業を5年ごとに行っており(令和6年(2024)は40周年事業を開催)、楽茶碗全品を展示しています。当美術館では展示された館蔵品の茶道具を使用して、18畳の茶室で席主が説明を行いながら点前をし、お茶席を毎日楽しんでいただけます。これは、収集した寒香庵翁の「使ってこそお道具であり、使わなければお道具が死んでしまいます」との考えから、開館当初からこの方式で行っています。展示された茶椀をガラス越しに見るだけでなく、実際に手に取り使って楽しむことができるのは、多分全国でも当館が唯一だと思います。
初代、2代、3代の茶碗は実際に使用して茶席を楽しむことができますし、年間を通じて色々な代の楽茶碗を茶席で使って楽しんでいただいています。
○木村茶道美術館
新潟県柏崎市緑町3−1 TEL.0257-23-8061
http://www.sadoukan.jp
6.「フォッサマグナミュージアム」のお宝は?

フォッサマグナミュージアムの茨木洋介さん
Q.フォッサマグナミュージアムの「これぞお宝」は?
A.《緑色ヒスイ 翠の足》(りょくしょくひすい みどりのあし)です。
サイズは長さ22センチ、幅10センチ、高さ11センチで、重さは3.13キロ。この大きさでこのような鮮やかな緑色が表面に出ている美しいヒスイは、当館の展示品では他にありません。この名前は、形がちょうど人の足首から下の部分に似ていることから付けられたんですよ。
Q.この足の形は、誰かが作ったのですか?
A.作者は、強いて言えば「地球」です。ヒスイは、大陸のプレート(岩盤)の下に海底のプレートが沈み込む「沈み込み帯」の地下およそ30km、圧力が高く温度が低い場所でできる岩石です。成分が純粋なヒスイは白い色ですが、微量な鉄やクロムが含まれるヒスイは緑色です。他に淡い紫色や青色、黒色のヒスイもあります。
糸魚川市を代表する石であるヒスイは、平成28年(2016)に「国石」に選ばれ、令和4年(2022)には新潟県の石に指定されました。この「翠の足」は、ヒスイを新潟県の石にするためのPR用ポスターに使われました。
Q.どこで見つけたのでしょうか?
A.《翠の足》は、糸魚川市にお住まいだった故・井合作蔵(いあいさくぞう)さんが所有していたもので、1950年代に青海川で発見され、東京の国立科学博物館で開催された特別展で展示されたこともあります。平成26年(2014)11月に井合さんからフォッサマグナミュージアムにご寄贈いただき、翌平成27年(2015)3月のリニューアルオープンの時に公開しました。
Q.その「お宝」を見る方法は?
A.フォッサマグナミュージアムの常設展示室(第1展示室)に展示中です。
○フォッサマグナミュージアム
新潟県糸魚川市大字一ノ宮1313 025-553-1880
https://fmm.geo-itoigawa.com
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