「雪を友とし、雪を楽しむ」という発想から生まれた「十日町雪まつり」。
地域の伝統産業である織物もまた雪国の冬の仕事として発展しました。雪まつりや「きもの絵巻館」を訪ね、雪がもたらした文化に触れました。
毎年雪深い2月に3日間かけて開催される「十日町雪まつり」は、豪雪の厳しい冬を明るく乗り越えようという市民の発想から始まりました。
趣向を凝らした雪像がみられる「雪の芸術展」や、音楽ライブと花火が圧巻の「雪上カーニバル」、おもてなしが温かい「おまつり広場」などを市民が手作りで盛り上げます。
着物のまちならではの「十日町きもの女王コンテスト」や、着物姿が艶やかな「雪上茶席」も観客を魅了します。
雪まつりと十日町市にある「きもの絵巻館」を訪れ、雪が育んだ文化を探りました。
雪の楽しさ・美しさを五感で満喫
訪れたのは2月20日、雪まつりの二日目です。
国道117号線を十日町駅へ向かって車を走らせていると、迫力ある雪像が目に飛び込んできました。雪とは思えない精巧な造りです。
まちを観察するといたる所に雪の作品がいっぱい。わくわくしてきます。
十日町雪まつり実行員会事務局の庭野 正之さんに、雪まつりの始まりについてお聞きしました。
「今年は少雪ですが、例年の積雪量は2メートルほど。まちは雪で埋もれてしまいます。雪はやっかいものという発想を切り替え、冬を明るく乗り越えようと昭和25(1950)年に始めたのが十日町雪まつりです。日本初の市民あげてのお祭りだったことから、『現代雪まつり発祥の地』とされています」。
第1回雪まつりの盛り上がりには、戦後の織物産業が活気づいてきたことが背景にあります。雪具供養(せつぐくよう=古くなったわら靴などを燃やす冬の行事)の火の周りで、絹織物「明石ちぢみ」をPRする「十日町小唄」と「深雪甚句(みゆきじんく=十日町小唄の姉妹歌)」の仮装民謡大会が行われました。
雪の芸術展(雪像作品コンテスト)はメインイベントとして第1回から市民手作りで開催され、十日町雪まつりの原点として今日まで続けられています。
開催期間中は市内各地で雪遊びコーナーや食のブースなど、温かいおもてなしがあります。
川治(かわじ)地区では地元のおいしい餅米をついたお餅が振る舞われました。
市内の茶道教室の方々が、着物姿でお抹茶を運んでくれます。
観客から「きれいね〜」と感嘆の声が聞かれました。
雪国の職人が挑んだ織と染めの技
着物を常設展示している「きもの絵巻館」を訪ねました。老舗「吉澤織物株式会社」の作品を中心に、着物や帯などを販売しています。
十日町の着物の歴史を吉澤 政敏さんにお聞きしました。
「当地は『明石ちぢみ』いう絹織物が有名ですが、江戸時代後半までは麻の一種である苧麻(ちょま)の繊維を使った『越後縮(ちぢみ)』を生産していました。糸づくりには高い湿度が適しています。空気が乾燥していると糸は切れやすくなります。豪雪地であるこの辺りは良質の糸を作ることができました。糸づくりやはた織りは農閑期の女性の仕事になり、質の良さが全国に広まり、朝廷や幕府の献上品とされたものもあります」。
幕末から明治期には麻織物から絹織物にかわり、柏崎の商人の勧めで明石(兵庫県)や小倉(福岡県)で作られていた「明石ちぢみ」の研究が始まりました。
「明石ちぢみは、『セミのはね』と言われた薄地で夏用の着物地です。緯糸(よこいと)に強いよりをかけて生地にシボ(凹凸のこと)をつくります。肌に張り付かず、さらっと涼しい着心地が生まれます」。
絹は濡れると縮むという欠点を克服し、原産地の地名をとって「十日町明石ちぢみ」と名付けられました。
十日町は織りの技術だけでなく様々な染めの技法も取得。これまで様々なヒット商品を生み出し、十日町雪まつりは着物をPRする格好の舞台になっています。
十日町市には着物の柄を描ける人が多く、雪像づくりにもそのセンスが活かされています。 下条地区でお会いした山田 慎一さんも着物のデザイン経験者だそうです。
写真の右に写っている細丸いものは蚕(かいこ)のまゆ。みんなで模型を見ながら雪を盛って制作したそうです。
愛ing下条のメンバーは雪像づくりで東京都日野市のグループと25年間交流を続けています。
不思議の国のアリスが向かう先に、なぜかトリケラトプスという不可思議でユニークな世界。こちらも着物をデザインするお仲間が構想を練りました。
こちらは七夕の夜、織り姫と彦星が再会を待ちわびているところに、嫉妬して邪魔に入る龍。それを3人の天女と牛が守っている作品。
「観てもらうだけの作品から参加してもらう作品もいいなと思ったんです」と制作メンバー。笹形の短冊に願いごとを書いてもらうという工夫が施されています。
「また来年も来てね」とあちこちで声をかけられました。
雪の厳しさが育んだ着物文化と雪まつり。雪の冷たさは人々の温かさに溶かされていきます。