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域文化 データベース

新潟の歴史文化

文化財や寺社仏閣などの伝統的な建造物、新潟に縁のある偉人などを紹介します。

地域文化
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  • 桔梗(ききょう)城跡

    弥彦村大字弥彦の東方の丘陵群の一端、俗に城山(標高86.2m)と呼ばれている峰は、昔、桔梗が咲き乱れ、一名桔梗ヶ岳ともよばれていたという。城跡にはかつては樹齢百年を数える巨松8本が立ち並んでいたが、現在ではわずかに数本残 […]
  • 旧武石家住宅 一棟

    昭和49年~50年に新潟県教育委員会によって行われた新潟県民家緊急調査で「チョウナはつりの柱や梁がよく残り、民家としての古い要素が数多く残っている」として高い評価を得た建物である。平成4年から解体復原に向けて詳細な調査が […]
  • 佐藤邸

    昭和2年(1765)の建築。渡邊邸とともに18世紀の街並みを形作っています。先祖は地域の庄屋を務め、渡邊家に次ぐ大地主でした。茅葺屋根の豪壮な屋敷の雰囲気が庄屋の面影を伝えています。平成3年には国の重要指定文化財の指定を […]
  • 渡邉邸(わたなべてい)

    3,000坪の敷地に建つ豪商農大庄屋の邸宅で、日本最大規模の石置木羽葺屋根が特徴の母屋と6つの土蔵は国指定重要文化財です。 宮尾登美子原作・NHKドラマ「藏」のロケ地としても有名。 また、庭匠田中泰阿弥が修復を手掛けた池 […]
  • 位守(いもり)山史跡公園

    東工業地帯の真ん中に位置し、集落の移転前は近隣住民の憩いと信仰の地でした。市川神社のあった位守山は周囲に水濠をめぐらした円形の塚で、塚上に御祠が祀られていました。位守山が古墳なのか、醍醐天皇の延喜式内社なのかについてはま […]
  • 絆己楼(はんきろう)・大野家表門

    幕末の塾舎、絆己楼は、嘉永6年(1853)に大野敬吉先生が私塾として建て、その名を命名しました。階上の10畳2間を教室として、階下の12坪半(畳37.5枚の広さ)の板間を剣道場としていました。幕末の塾舎のほとんどが失われ […]
  • 聖籠山宝積院(ほうしゃくいん)

    緑丸の菩提のために、天平9年(737年)泰澄大徳が彫刻したものといわれる十一面観世音菩薩と二王尊を納め祀ってあるのが宝積院の観音堂と二王門。新発田城主初代溝口秀勝候が聖籠山観音寺を深く信仰され、慶長13年(1608年)7 […]
  • 良寛

    出雲崎の名主の長男として大切に育てられた良寛は、豊かな感受性を純真さから、世の中の不条理やはかなさを嘆き、名主見習いの役を辞職したと推察されています。 しかし、出家してからも家族への温かい想いは変わらず、名主を継いだ後、 […]
  • 乙子神社草庵(おとごじんじゃそうあん)

    五合庵の老朽化と朝夕の山坂の登り下りが老身にこたえ、良寛は文化13年(1816)から約10年間、五合庵より下に位置する乙子神社社務所に移り住みました。ここでの10年間の生活は、良寛芸術の最も円熟したときであったといわれて […]
  • 五合庵

    国上寺の僧侶たちの4つの塔頭(たっちゅう)のひとつで、国上寺を再興した萬元上人(ばんげんしょうにん)のための庵として作られました。1797年、良寛40歳の頃からおよそ20年間過ごしました。国上山の中腹に位置しており、座禅 […]
  • 国上寺(こくじょうじ)

    国上山(くがみやま)の中腹にある真言宗の寺院。和銅2年(709)創建の県内最古の名刹で、境内には本堂のほか、客殿、六角堂、大師堂、一切経堂、鐘楼堂、宝物殿などの重厚な建物が建ち並びます。酒吞童子(しゅてんどうじ)はこの寺 […]
  • 八幡山(はちまんやま)遺跡群

    八幡山遺跡群は、日本海側最北の高地性環濠集落である八幡山遺跡(弥生時代後期)と県内最大規模の古津八幡山古墳(古墳時代前期)の複合遺跡です。八幡山遺跡は標高50mの丘陵上につくられた防御的集落で、集落のまわりには環濠を幾重 […]