特集 File03

file-3 翡翠を探せ

翡翠 (ひすい)は縄文時代から人々に愛された日本最古の宝石であり、質と量、そして歴史から見て日本を代表する宝石です。富山県境に近い糸魚川市は、この翡翠の産地で、日本の遺跡から見つかった大珠(たいしゅ)や勾玉(まがたま)などの翡翠は糸魚川産翡翠であると考えられています。遠くは北海道、沖縄、朝鮮半島にも運ばれた糸魚川の翡翠。今でも良質な翡翠が見つかる糸魚川は、古代史ファンと鉱物ファン、トレジャーハンターを惹き付けるロマンにあふれています。あなたも糸魚川で、翡翠を探せ。

べしみと呼ばれる面

翡翠に関係する鉱物の分布図
(糸魚川市教育委員会)

 これは糸魚川地域の、翡翠に関係する鉱物の分布を示した地図です。蛇紋岩(じゃもんがん)とは地下深くにあるマントルのカンラン岩が沈み込んだ海洋プレートから放出された水と反応して変化した岩石で、これが浮力やプレートの移動によって地表近くまで上昇する過程でさまざまな鉱物を地表に運んできます。糸魚川の翡翠も蛇紋岩に運ばれて地表に出てきたと考えられています。糸魚川で翡翠が見つかるのは、主に青海川や姫川、その支流の小滝川や大所川です。青海川には昭和32年「青海川の硬玉産地(通称:橋立ヒスイ峡)」として天然記念物に指定された地域があり、100トンを超える日本一の巨大な翡翠の原石を見ることができますが採取はできません。宝石である翡翠は簡単に見つけられるものでありませんが、初心者におすすめなのは海に運ばれた翡翠。薄紫の翡翠が見つかるためラベンダービーチと名付けられた海岸には、海が荒れた後などに探しに訪れる人がたくさんいます。お隣の富山県朝日町の宮崎海岸でも翡翠が見つかっており、きっと海の底には糸魚川から流れ出た翡翠がまだまだたくさん眠っていることでしょう。

まず本物を見てから

旧青海町のラベンダービーチ

旧青海町のラベンダービーチ。翡翠を探すなら海が荒れた翌日が良いそうです。

 糸魚川には「きつね石」と呼ばれる石があります。「翡翠かと思って拾ったら違った」という、つまり化かされる石のことで、ニッケル、クロムを含む雲母や石英が緑色になっています。昔はたくさんありましたが、最近では「きつね石」ですらなかなか見つかりません。本物の翡翠をよ~く見てから探しに出て下さい。

翡翠ふるさと館
橋立ヒスイ峡から運び出された102トンの原石が展示されています
リンク
青海自然史博物館
※青海自然史博物館の展示物・展示内容などはフォッサマグナミュージアムへ移動しました
(旧)青海自然史博物館についてはこちらから ≫ リンク
フォッサマグナミュージアム
フォッサマグナと翡翠に関して学べる博物館。展示の他拾った石の鑑定もしてくれます。
リンク
翡翠 蛇紋岩に含まれた翡翠
(フォッサマグナミュージアム)
光にかざした翡翠 光にかざして透明感があるのがよい翡翠の条件。純粋な翡翠は白色で、中に含まれる物質によって緑や薄紫、ピンクやさまざまな色に変化し、まれに黒い翡翠も存在します。 (フォッサマグナミュージアム)
青海川にある橋立ヒスイ峡
自然豊かな峡谷にある自然のままの翡翠です。透明な水の中で妖しく光る姿もぜひご覧下さい。
リンク
ラベンダービーチの石 ラベンダービーチには光沢のあるきれいな石がたくさんあります。鑑定のため拾った石が持ち込まれるフォッサマグナミュージアムによれば、「勘の良い人は5回目くらいで翡翠を見つけられる」ということでした。
翡翠発見と奴奈川姫伝説
大膳神社能舞台

縄文時代の翡翠製品出土地(糸魚川市教育委員会)

大膳神社能舞台

弥生時代の翡翠製品出土地(糸魚川市教育委員会)

 糸魚川で翡翠が発見されたのは1938年。第二次世界大戦開戦の少し前のことでした。古代からの翡翠の勾玉や大珠は知られていましたが、その翡翠が果たして日本国内のものなのか、海外から運ばれて来たものなのか当時は分かっていませんでした。  発見したのは農業を営む伊藤栄蔵さん。フォッサマグナミュージアムに保管されている彼のメモによれば、郷里糸魚川に戻っていた 相馬御風 氏が「 奴奈川姫 (ぬなかわひめ)はひすいの首飾りをしていたという伝説がある。だとすれば糸魚川から翡翠が出るのかも知れない」と、探索してくれるよう人に頼み、地理に詳しい伊藤さんが探すことになりました。奴奈川姫とは、古事記上巻に登場する越の国の姫のことで、出雲からやって来た大国主命に乞われて妻になります。越の国のどこの姫とは書かれていませんが、糸魚川には奴奈川姫を祭神とする 神社 や、奴奈川姫にまつわる 伝説 が残されています。
 こうして伊藤さんが見つけた翡翠らしき石は、翌年東北大学の河野義禮氏の手に渡り、科学的な分析を経て論文に発表されました。
 糸魚川での翡翠の発見は、鉱物の分野よりも考古学の分野においてより大きな発見でした。日本国内の縄文、弥生、古墳時代の遺跡から出る翡翠の加工品が国内で産出される翡翠を原料にしている可能性が出てきたわけです。もし糸魚川の翡翠とすれば、北海道でも見つかっている翡翠の、広大な流通ルートがあったことになりますし、出雲の大国主命と結婚した奴奈川姫の物語にも、恋物語ではなく翡翠を巡る政治的な意味合いを見いだすこともできます。
 戦後に入るとさらに決定的な発見が、この糸魚川でされました。土偶などが出ることで昔から知られていた 長者ケ原遺跡 で、大珠や玉の作りかけの翡翠、翡翠を加工するためのやすりとなる岩石が見つかったのです。これにより、日本の遺跡から見つかる大珠などの翡翠製玉類が日本産の翡翠を、日本で加工したことがはっきりしました。その後さらに、日本国内と朝鮮半島で見つかった翡翠の加工品のほとんどが糸魚川産の翡翠であることが明らかにされます。国内では鳥取県など約10カ所の翡翠の産地がありますが、宝石としての価値のある翡翠が産出するのは糸魚川のみです。

翡翠の謎

 翡翠の産地は世界中にありますが、これほど翡翠を大切にしたのは日本と中米のみ。中国でもさまざまな翡翠製品が存在しますが、中国でミャンマー産の翡翠を使って玉器が作られたのは約250年前の清の乾隆帝の時代でした。5000年以上前に始まる日本の翡翠文化や、約3000年前に始まる中米の翡翠文化よりもずっと新しいのです。翡翠には輝きがあり、人の命と比べれば永遠ともいえる命を持っています。人々はその地域で産するもっとも稀少で美しい石である翡翠を大切にしたのでしょう。
 日本ではそれと同時になぜ翡翠がその後忘れ去られたのかも、大きな謎として残されています。縄文~古墳時代を通じて副葬品として発掘された翡翠は、奈良時代に姿を消すのです。産地である糸魚川でさえ、峡谷や海岸にあった美しい石を誰も翡翠だと知らなかったほど、すっかり忘れられていました。古代出雲の文化が翡翠を重要視していたのが、古代大和の文化に浸食され翡翠を忘れ去ったとも、より加工がたやすいガラスにとって替わられたとも諸説ありますが、まだはっきりしたことは分かりませんし、永遠に分からないかも知れません。
 分からないといえば、実は翡翠がどのようにしてできるのかについても、まだはっきりしないのです。最近の研究で約5億年前にできたことや、熱水と呼ばれる地下にある温泉のようなものからも翡翠ができることがわかりましたが、全体像が明らかになるのはまだ先になりそうです。

鉱物、地質学ファンを魅了する糸魚川

 糸魚川といえば、翡翠と並んで有名なのがフォッサマグナ。フォッサマグナの西の縁にある糸魚川-静岡構造線は日本で2番目の規模を持つ長大な活断層で、日本列島を二分するように静岡県まで続いています。フォッサマグナを発見したのは、ナウマンゾウの化石を研究したナウマン博士です。少し歩きますが、断層を見ることができる場所があるのでチャレンジしてみて下さい。
 そして糸魚川地域では幾つもの新鉱物が発見されています。新鉱物とは地球上で新たに見つかった鉱物のことで、「青海石」「糸魚川石」「新潟石」など、これまでに6種類。新潟県内で発見された新鉱物のすべてが糸魚川産です。翡翠の中から発見されているものが3種類ありますが、それが発見されたのはこの10年以内のことです。翡翠に関心を持って拾ったり、眺めたりする人は大勢いましたが、科学のメスをひすいに入れた人は少なかったのです。県単位で見ると、新鉱物の発見の数は全国で4位。これからもまだ、新しい発見があるかも知れません。
 糸魚川では化石もよく見つかります。糸魚川市内に行くと幾つもの大きなプラントが目につきますが、セメントを作る工場です。セメントの原料は石灰岩。石灰岩は何からできるかといえば珊瑚や珊瑚礁にすむ生物。といってもこのあたりに昔、珊瑚礁があったのではなく、海洋プレートに乗った巨大な珊瑚礁が南の海からはるばる移動して来たのです。

協力:フォッサマグナミュージアム

前の記事
一覧へ戻る
次の記事