file-149 奉納花火の今(前編)
「おまろす」の絶望を経て大人になる片貝の子どもたち
小千谷市片貝では、中学校卒業時に同級会を結成し、片貝中学校同窓会に入会します。初めて花火を上げるのは、成人を迎える二十歳のまつり。片貝を出てもつながりながら成人、厄年、還暦など人生の区切りにみんなの花火を上げます。そのために花火積み立てをして、まつりの日には片貝を離れた人も帰省して、喜び、祈り合うのです。そんな片貝で若者たちは何を感じ、何を受け継いでゆくのでしょう。
片貝ルールは他と違う…!?高校進学時にカルチャーショック
「鍬とスコップ」で制作した刊行物。観光者のみならず、片貝に嫁いだ人や移住者から「ああ、そういうことだったのね〜」と独特すぎる片貝まつりの謎が解けて好評という役割も
若者らしい発想で、地域情報を発信する「鍬とスコップ」
「お祭りロス(おまろす)…片貝まつり後に訪れる青年心理のこと。…次のまつりまで363日もあるのかと絶望する青年期を経て、片貝町民は大人になっていく…(抜粋)」。片貝の地域振興を担う若手団体「鍬とスコップ」 が制作した『花火手帳-片貝まつり-』にはこう記されています。代表の佐藤瑞穂さんは第61回卒業生。少子化から、初めて学年が一クラスになった年代で、保育園、小学校、中学校と同じメンバーで仲良く育ち、その同級会「晴笑会」の会長も務めています。横のつながりの同級生だけでなく、先輩たちからお囃子を習う片貝では世代を超えた縦のつながりも深い。それが当たり前のため、子どもたちは高校進学などで初めて片貝以外のコミュニティーに入るとカルチャーショックを受けるそう。「地域では出会う人にあいさつをするのが当たり前で、隣町の高校に入学当した当初、道ゆく人や校内ですれ違う初対面の生徒全員に、こんにちは〜!とあいさつをしていたら怪しまれました」と佐藤さんは笑います。他にも、まつりで学校を休むことを不思議がられたそう。片貝では、小中学校は朝会のみで終了です。会社もお休みです。しかし、高校では「何でまつりで休むの?」と周囲から理解されません。そのため、「おなかが痛い」「風邪をひきました…」と早退者がやたら多くなり、先生たちも「ああ、今日は片貝まつりか!?」と気付くそう。
「鍬とスコップ」代表、「晴笑会」会長の佐藤瑞穂さん。物心つかないうちから兄に連れられてまつりに参加。通常は中学生で習い始める篠笛も、少子化をいいことに小学3年生から吹き始めていた。「言葉にできない感情の表現の仕方が花火やまつりだったのでは」と言う
佐藤さんは、高校は長岡市で、大学は京都、卒業後には夢を追って東京でフリーターになりました。そして少子化の進む地元町内の先輩から「まつりのリーダー役がいないから、まだ少し若いけどやってほしい。すぐに帰ってきて」と頼まれ、「東京で漠然とした夢を追って空回りするより、自分を今必要としてくれる地元で大好きなまつりを支えたい」とUターン。しかし先輩に頼まれたからと、そう簡単に戻れるでしょうか…?でも、そこが片貝なのです!「血がつながっていなくても弟や妹のように関わり続ける存在がいる。先輩の結婚式にも呼ばれますが、友人?どういう扱い?となります。花火も欠かせませんが、僕にとっては子どもの頃に教わるお囃子を通して、どんどんまつり好きに成長していく文化の方が片貝です。小学生の時に教えてもらった当時25歳ぐらいのお兄さん、お姉さんがいて、僕が今教えているのがその人たちの子どもです。つながってきたリレーですよね。大人になると、いいな〜と思います。しっかりとご縁がある。つなごうという気持ちになる」
現代のキーワード〝持続可能性〟がすでにまつりの中にある
町内を「い組、に組、三組、ま組、て組、五部」の6組に分けて対抗する中学生を中心としたお囃子コンクールが毎年開催される。まつりの3週間ほど前から毎晩練習があり、地域の若者から教えてもらう伝統がある。お囃子コンクールは毎年、花火でにぎわう片貝まつり会場の浅原神社相撲場で開かれている
2019年、片貝中学校に校長として赴任された田村豊さん。生徒たちを見守りながら、最初は「学校と地域の関係の深さ」に驚いたそうです。田村校長は十日町市在住で、新潟県内では片貝と同じ中越エリア。距離も車で1時間ほどで、似ている文化圏のはずなのに、やはり片貝は特別なようです。「最も感じているのは、三尺玉発祥の地で越後三大花火の一つとして、400年もの長い歴史を重ねてきたまつりが、人口がそう多くない片貝で続いていること。それも、単に続いてきた…ではなく、正四尺玉という世界一にこだわっていることがすごい。みなさんがかける情熱は相当なもので、地域の強いつながりという横軸と、歴史や伝統という縦軸から片貝への熱い思いが培われている。大人たちのそういう姿を見て、子どもたちも当然のこととしてまつりに入っていきます」。中島みゆきさんの『糸』の歌詞ように、まさに「織りなされている」という印象を田村校長は受けています。
〝生まれ故郷〟が人生の確固たる基盤になる
片貝中学体育館に掲示されている同級会の名前。それぞれに意味や願いが込められており、その学年の一生の名前は生徒たちの手で文字を彫る
江戸時代の安永8年(1779年)に開塾された「朝陽館(ちょうようかん)」、天保13年(1842)に改称された「耕読堂(こうどくどう)」の跡に建てられた碑。その昔、天領だった片貝は教育への意識が高かった。「この頃から地域がどう存続し、栄えるかを必死に考えてきたのだろう」と田村校長は想像する
片貝中学を卒業する時に、同級生みんなで同級会の名称を考え、その名前をもって二十歳の時のまつりで人生初の花火を同級会で打ち上げます。一生の名前となるので大人たちはほとんど名付けに介入しません。昭和22年度第1回卒業生の「和好会」は戦争から平和への大転換期に、平和のありがたさから〝和〟を、級友との友好を力強く願うことから〝好〟を組み合わせました。最新の令和2年度第74回卒業生は「悠幸会」です。長い年月が経ってもこの仲間でいたいとの願いからです。「花火のはかなさやまつりの後のさびしさ、生きていることの実感…。そういうものを学び取ったり、感じたりすることを子どもたちは繰り返して来たのかな」と田村校長は感じています。
他の地域ではあまり見られない、個人が花火を上げる習慣。記念すべき、祈るべき思いを花火にして上げて、みんなで分かち合い、上げた人に共感したり、応援したり。それを1年ごとにやっている基軸がある。地域とともに歩む学校づくりが叫ばれて久しいですが、地域を知ることで、子どもたちは地域だけを見るのではなく世界にも目が向けられるという両面があります。ものの考え方や進路選択において、〝生まれ故郷〟は人生の確固たる基盤となる。人生を振り返った時にしあわせ感があり、かけがいのない財産になる。歴史の中で後世にバトンをリレーするための一人なんだ!と、大人たち一人一人が意識を持っている。それは片貝に限ることではないですが、片貝の場合は〝地域をあげて〟という思いが特徴的に強いのです。
まつりをやりながら生きていけるライフスタイル
花火打ち上げプログラムの『奉納 花火番附』。個人情報満載だが、それも片貝人にとっては当たり前のこと
小学校の総合学習の一環として「こわか記者」たちがまちなかで取材。世代を超えた「カタカイカタルカイ」でその内容をかたちにしていく
町民から「紺仁さん」と親しまれ、まつりのマストアイテム「祭半纏」、「鯉口シャツ」、「手拭い」、「Tシャツ」などの制作を一手に担う老舗染物屋のワークショップをwebで発信
さて、佐藤さんたち若い世代は、片貝やまつりをどう思っているのでしょう。「二十歳のまつりで自分たちの花火を打ち上げた経験が最も大きかったですね。自分たちのお祝いで上げているのにそれを温かく見守ってくれる人がいる。若い人にスポットライトを当ててお祝いしてくれる。たまたまテレビ番組の取材もいつも以上に多い年で、たくさんの人に顔をおぼえてもらい、8年経った今も『あの時の!』と声をかけられます。二十歳のまつりのあと、しばらくは『ありがとうございました!』と会う人、会う人に言う毎日で、まつりでこんなにコミュニティーが広がるんだと実感しました。片貝は若い人のやりたいことや発信を大事にしてくれるまち。おもしろいことをやってみろ、と若い人がいろいろやってもいい風土がある。20代前半で片貝にUターンしたから、今時らしくできているのかも」
ちょうど同級生5人のUターンと重なり、「鍬とスコップ」はまつりで育まれたコミュニティーをきっかけに、町の魅力を再発掘しようと活動を始めました。数年間の活動を経て、今ではまつりや花火文化の運営側のサポートも一部担うようになりました。まつりが深く地域に根ざした片貝では、まちの機能にもまつりが関わっており、やることが多岐にわたります。元気にまつりをやっている人がまちづくりをやって、またまつりにフィードバックする。そんな風に、まつりで鍛えてもらいながら成長するのです。佐藤さんたちも花火を上げることを通じて、通常の若い人ができない経験をしてきました。成人の同級会会長になると先輩や近所の人たちに「会長になりましたー!」と顔見せのあいさつに行きます。まちのことにも関わり、同級生や支援者から大金を預かるなど責任も出てきます。けれど、楽しい!が最初にあったそう。今も仕事で大変なことがあっても「あの成人のおまつりの時も大丈夫だったからやれる。何とかやって来た…」。そういう自信が若者たちの中に醸されていくのです。
片貝で1カ月間を過ごしたインターン生3名が制作したショート・ドキュメンタリー『わたしの片貝まつり』。その上映会を行っている。若い頃を思い出してうるうるとなる鑑賞者続出?
「仲間たちとそんな話をします。職場や夢から、いろいろな場所に行きますが、やっている僕らは集まるだけで楽しくて、楽しいことをしながらまつりでは1年に一番熱くなる。僕たちにはそういう共通コードがある。コロナ禍で昨年のまつりは中止となりました。戦争での中断以来のことだそうで、衝撃的で、めちゃくちゃ沈みましたが、性格的に僕はしばらくすると次のことをやっちゃう。今できることに専念しよう!と切り替える。逆にコロナ禍でわかったことは、たった一発だって、片貝では思いの込もった花火になること。若いうちにやらせてもらえるのは、片貝ならでは。とはいえ、無理をすると疲れて離れてしまうから、無理をせずにいい形にして。まちの中で、いい感じにかき混ぜていきたいです」
「足元/地元に埋もれていた文化を掘り起こす」ことから始まった「鍬とスコップ」の活動。新潟の田舎町で、若い人もお年寄りも面白く生きてゆくために、昔ながらの文化を時代にあったカタチに再解釈してゆくことが、“クワスコ”のミッションだと考えている。(平成27年5月発足)
掲載日:2021/11/08
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