file-18 雪国の暮らしと文化 ~全国一の人口を抱えた雪国
明治の半ばまでは都道府県別で全国一の人口を誇っていた新潟県。そこには雪国の豊かさがありました。
新潟県は明治26年ごろまでは全国一の人口を抱えていました。この時期は、まだ都市化や工業化が進まず、多くの日本人が農業で生計を立てていたため、農業県である新潟に人口が集積していたものと考えられます。言うまでもなく本県の農業の中心は稲作です。そして、稲作に欠かすことのできない水が豊富にあるのは雪のおかげでもあります。山の雪解け水があるので、山間部でも容易に水を確保し棚田が作られ、また、平野部でも豊富な水をたたえることができました。
関東、関西で雪が歌や俳句に詠み込む風物でしかなかった江戸時代、雪害のすさまじさを世に知らしめたのは鈴木牧之の「北越雪譜」ですが、当時の新潟県の人口の多さを見る限り、それを補って余りある豊かさを、雪はもたらしていました。
file-18 雪国の暮らしと文化 ~雪の利用
新潟の人々はあり余る雪を利用して暮らしていました。例えば水の確保が重要な棚田。田植え時期のたん水には雪解け水が必要で、今でも雪不足の年では「田植えができない」「畦が乾燥でひび割れる」などの被害が出て、雪が重要な役割を担っています。産業にも結びついた雪の活用例をみてみましょう。
かつての越後では早春の風物詩だった雪さらし。現在は別の方法で漂白されるため、観光用や特別注文の時のみ行われるという。(小千谷市)
旧安塚町(上越市)行野集落の地主だった横尾家が個人で所有していた雪室(国有形登録文化財)。雪集めは小作の収入源となり、飲み物を食品を冷やしたりするのに使用されていたという。現在でも地域の人たちが酒などを貯蔵している。底に設置してある容器は酒を入れるためのもの。雪を集めて山盛りにし断熱シートなど被覆材を載せて夏まで保冷する。
■ 越後上布・越後紙
国の重要無形文化財に指定されている越後上布は、江戸時代まで武士の正式な服装に使われていた麻織物の最高級品ですが、際だった白さが特長の一つとなっていました。「雪さらし」といって、布を雪に埋め、雪が溶ける際に発生する水素イオンが植物繊維を漂白する効果を利用していたからです。雪にさらすことにより白はより白くなり、色柄も冴えるのです。
また、越後紙もその白さで知られていましたが、原料の楮(こうぞ)には同様に「雪さらし」が施されていました。
■ 雪売り
夏の氷は、冷凍技術のない時代にはとても高価な嗜好品でした。豪雪地帯では冬に雪を集めて夏まで溶けないように貯蔵し、暑い時期に冷蔵用として使ったり、甘い蜜をかけて売られたりしていました。貯蔵するには大がかりに雪を集めなくてはならず、地域の地主や有力商人が雪室を作っていたようです。冬場は農民には仕事がありませんから、雪を集める仕事は雇用対策にもなっていました。
■ 雪中貯蔵・雪さらし
雪国では、昔から野菜などを鮮度を保つために雪の中で貯蔵してきました。雪中は湿度90%以上、多少の空気があって太陽の光は通さず、気温が零度という状態で保存にとても適した環境です。一部の野菜はこうした環境下で糖度を増すことが実証されており、現在ではキャベツやにんじんなどで雪の下から掘り出して出荷することで付加価値を高めた商品もあります。
また、とうがらしを雪にさらしてまろみを出す上越地方の伝統的調味料「かんずり」も、雪によって付加価値を生み出しているものの一つです。近年では日本酒なども「雪中貯蔵酒」として高い評価を受けています。
■ 冷房
日本で最初のワイン醸造所「岩の原ワイナリー」(上越市)では、ワインの熟成に必要な樽の温度を下げるために雪を一夏貯蔵し活用していました。現在はさらに効率の良い雪冷房システムを使い、ワイン樽を貯蔵している石蔵を冷房しています。
また、上越市の安塚地区では、学校に雪冷房システムを整備しています。夏でも涼しい教室は、夏休み中の課外活動を活発にする効果があるそうです。雪冷房は環境にやさしく、また、有害物質を吸着する空気清浄効果も確認されており、今後ますます注目が集まることが予想されます。
■ 水
雪は春には溶けて水に変わります。豊富な水は農業のほか、発電にも使われています。JR東日本は新潟県内(小千谷市、十日町市)に3つの水力発電所を持っており、山手線など首都圏のJRに電力を供給しています。これらの発電量は44万9000キロワット。JR東日本で使用する全電力の1/4が新潟県内の水力発電所でまかなわれています。
■ 山菜
春の山菜の中でも代表的な「ぜんまい」。豪雪地で採取されるぜんまいは高値で取引されます。雪のない地方のぜんまいと比べると太くて柔らかく、味のよいものが採れるからです。一説には雪による保温と紫外線の遮断によって地下でじっくり養分を蓄えることができるからだといわれます。雪の多い地域では、現在も貴重な収入源になっています。
file-18 雪国の暮らしと文化 ~雪国の知恵と文化
雪に閉ざされる間の暮らしを少しでも便利に、そして少しでも楽しく過ごそうとする知恵も、昔から育まれてきました。その幾つかを紹介します。
北越雪譜を書いた鈴木牧之の生家近く、かつての街道沿いの「牧之通り」は雁木の町並みが整備されている。雁木通りは県内各地にあるが、除雪が今ほど行われなかった昭和30年代は通りが雪でいっぱいになり、反対側の雁木通りに行くのに雪に階段をつけて上り下りしたり、ひどい豪雪の年にはトンネルを掘ったといわれる。
重い屋根雪を支えるため、梁(はり)が長く突き出て軒を支える「せがいづくり」と呼ばれるつくり。雪の多い地域で見られる。(村上市高根集落)
関川村の大石どもんこ祭りで作られるかまくら(どもんこ)は、大人が立って入れる大きさ。この中で宿泊する観光客もいる。雪を積み上げてからチェーンソーで内部をくり抜いて作るという。
割った竹の先を熱して曲げ、ひもを通して結んだ竹スキーは、かつてはよく見られた冬の遊び道具。
雪がなければぬかるんで踏み入れることのできない田んぼで行われる、おぢや風船一揆。白一色の世界にカラフルな気球が浮かぶ様子は壮観だが、夜の光による演出は幻想的で人気が高い。
■ 雁木(がんぎ)
通りに面した家屋の軒下を伸ばして雪や雨を気にせず歩くことのできる場所を設けました。歩道ですが公共の道路の一部ではなく、各家の私有地を提供し合ってできた通りです。上越市高田や阿賀町津川などで現在も往事の姿を見ることができます。新潟では一般に雁木と呼ばれますが、同様のものは他の豪雪地にもあり、青森県弘前市では「こみせ」と呼ばれています。
■ 建築
雪の重みは新雪が1メートル積もると1㎡あたり300㎏になります。雪の重みで潰されない家にする、もしくは積もった雪が自然に屋根から落ちるように、さまざまな工夫が施されました。近年は「克雪住宅」と呼ばれる住まいもあります。一階部分を非居住区として基礎コンクリートを高くし、2階に玄関があります。落ちてくる屋根雪で一階、玄関が埋まらないための工夫です。
■ 冬の遊び〜かまくら
雪を積み上げたところに穴を掘り、その中で過ごす「かまくら」は新潟でも作られました。関川村の大石川流域では昔から屋根雪や除雪して貯まった雪に穴を掘り「洞門」と呼んでいたそうです。現在は「どもんこ」と呼び、冬場のイベントになっています。また、中越地区ではろうそくを灯すための小さなかまくらを「ほんやら洞」と呼んでいます。
■ 冬の遊び〜スキー
スキー人口の減少で新潟県内のスキー場の来場者も全盛時と比較すると減少傾向にありますが、スキーが貴重な観光資源であることに変わりはありません。近年は、外国人観光客の呼び込みに力を入れたり、スキー場ではない山間部で、自然を楽しむためのスキーやスノーシュートレッキングも盛んになってきています。広葉樹が落葉し下草も雪に覆われた山は、野生動物の足跡を探したりバードウォッチングなど、自然観察に最適な時期なのです。
■ 冬のイベント
日本最初の雪まつりである「十日町雪まつり」(十日町市)や、昔からの小正月行事である「婿投げすみ塗り」(十日町市松之山)、地域ごとに行われる鳥追いや斉の神などの小正月行事は雪原で行われます。近年は「おぢや風船一揆」や、スキー場での花火大会などさまざまな雪を活用したイベントが生まれています。「おぢや風船一揆」は、一面の雪原になった田んぼを会場に気球を揚げる催しで、雪不足の場合は足元がぬかるむので中止になります。また雪原で花火を揚げたり明かりを灯すと雪の反射によって幻想的な風景が楽しめるのです。
file-18 雪国の暮らしと文化 ~未来につなぐ雪国文化
最新の科学を応用した利雪の取り組み、そして雪国と宗教、雪国と人の暮らしのあり方など、よりグローバルな視点に立った雪国文化の見直しが始まっています。
「冬になると雪は零度の固体として降ってきますが、これが零度の液体になるためには膨大なエネルギーを要します。これまでは太陽エネルギーによって単に『溶ける』のを眺めているだけでしたが、この時発するエネルギーを冷熱として取り出すことができたら、雪国の概念は劇的に変わるかも知れない」と話すのは雪だるま財団(上越市安塚区)チーフスノーマンの伊藤親臣さん。雪だるま財団は利雪や雪国の文化を研究・発信する財団法人で、雪冷房システムの設計やコンサルティングなども行っています。また、雪発電も現在富山大学で研究が進められており、雪の可能性は広がりつつあります。
雪が育んだ風土や精神性にも注目が集まってきています。過大な労働を強い、時には生命も脅かす雪ですが、画家富岡惣一郎(1922-1994)が白と黒だけで雪の世界を描き世界中から賞賛を浴びたように、大地を覆う雪は別世界を作り出します。
雪の持つ両極性が、宗教を育んだのではないかという指摘もされます。新潟県は日本の宗教界を代表する親鸞(1173-1262)、日蓮(1222-1282)が過ごし、良寛(1758-1831)を生み育てました。立正佼成会の開祖庭野日敬(1906-1999)も豪雪で知られる十日町市の出身です。
半年近くを屋内で過ごさざるを得なかった雪国の暮らしの中で、農村の人々の中に俳句や短歌が広がりました。閉ざされた長い時間は文学や芸術にも費やされ、多くの偉人を輩出しています。数十年の歳月を費やし完成に至った世界最大の漢和辞典「大漢和辞典」を著した諸橋轍次(1883-1982)、いまだに地名辞典の金字塔といわれる「大日本地名辞典」を著した吉田東伍(1864-1918)も新潟県出身です。
「利雪よりも、本当に大事に未来につながなければいけないのは結(ゆい)の精神」と伊藤さんは言います。「結」というのは、集落内の相互扶助のこと。農作業や住まい、道路、水路の普請など、集落が共同作業をしなければならない場面が多いため育まれてきた絆ですが、豪雪地ではさらに雪下ろしや雪崩、急病人の搬送など冬場は雪によって生命に関わる事態が起こるため、一層強固といわれています。1961年(昭和36年)の三六豪雪の際、上越線が雪でストップし、正月を故郷で過ごそうといら立った人々が栃窪峠(十日町市と南魚沼市塩沢との境)を徒歩で越えて家に帰ろうとしたことがありました。軽装では越えられるはずのない峠越えの大規模遭難を救ったのは、二ッ屋集落(十日町市)の人たちでした。集落ぐるみの迅速な対応で数十人を救助して一人の死者も出さなかったのです。
中山隧道(長岡市)は、集落の人々が16年の歳月をかけて900メートルを手掘りで通したトンネルです。いずれも結の精神があってこそ実現したものでした。2004年に豪雪地を襲った中越大震災でも、集落単位で倒壊した家屋から人を助け出したり、土砂崩れで塞がった道路を自力で修復したり、そうした例は少なくなりません。
道路除雪やインフラ整備など、雪が降ることによる経済的な負担は大きく、大雪の年には雪下ろし中の不幸な事故もなくなってはいません。しかし雪の害だけではなく、雪がもたらす良さに着目しようという動きは確実に広まっています。そして雪があることの良さは、雪国からしか発信できないということを忘れてはなりません。
■雪国の文化を知るリンク
▷ 雪だるま財団
▷ 鈴木牧之記念館
▷ 諸橋轍次記念館
▷ 良寛
特集記事「永遠の良寛」参照
▷ 中山隧道
▷ 十日町雪まつり
▷ 婿投げすみ塗り
▷ 大石どもんこ祭り
2009年2月14日(土)、関川村大石ダム周辺を会場に行われます。
お問い合わせは「大石、山と川に親しむ会」0254-64-2170(ファクス兼用・担当/高橋)
協力:雪だるま財団
写真協力:小千谷市 大石、山と川に親しむ会