file-23 川がつくった新潟 -その1「信濃川と阿賀野川の概要」

信濃川と阿賀野川の概要

信濃川(小千谷市.冬)

信濃川(小千谷市.冬) (新潟県写真家協会)

阿賀野川ライン下り

阿賀野川ライン下り(阿賀町三川・春)(新潟県写真家協会)

 信濃川は埼玉、山梨、長野三県の県境にある甲武信ケ岳(こぶしがたけ、2,475m)を源流とし、長野県では千曲川、そして新潟県に入ると信濃川と呼ばれ、新潟市で日本海に注ぎます。千曲川と合わせた総延長は、上越新幹線新潟東京間とほぼ同じ367㎞。

 阿賀野川は栃木、福島県境にある荒海山(あらかいざん、1,581m)を源流とし、猪苗代湖、尾瀬沼からも流入しています。福島県側では阿賀川、新潟県に入ると阿賀野川となり、総延長は日本で10番目ですが、流水量は信濃川に次いで2番目となっています。阿賀野川も新潟市で日本海に注いでおり、新潟市には日本で1番目と2番目に流水量の多い川が注いでいる、特異な地域であることが分かります。(信濃川は長岡市で大河津分水により分流もしています。)

 信濃川も阿賀野川も、いずれも県境の1,000メートル級の山並みを越えて新潟県に注いでおり、その落差を利用した水力発電は明治から開発が始まりました。両河川を合わせると、新潟県の水力発電量は圧倒的な日本一です。

 
信濃川
阿賀野川
総延長
367km(1)
210km(10)
流域面積
11,900平方km(3)
7,710平方km(8)
年間流出量
162億立方m(1)
129億立方m(2)

※( )内は国内河川の中での順位
※流域面積はその河川に水が流れ込む地域の合計

 【信濃川の主な支流】

信濃川の主な支流
源流
合流地点
犀川 長野県松本市・槍ヶ岳(3,180m)付近 長野市
中津川 長野県下高井郡・岩菅山(2,295m)付近 津南町
魚野川 湯沢町・谷川岳(1,977m)付近 川口町
渋海(しぶみ)川 十日町市三方岳(1,138.8m)付近 長岡市
五十嵐川 三条市笠堀周辺 三条市

 【阿賀野川の主な支流】

阿賀野川の主な支流
源流
合流地点
日橋川 福島県・猪苗代湖、檜原湖ほか 会津若松市
只見川 福島県南会津郡・田子倉湖 喜多方市
常浪(とこなみ)川 三条市・矢筈岳(1,259m)付近 阿賀町
早出川 五泉市・早出川ダム 五泉市

 ところで、水は高いところから低いところへ流れますが、信濃川と阿賀野川はどうして高い山並みを越えて新潟へ注ぐのでしょうか。その理由を、信濃川の成り立ちを例に次ページで紹介します。

file-23 川がつくった新潟 -その1 妙高山より古い信濃川

妙高山より古い信濃川

越後三山と信濃川

越後三山と信濃川(小千谷市・冬)(新潟県写真家協会)

 今から1,600万年くらい前、日本列島の形は今のようではなく、現在の新潟県から関東平野のあたりが海の底にあり、日本海と太平洋はつながっていました。この海の通り道がフォッサマグナです。1,200万年くらい前になると、群馬、長野県境付近で火山活動が盛んになり、大地が隆起して日本海と太平洋は再び分れます。まだ新潟県は海の底でしたが、信濃川の源流はこの頃できたと考えられています。

 そして時代が下って200万年前、信濃川(千曲川と犀川)は長野市付近に土砂を堆積して平野をつくりながら日本海に注いでいました。さらに100万年かけて平野を伸ばし、千曲川と犀川は合流してから日本海に流れるようになりました。両河川の合流地点が、上杉謙信と武田信玄が激戦を繰り広げた川中島です。まだ新潟県は海の底です。地球は氷河期で、原人が現れたのがこの頃です。

 信濃川は長野県から現在の上越市あたりまで平野を伸ばしていましたが、50万年ほど前になると長野県の黒姫高原、新潟県の妙高高原周辺で火山活動が活発になり、信濃川は通り道をふさがれてしまいました。隆起した山並みが堤防になって、上越市付近で日本海に注ぐことができなくなり、十日町に流れる先を変えました。これが現在の流路です。

 30〜40万年前、今度は津南町で大地が隆起し始めます。日本最大の河岸段丘の、最も古いものがこの頃できました。川の周辺の土地が隆起したあと、川の浸食作用により、もとの川原部分より低い位置に川が流れるようになります。その土地が再び隆起して、また川の浸食により低い位置に川が流れる、ということを繰り返し、かつての川原部分が階段状になります。このようにしてできる地形が河岸段丘です。

 妙高高原は隆起する力が、信濃川の水の力に勝ったために川の方が流れを変えましたが、津南高原では隆起よりも信濃川の流れの方が勝ったので深い谷を削りながら流れていきました。川が山を越えて流れるのは、その山よりも先に川が存在していたからです。このような川を「先行河川」と呼び、阿賀野川も同じく先行河川です。このような川は隆起する大地の土砂を削り、下流に運ぶことで平野を伸ばします。信濃川は1,000年で1mの堆積を積み重ねていました。

 新潟県内の旧石器時代の遺跡は、津南町の河岸段丘面や十日町市から出土しています。また、縄文草創期の古い土器は阿賀野川とその支流沿いから出ています。新潟県の文化の始まりは、川の流れに沿って始まりました。

file-23 川がつくった新潟 -その1 「川がつくった新潟平野」

川がつくった新潟平野

信濃川

 最後の氷河期が終わって地球が温暖化した後が、日本では縄文時代の始まりです。氷河が溶けて海水面が上昇したため、新潟県は山地を残してほとんどすっぽり海の底になっていました。新潟県の縄文遺跡は、多くが十日町市や長岡市、阿賀町付近で見つかっており、「山の中」という印象がありますが、実はそれほど海から遠くはなかったのです。

 信濃川と阿賀野川が上流から運んだ土砂は、海からの風に押し戻されて砂丘を作り、入り江ができます。入り江の内側は海水と淡水が混ざった湖になりますが、そこに土砂が堆積することで陸地が増えていきました。新潟平野は、その繰り返しで面積を広げました。

 現在確認できる砂丘は、海岸線とほぼ平行する形で10列存在しています。最も古い砂丘列は村上市から角田山の北側まで約70㎞に及ぶ大きなもので、およそ7,000年前にできたと推定されています。海岸線に近い最も新しい砂丘列が1,000年ほど前のものです。

 信濃川と阿賀野川は、自らが運んだ土砂が砂丘となり、それが堤防になってしまうことで出口を失い、現在の新潟市でようやく日本海に注いでいました。砂丘列の手前が陸地だったわけではなく、砂丘列と砂丘列の間は川水が残って湖になります。新潟平野の大部分は、川なのか湖なのか陸地なのかが判然としない状況が長く続いていました。新潟平野は、釧路湿原よりもはるかに大きな湿地だったと言えなくもないのです。平野部では縄文時代の遺跡は少なく、弥生時代、古墳時代の遺跡が多く分布しています。江戸時代の半ば過ぎまでは、多くの潟があり、潟湖が川でつながり船を使って行き来していました。

file-23 川がつくった新潟 -その1 川辺で育まれた文化

川辺で育まれた文化

 新潟の縄文時代を特徴づけるのは、縄文中期に広がった火焔土器です。初めて発見されたのは長岡市(昭和11年・馬高遺跡)で、その後200例あまりの遺跡から発掘されています。最も多く見つかっているのは津南町から長岡市までの、信濃川流域。どういう目的で火焔土器が作られたのか、どのように使われていたのかは分かっていませんが、信濃川の流れに育まれた文化の中で生まれた土器だということは、ほぼはっきりしています。また、当時としては全国的に見てかなり大きな集落が営まれていたことが分かっています。

 火焔土器に関して詳しくは新潟は縄文土器のふるさとをご覧下さい。

 一方、阿賀野川流域では阿賀町で縄文草創期の貴重な遺跡が見つかっています。室谷(むろや)洞窟、小瀬ヶ沢(こぜがさわ)洞窟は阿賀町津川で阿賀野川に合流する常浪(とこなみ)川の上流部にあり、1万年以上前の遺跡。火焔土器からは5,000年ほどさかのぼることができます。

越後三山と信濃川

信濃川(新潟市・春)(新潟県写真家協会)

 その後新潟平野が広がるに従って、遺跡も平野部に伸び弥生時代の遺跡や前方後円墳は新潟市で見つかっています。稲作は水の確保が最も重要で、平野部では用水路を引く大規模な工事が必要となります。これができるようになった江戸時代になって全国で急激に耕地面積が広がりますが、新潟では川が巨大すぎるために江戸時代の土木技術では限界もありました。豊富な水量を有する川は、稲作よりも船で物資を運ぶ際の通路として重宝されていました。阿賀野川が福島県側で阿賀川と呼ばれていますが、その昔は「揚川」。つまり荷物を揚げる川という意味だったのです。江戸時代は信濃川と阿賀野川が河口付近で合流しており、この二つの河川と支流により、新潟県の大部分に船で荷物を運ぶことができました。新潟市が湊町としてその礎を築いたのも、川を通じた物流網のおかけです。舟運の時代については、次回に続きます。
 

 
 

写真協力:新潟県写真家協会

file-23 川がつくった新潟 -その1 県立図書館おすすめ関連書籍

県立図書館おすすめ関連書籍

県立図書館おすすめ「川がつくった新潟 川と大地の成り立ち」関連書籍

 こちらでご紹介した作品は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。
また、特集記事内でご紹介している本も所蔵していますので、ぜひ県立図書館へ足をお運びください。

ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
(025)284-6001(代表)
(025)284-6824(貸出延長・調査相談)
新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/

▷『しなの川』

(鶴見正夫/文 黒井健/絵 PHP研究所 1994 貸郷N726-Ku73)
 信濃川の源流から河口までの風景を情感豊かに著した絵本。黒井健さんの優しい絵と相まって、一篇の詩を思わせるような作品です。

▷『河は長かった 信濃川スケッチ紀行 五十川庚平画文集』

(五十川庚平/著 恒文社 2000 291.4-I85)
 信濃川の河口である新潟西港から長野県境森宮野原までを、歩いて描いたスケッチと踏破の記録。歩きに歩いて6日間。実感のこもったタイトルがなんとも微笑ましい。

▷『越後平野のなりたちⅠ』

(新田義信/著 2006 454-N88)
 地質学専門用語のオンパレードで、素人には少々難解。でも、ちょっと手にとって読んでみてください。足元の大地の胎動を、肌で感じられる不思議な一冊ですから。

▷『縄文人になる! 縄文式生活技術教本』

(関根秀樹/著 山と渓谷社 2002 210.2-Se36)
 火のおこし方から縄文式土器の作り方まで!!縄文人になるための「超」実践的マニュアル本。現代とはかなり違ったであろう信濃川流域の生活が覗けるかも!?

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▷『岡村道雄 やってみよう縄文人生活 課外授業ようこそ先輩別冊』

(NHK「課外授業ようこそ先輩」制作グループ KTC中央出版/編 KTC中央出版 2000 210.2-O43)
 こちらも縄文つながりでのご紹介。テレビ番組「課外授業ようこそ先輩」の書籍版です。「先生」は文化庁で文化財調査官として勤務する考古学者・岡村道雄さん。上越市立大手町小学校で行われた、とても楽しい考古学の授業ドキュメントです。

▷『死んだら風に生まれかわる』

(新井満/著 河出書房新社 2004 郷貸914.6-A62)
 著者・新井満さんは新潟市の出身。「良寛-水のように、風のように」には、「苦しい時には、水を想え」「悲しい時には、風を想え」という一文がでてきます。「生と死」をテーマにしながらも、信濃川を吹き抜ける風を思い起こすような、爽快なエッセイ集になっています。

 

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