
file-37 定期市と雁木通りのまち巡り ~交通の要所で花開いた商と市


春日山城を拠点とした上杉謙信。京や大坂との交易に加え、直江津や柏崎などの港に関税を設けることで莫大な軍資金を獲得した。

松平光長が建設した高田城の三階櫓を再現したもの。天守閣にかわる城の象徴。

地元の小学生も社会科見学として朝市を勉強する。
上越地方は古くから海陸交通の要所に位置しており、平安時代に国分寺が設置されて以来、越後の府中(政治の中心)として栄えた。
戦国時代には上杉謙信の本拠として、人口規模において京都に次ぐ大都市であったと言われている。この頃、港や道路の整備がすすめられたほか、ちぢみなどの特産品が京の都に輸出されるなど交易も盛んに行われた。上杉謙信と聞くと「軍神」のイメージが先行しがちだが、莫大な戦費をまかなうため積極的に商業政策を進めていたことがわかる。
江戸時代に入ると江戸から金沢に至る加賀街道をはじめ、東北地方へ向かう北国街道などの街道が整備され、宿場町も発達。佐渡からの金を江戸へ運ぶ重要なルートでもあった。
近代に入ると直江津と高崎をつなぐ信越線が開通。当時、関東方面に達する唯一のルートとして明治から大正時代にかけて長野・関東方面への物資の流通が盛んとなる。
上越地方の市の文化は古く、鎌倉時代には旧新井で市が開かれていたと言われる。文献に残されている市としては県内でも最も古い。一方、高田や直江津において市が発展するのは松平光長が高田藩主をつとめた時代(1626~1681)になってから。藩が市場政策として市を発展させたもので、街道が交差し海上交易の拠点でもあった直江津港では交易が一層活性化した。
現在開かれている市のほとんどは20世紀をルーツとしたもの。商店やスーパーマーケットが発達していない当時、生鮮品から加工品、衣料品にいたるまで生活物資を手に入れる重要な役割を担い、無数の店舗と大勢の買い物客で賑わった。100年経った現在でも地域住民の生活に密着した街の機能として親しまれているほか、近年では観光資源としても注目されている。
今に続くそれぞれの市について、始まった年代順に紹介する。
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