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file-39 日本スキー発祥100周年 スキーがもたらしたもの~つながりと交流と

 

スキーがもたらしたもの~つながりと交流と

スキーブーム到来、身近になった新潟

昭和30年代のスキーウェア

太めのズボンにセーターが定番だった昭和30年代。


昭和40年代のスキーウェア

細めのスキーパンツが主流の昭和40年代。若者たちが雪山へ繰り出した。


昭和40年代・スキー客で賑わう駅のホーム

駅のホームで列車を待つ、スキー交流団の小学生。(昭和40年代)


 昭和30~40年代、日本に空前のスキーブームがやってくる。イタリアで開かれた冬季オリンピックで、猪谷千春が日本人で初の銀メダルを獲得したのが昭和31年(1956)年。同オリンピックでアルペン三冠王を獲得して世界を驚かせたトニー・ザイラー主演のスキー映画が日本で公開されたのが昭和34(1959)年。さらに、当時若者の間で大人気だった加山雄三がスキーで活躍する映画「アルプスの若大将」が封切られたのが昭和41(1966)年。

 雪山を颯爽と滑る彼らのスキーテクニックに、そしてそのスマートなファッションに、日本のスキーファンは夢中になり、憧れ、さらに多くの人が雪山に向かうようになった。鉄道で首都圏と結ばれていた新潟には、沿線に多くのスキー場が存在していたこともあり、多くのスキー客がやってきた。大学生のグループ旅行で、家族のレジャーとして、少年スポーツ団交流や修学旅行などで、とスキー旅行文化の裾野が広がった時期である。

 昭和48(1973)年には、日本初のスキーワールドカップが苗場スキー場で開催され、「スキーと言えば新潟」のイメージが定着していく。スキーで新潟にやってきた彼らは、宿で温泉で街で雪国の暮らしや生活文化や郷土料理などに触れ、地元の人の人情に触れていく。その結果、新潟を身近なものに感じ、馴染みの場所を作って繰り返し訪れる人も増えてきた。「スキーと言えば新潟」というイメージが広がっていく背景には、そんな土地や人の温かさがあったに違いない。

 地元の人たちにとっても、スキー旅行文化の裾野拡大で身近なものになった県外の人との交流や県外でのスキーブームは、改めて「雪を楽しむ」という視点を見直し、地元にあるよい部分を再認識する機会ともなった。子供たちは自分も憧れのスキーヤーのように滑りたい、とスキーに熱中し、若者たちもスキーファッションを決めて雪山に繰り出していったのだ。

 
 
 

新潟の雪山から世界へ、世界から新潟へつながる人々

雪山は子供たちの遊び場。スキー靴をはいて雪合戦。(昭和30年代)

雪山は子供たちの遊び場。スキー靴をはいて雪合戦。(昭和30年代)


モンブランの急斜面を滑降する植木さん。世界で4人目の偉業を達成する。<br />

モンブランの急斜面を滑降する植木さん。世界で4人目の偉業を達成する。


大きなブリを目の前にして喜ぶ植木さん

網元から譲ってもらった大きなブリを目の前にして喜ぶ植木さん。自らさばいてお客さんに提供することも。これぞお金のかからない贅沢。


 雪国の子供にとって、雪山は最高の遊び場。スキーもできれば雪合戦もできる。いくらでも楽しめる場所だった。燕温泉出身で、日本アルペンスキー学校校長である植木毅さんも、小さいころから妙高の山でスキーに慣れ親しんできた。学生時代は全日本選手権や国体などに出場。燕温泉で生家が旅館を営んでいた植木さんは、旅館経営に携わり、宿泊客にはスキーも教え、妙高で一番のお客さんが入る旅館にまで成長させた。

 植木さんは1967年に日本人初の北穂高岳滝谷C沢滑降を成功させ、日本山岳スキーの境地を切り開く。活躍は海外へも及び、ヨーロッパアルプス最高峰であるモンブランの北壁滑降(世界4人目)やアラスカのマッキンレー登山滑降(世界初)を成し遂げ、同年には日本初のヨーロッパスキーツアーでガイドを務めている。日本のスキー界をけん引してきた第一人者である。

 日本と海外の中学生を往来させるなど、国際交流にも熱心に取り組んできた。彼が育んできた交流を元に、現在妙高市はスイスのツェルマット、アラスカのガードウッドと姉妹都市、スイスのグリンデルワルドと友好都市条約を結んでいる。世界の名だたる雪山を征していく中で、人とのつきあいを大切にし、国内でも学生のスキー指導をしてきたからこそ、妙高の地にまた新しい交流の歴史が生まれたのだ。

 「儲けるという感覚ではなく、自分が楽しむという気持ちで人と接してきた。それがよかったのかも」と植木さん。「妙高の魅力は、お金をかけない楽しみ方を提供できること。田舎には田舎の良さがあってその自然を楽しむべき。これが本当の贅沢だと思う。」田舎の良さや自然を自らも楽しみ、相手にも楽しんでもらう、そんな姿勢で人間関係を築き上げてきた植木さん。これこそが、新潟がスキー旅行文化を受け入れ、多くの客人を迎え入れ、温かい人間関係を作ってきた根本にあったものなのではないだろうか。

 今も妙高を拠点に国内外を飛び回り、人生を謳歌する植木さん、御年73歳。スキー発祥100周年を語るには、なくてはならない人物の一人である。

 
 

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