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file-48 今だから知りたい新潟の奇談(後編) ~奇祭!化け猫退治に由来する裸押し合い祭り

奇祭!化け猫退治に由来する裸押し合い祭り

雪の普光寺毘沙門堂

「雪の普光寺毘沙門堂。重厚な作りが雪国らしい雰囲気を醸し出す。(写真提供:南魚沼市観光協会)


毘沙門堂裸押し合い祭り

毘沙門堂裸押し合い祭り。もみあい、押し合う若衆たちの熱気が、寒さをも吹き飛ばす。(写真提供:南魚沼市観光協会)


大祭福餅撒与

無病息災・除災招福祈願の大祭福餅撒与。福餅を手に入れようとたくさんの人が詰めかける。(写真提供:南魚沼市観光協会)


魔除けの猫面

魔除けの猫面。残念ながら、現在は販売されていない。(写真提供:南魚沼市観光協会)

 新潟県の中でも特に雪深い南魚沼市浦佐の普光寺毘沙門堂では、「裸押し合い祭り」が毎年3月3日に行われており、約1200年の歴史を誇っている。我先に毘沙門堂を拝もうと、多くの民衆が押合いを始めたのがこの祭りのきっかけである。

 この普光寺毘沙門堂は、その昔、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(785-811年)が魚沼地方を鎮静するために建立されたものだとされている。毎年数万人の見物客が訪れるというこの裸押し合い祭りは、実は以下のような化け猫退治に由来しているとも言われている。

 普光寺には、いつの頃からか一匹の猫が住みつき、この猫が年をとって化け猫になった。この化け猫が、毘沙門堂の堂守(どうもり)を次々と食い殺すようになったため、村人たちは、なんとかしてこの化け猫を退治しようといろいろ策を練ってみるが、恐ろしくて手が出せない。

 そんなある時、堂守を志願する修行僧がやってきた。化け猫のことを村人に聞いていた修行僧は、片目のあんまに化けてでた化け猫を、応戦に来た村人たちと共に退治したという。人々は、この化け猫の上にむしろをかぶせ、掛け声をかけながら力いっぱい「サンヨ、サンヨ」と言いながら、踏みつけたのだという。

 この日が旧暦の1月3日であるといわれており、新暦になおすと3月3日にあたる。そのため浦佐では毎年3月3日に、堂の中にむしろを敷いて、「サンヨ、サンヨ」という掛け声を唱えながら裸押し合い祭りをするようになった。またその年の豊作や除災招福(じょさいしょうふく)も祈願されているという。

 かつては門前で、日光東照宮の「眠り猫」を彫った名工・左甚五郎の作であるとされる原形を元にした「魔除けの猫面」が売られていた。昭和初期に作る人がいなくなり、一時断絶してしまったが、1980年頃、地元の画家・早津剛氏が古い猫面を発見したのをきかっけに、復元が行われ、「魔除けの猫面」が復活を果たした。

 また、毘沙門堂には「猫瓦」があしらわれていたり、「裸押し合い祭り」の時に堂に敷くむしろのことを、人々は「ネコシキ」と呼んでいたりと化け猫と毘沙門堂の関係を感じさせるものがあちこちに残されている。

 新潟の長い冬。それは来る春への準備期間でもある。冬籠りのため、物が「ふえる」ところから「ふゆ」の語源になったとも言われており、また娯楽の少なかった昔は、たくさんの昔話をして、長い冬を過ごしていた。新潟県は昔話の数が他地域に比べ、圧倒的に多く、民俗学会も全国で一番歴史が古いのだと高橋郁丸さんは語る。雪とともに暮らす人々は、先祖が伝えてくれた多くの物語を語りつぎ、「妖怪」という得体のしれないものに、冬への不安や恐怖心を投影していたのかもしれない。

 日本三大奇祭の一つであり、国の重要無形民俗文化財への指定を目指している浦佐の「裸押し合い祭り」。ぜひ直接足を運んでみてはいかがだろうか。もしかしたら「妖怪」の存在を感じることができるかも。


● 取材協力:新潟県民俗学会常任理事 高橋郁丸さん

● 写真提供:南魚沼市観光協会大和案内所

● 引用・参考文献
・現代語訳 北越雪譜(荒木常能・鈴木牧之 著:野島出版)
・現代語訳 北越奇談(荒木常能 著:野島出版)
・にいがたの怪談(駒形覐 著:新潟日報事業社)
・越後の国雪の伝説(拾遺)(鈴木直 著:歴史図書社)

 


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