
file-73 雪国の手仕事
温かさあふれる手仕事
猫も満足 人の心癒やす技

関川村の猫ちぐら。美しくそろった編み目や稲わらの香りに、眺めている人まで癒やされます。

関川村猫ちぐらの会の皆さん。猫ちぐらをきっかけに村を訪れる人もおり、会のメンバーは地域の魅力を伝える役割も果たしています。
関川村の猫ちぐらは、かまくらに似たまぁるい形と、中で猫がくつろぐ様子が見る人の心を温めます。乳飲み子を入れるための篭(かご)“ちぐら”をヒントに、猫用に作られるようになった工芸品です。関川村の豪農・渡邉家の番頭さんが愛猫のために作ったものが始まりだと言い伝えられ、大正時代には使われていたそうです。現在、作っているのは関川村猫ちぐらの会の皆さんです。かまくらに似たまぁるい形は、丁寧な手仕事のたまもの。型紙などはなく、経験が頼り。完成までおよそ1週間かかるそうです。まずは円形の土台を作り、下から上の方に向けて編んでいきます。材料の稲わらはストローのように空気を含むため、冬は温かく、夏は涼しいという優れものです。猫が丸くなってくつろぐのに、快適な空間のようで、猫同士が競り合って入る場面もあるようです。
商品として売り出したのは1980年ごろ。愛猫家に好評を得て、人気が広まりました。年々増えていく注文に応えようと、村では1985年に猫ちぐらの会を発足し、現在20~30人が作り手として活躍しています。最高齢は87歳の元気なおばあちゃん。村では「作ってみたい」と手を上げる人も少なくなく、30歳代の若手も技を引き継いでいます。メンバーの中では県内外の注文者と文通を続けるなど交流も生まれ、生きがいの一つになっているそうです。しかし、あまりの人気に生産が追い付かず、注文から4年半待ちになるほど。「それでも、手抜きはできない」という気持ちは作り手の譲れないところ。一編み一編み、待っている人を思いながら編んでいるそうです。
手のひらの中に小さな幸せ

毎年1月10、15、20、25日に開かれる節季市。多くの人でにぎわいます。

色とりどりのチンコロ。さまざまなデザインで観る人の目を楽しませます。
雪深い十日町市では1月に、農家の人々が冬の副業として竹やわらなどで作った生活用品や民芸品を持ち寄って、節季市を行います。カゴやワラ沓(ぐつ)などが売られる露店を巡ると、カラフルな色合いで一際目を引くのが、しんこ(米の粉)で作られた「チンコロ」です。チンコロはおよそ3センチと手のひらに収まる小さな人形ですが、子犬をはじめ、干支(えと)など、様々な形があります。福を招く縁起物として各家庭に飾られ、乾いて入ったひびの数が多いほど「幸せが多く舞い込んでくる」と喜ばれるそうです。
チンコロはまず、しんこに湯を加えてこねたものをゆで、赤や黄、緑色の食紅で色づけをして下準備をします。それを手で丸めたり、はさみで切ったり、手先に集中します。形ができたものを数時間寝かせ、ふかして照りを出すと完成。デザインも工夫されており、子犬が鯛を持っていたり、ウサギが餅をついていたりと多彩です。顔が少しずつ違うのも手作りならでは。愛嬌(あいきょう)満点で、どれを選ぶか迷ってしまいます。手間を掛けて作られるチンコロは、うまく保存すれば何ヵ月かもちますが、乾燥したところだと、1週間もすればひびわれてしまいます。かわいらしい姿を少しの間しか留め置かないはかなさもまた、魅力の一つでしょうか。毎年、人々が列をなして再会を待ちます。
このように市の“顔”となっているチンコロ。歴史も気になるところですが、実はその起源ははっきりとしていません。明治時代に個人のアイデアで創作して人気を博した-、酒造りの途中で蒸し米の硬さをみるためにつぶしたヒネリ餅を元に作られた-、など諸説あるようです。第二次世界大戦下では、食料難から一時、姿を消したものの、昭和30年ごろには復活したそうです。しかし、平成11年に伝承者の1人が亡くなり、存続の危機を感じた公民館を中心に、後継者育成が図られました。伝承者の家族が作り方をつづったノートや経験者の知識を元に講習会を開講。講習会には多くの人が参加し、チンコロ作りを学びました。現在は中条チンコロ伝承会、エンゼル妻有、各地区公民館などが、その火をともし続けています。
家族の知恵 次世代へつなぐ

和紙で作られた純白のウェディングドレス。

平らな紙になるよう、縦横に桁をゆすり、紙を漉きます。

雪中に保存する作業「かんぐれ」。低温で紙を守り、凍ることもありません。
小国和紙の技術もまた、雪にはぐくまれた産物の一つです。旧小国町(現在の長岡市小国地域)山野田集落にはかつて多くの生産者がおり、江戸時代には水田のない山間地の年貢として納められ、昭和初期には一冬に2200万枚の紙が生産されていました。冬季の家内工業として、出稼ぎに出る男手抜きで、年配者、女性、子どもが力を合わせて作りました。小国地域では時代の流れと共に消えつつあった小国和紙を後世に残そうと、昭和59年に小国和紙生産組合が設立されました。日本酒のラベルや着物用の札紙などを作っているほか、和紙の調湿効果を生かした壁紙や照明器具も提案しています。また、和紙をふんだんに使った手作りウェディングの演出も手掛けます。コサージュやランチョンマットをはじめ、服飾作家さんと協力して和紙のウェディングドレスも作ってくれるそうです。
生産組合では和紙の魅力を現代の生活に最大限に生かしながら、古くから伝わる地域の技法を大切に守っています。小国和紙の中でも雪を利用した古式の製法で作ったものを小国紙(おぐにがみ)といいます。春から秋にかけ、原料となるコウゾを栽培します。コウゾは桑科の落葉低木で、夏には4~5メートルにも成長します。葉が落ちてくる11月ごろに収穫し、蒸した後に皮をむきます。その表皮をさらに包丁でそぎ取り、晴れた日に雪にさらして漂白します。そして、灰を水に溶いた上水などで柔らかく煮た後、棒でたたいて繊維状にしていきます。繊維状になったものは紙素(かみそ)といい、この紙素を使って、いよいよ紙漉きです。漉舟(すきぶね)と呼ばれる水槽に水と紙素を入れ、さらにトロロアオイ(ネリ)を入れます。桁(けた)という木枠の間に、簀(す)という竹ひごを糸で編んだ物をはさみ、漉舟の水をくみながら縦横に揺すりながら漉いていきます。普段あまり聞いたことのない道具の名前が多く、好奇心をくすぐりますね。
小国紙の特徴はこの後に雪に埋めて雪中保存する「かんぐれ」を行うところです。小国では漉いて水分をしぼった紙床(しと)を雪の中にしまいます。冬の間は晴れた日がほとんどないため、春を待って天日で干します。雪の中で保存することによって、腐食から紙を守る雪国ならではの知恵です。天日干しは3月に入ってから。雪上に設置した板に紙床をはり付け、日光に当てます。ここでも雪が大活躍。雪で反射した紫外線が紙の茶色っぽい着色成分を破壊し、白く美しく仕上げてくれます。昔はよく、「顔が黒くなる分、紙が白くなる」と言われていたそうです。かつて家族総出で行われた紙作り。子どもたちが顔を黒くして手伝う様子が目に浮かびます。「雪国の人々の絆を学び、次世代に伝えたい」。生産組合のメンバーがその思いを胸に、小国紙を守り続けています。
■取材協力
樋口隆司さん(樋口織工藝社)
■参考文献
「小千谷織物の歩み」(小千谷織物同業協同組合発行)
「重要無形文化財 小千谷縮・越後上布」(重要無形文化財小千谷縮・越後上布展実行委員会発行)
「週刊人間国宝46 工芸技術・染織10」(朝日新聞社刊)
「しあわせ猫ちぐら」(五月書房刊)
「節季市のチンコロとトットッコ」上村政基著(上村政基刊)
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