file-78 にいがたの城下町(後編)
市民が中心となって甦った新発田城
平地に建つ珍しい城
新発田城址公園は新発田市を代表する桜の名所。お堀端に並ぶように咲く桜とお城のコントラストは情緒満点です。
別名「あやめ城」として地元住民に親しまれている新発田城は、日本100名城に選定されているほか、国指定重要文化財にも指定されている新発田市のシンボルです。
一般的に城といえば山城をイメージしますが、新発田城は政治・経済の中心として交通の便利さなどを考え、平地に作った平城です。隙間なく積み重ねられた「切り込み接ぎ布積(きりこみはぎぬのづみ)」と呼ばれる石垣は、美観を重視した非常に高い技術のあらわれであり、現代でも石垣積の頂点と言われています。
完成まで50年
知名度や歴史上の重要性、復元の正確性などを基準に選定される「日本100名城」であることを示す石碑。
新発田城は初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が1598(慶長3)年に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。築城に50年という長い年月を費やした、珍しい城です。米どころとして知られる新潟ですが、当時の新発田はほとんどが低湿地で、お世辞にも米づくりに適しているとは言い難い状態でした。そんな中、領民の生活の安定を図るのが先であると、城作りは後回しにしたのです。こういった動きは、全国でも極めて稀だといえます。溝口氏が外様大名でありながら、戊辰まで十二代にわたり、一度も国替えが無かったということは、新発田藩においては実に安定した治世が行なわれてきたということを知ることができます。
明治初年頃の新発田城三階櫓
三匹の鯱(しゃち)が特徴の三階櫓。現在の新発田城址公園では、当時の姿をそのまま復元した三階櫓を見ることができます。(写真提供:新発田市教育委員会)
市民の声で実現した復元
新発田城はその構造物のほとんどが、明治政府の城郭破却令(じょうかくはきゃくれい)によって取り壊されてしまいました。その中残った本丸表門と旧二の丸隅櫓を中心とするお城周辺は、多くの住民に親しまれていました。そして長い間、建物の復元を望む声が上がっていたのです。
平成13年7月、その声がついに形となりました。新発田城を愛す会、新発田市自治会連合会、新発田城三階櫓再建期成同盟、寺町・清水谷地区まちづくり協議会、新発田歴史塾「道学堂」の5つの市民団体が集結。新発田城の復元に向けて進もうと「新発田城三階櫓・辰巳櫓の復元を推進する会」が設立されました。
会のメンバーは、市民の声を形にするべく署名活動を開始。その結果、市民を中心に近隣住民、県外に住む新潟県人、お城愛好家などから3万名余の署名が集まり、同年12月、新発田市長へ提出されたのです。
こうして新発田城の復元作業が始まりました。全国各地にある城は、実は当時の建物をそのまま再建したものは少なく、想像の部分が含まれるものが多いのですが、新発田城は場所もそのまま、工法も当時と同じ、大きさも原寸に基づいて再建された数少ない城でもあります。幸運にも古写真等多くの資料が残っていたため、全国的にも恵まれた復元作業となったのでした。
作業に携わった職人たちの技は見事の一言でした。大量の大きな木材を調達、加工し、複雑な継ぎ目部分も釘を使わず全て伝統工法で結合するなど、木組み・壁・建具・瓦・鯱等全ての工程を通じ伝統工法がしっかりと継承されたのです。
こうして市民と職人、行政の思いが一つとなり、平成16年、三階櫓と辰巳櫓が復元されました。
復元から10年
「新発田城を愛す会」会長の諸橋晃さん
「新発田城を愛す会」発足当時から現在まで会長を務める諸橋さんは、新発田生まれの新発田育ち。「新発田城は子どもの頃から憧れの存在で、甦った三階櫓と辰巳櫓は何度見ても飽きない」と語る目は輝いています。
三階櫓と辰巳櫓の復元に向け活動を行ってきた「新発田城を愛す会」会長の諸橋晃さんは、三階櫓の屋根にある三匹の鯱に注目してほしいと話します。実は鯱が3匹乗っているのは全国でも新発田だけとのこと。「どうして3匹なのか確かな根拠はなく諸説あります。鯱の向きで方向を把握していたことから、3匹にすることで方向を把握しにくくしていたという話が、私にはしっくりきているんですよ」と諸橋さん。その他、外壁下部に使われている黒く四角い物は「海鼠(なまこ)壁」という積雪寒冷地特有のもので、お城では金沢城と新発田城で見ることができますが、西国の城には見られないものです。
この立派な城の再建に汗を流した日々の苦労については「何も大変なことなんてないさ。新発田生まれ新発田育ちの新発田っ子だから、子どもの頃からお城が大好きだったというだけ。全国的に見ても新発田城の復元レベルはとても高いんですよ。だからそのことをもっと知ってもらいたいし、地元の人も“我が町の城”だと誇りに思ってほしいですね。」
完成から今日まで、三階櫓と辰巳櫓は諸橋さんら「新発田城を愛す会」をはじめ、市民団体や地元の小中学生が定期的に清掃活動を行っています。維持にも市民が大きく関わっているのです。特に、年末に行われる「新発田城市民年末清掃」は日本一の規模だそうです。
今年は三階櫓・辰巳櫓の復元完成からちょうど10年。節目の年を記念して、市民から希望者を募り、普段見ることのできない三階櫓の中を一般公開しました。今後も数々の催しを予定しているとのことです。
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新発田に今も残る城下町の風情
城下町新発田の茶道と和菓子文化
新発田市菓「あやめ城三階櫓」
ごまあんを包んだしっとりとした生地には、三階櫓の姿が浮かび上がっています。
市菓第2弾「あやめ城辰巳櫓」
新発田の特産品アスパラガスのピューレを黄身あんに練りこんでいます。
新発田は江戸時代を通じて溝口氏の城下町で、比較的豊かでした。3代宣直(のぶなお)侯は1658(万治元)年に曹洞宗高徳寺を五十公野の上新保に移し、その跡地を藩の御用地として下屋敷清水谷御殿を建立。その後4代重雄(しげかつ)侯の時に幕府茶道方であり庭方でもあった縣宗知(あがたそうち)を新発田に度々招き、作庭の指導を受け、元禄年間(1688-1704)に清水谷・五十公野・法華寺などの庭園が完成しています。五十公野御茶屋は新発田藩主の別邸で、参勤交代にはここで旅装を改めたほか、茶寮として重臣にも開放し遊楽の場となっていました。
このように茶の湯を藩内に広く推した歴代藩主の溝口家が興隆に力を注いだといわれるのが石州流越後怡溪派(せきしゅうりゅうえちごいけいは)です。その源流は、徳川300年の茶道指南役と呼ばれ、のちに「石州ならざれば茶にあらず」と称された石州流。4代重雄侯が参勤交代で江戸に滞在している間直々に茶の湯を習ったのが、石州流怡溪派の派祖、怡溪宗悦(いけいそうえつ)だったのです。重雄侯は藩内に怡溪派を導入する一方、5代目重元(しげもと)に直伝の茶の湯を伝え、溝口家と石州流の長い歴史が始まりました。
中でも江戸末期の藩主10代直諒(なおあき)侯は、江戸常駐の怡溪派茶道職・阿部休巴(あべきゅうは)に茶の湯を習った際に、その奧伝まで賜ったとのことで、改めて「越後怡溪派」を名乗り、藩士にまで茶道を奨励するなど歴代最も茶の湯に傾倒した藩主として知られています。この時誕生した石州流越後怡溪派は各地に広がり、現在も新発田藩とゆかりのある清水園や五十公野御茶屋などで毎年茶会が開催されるなど、新発田を茶の湯が盛んな町として支える文化の一つになっています。
茶道とともに発展したのが和菓子。京都から技術を取り入れながら、質の良い菓子が作られるようになったと言われています。上質な米や豆類など、菓子作りに必要な材料には事欠かなかったこともあり、新発田の和菓子の伝統は発展していきました。
現在でも新発田市には人口に対してたくさんの和菓子店があります。平成16年、三階櫓・辰巳櫓の復元を記念して、新発田菓子業組合が中心となり、市菓「あやめ城三階櫓」が作られました。また、平成22年には官民協働で開発した市菓第2弾「あやめ城辰巳櫓」を発売しています。パッケージデザインなどは市民が手掛けていて、新発田城の復元同様市民の力がここでも形となっています。「あやめ城三階櫓」「あやめ城辰巳櫓」は、新発田市内の和菓子店で販売されています。
未来を担う若い力へ
店主の高齢化が進んでいる老舗和菓子店も、次の世代となる若い力がどんどん育っています。それは新発田城を守ることも同じ。「愛す会のメンバーは現在56名。若いメンバーが加わったり、どんどん力が増していますよ。あと、お城の掃除をしてくれる子どもたちには本当に感謝しています。こういったことから、新発田城を愛する気持ちが代々伝わればいいと思っています。」と、「新発田城を愛す会」の代表、諸橋晃さんは未来に想いを寄せます。
市民によって復元された新発田城、そして市菓の誕生…これからも新発田城は、市民の愛によって守られていきます。
<参考ホームページ>
▷ ・132年の時空を超えて 新発田城
▷ ・新発田市観光協会 しばた観光ガイド
▷ ・新発田の特産加工品 新発田市ホームページ
■取材協力
諸橋晃さん(「新発田城を愛す会」会長)
■資料提供
新発田市教育委員会生涯学習課文化行政室
新発田市役所
■参考資料
「石州流怡溪派歴史」(茶道怡溪会編)
「石州流:歴史と系譜」(光村推古書院)野村瑞典著
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県立図書館おすすめ関連書籍
「もっと詳しく知りたい!」、「じっくり読みたい!」という方、こちらの関連書籍はいかがでしょうか。以下で紹介しました書籍は、新潟県立図書館で読むことができます。貸し出しも可能です。ぜひ、県立図書館へ足をお運び下さい。
▷『新・にいがた歴史紀行3 新発田市 聖籠町 阿賀野市』
(五百川清著/新潟日報事業社/2008年)請求記号:N /29*1.2 /I61
新発田市と聖籠町、阿賀野市の寺社、史跡を掲載した本書は、歴史的背景の解説とカラー写真・略地図が掲載され、旧跡をめぐるガイドブックとしてもご覧いただけます。毎年8月27日~29日におこなわれる城下町新発田ふるさとまつりや、開湯100年を迎えた月岡温泉など、新発田にお出かけの際には新発田の歴史に思いをはせてみませんか。
▷『新発田藩』
(鈴木康著/現代書館/2008年)請求記号:N /2*12 /Su96
本書は「シリーズ藩物語」の1冊として刊行され、新発田藩のあらまし、城下町新発田の姿をまとめたものです。市史編纂委員会や平成10年の城下町四百年記念事業『城下町新発田四百年のあゆみ』の編集にも関わった著者の筆により、新発田の歴史が生き生きと描かれています。「第四章 城下町新発田の文化と暮らし」では、石州流茶道についても触れられており、怡渓派茶道を奨励した十代直諒侯の茶道具の写真も掲載されています。
▷『今月使いたい茶席の和菓子270品』
(淡交社編集局編/淡交社/2011年)請求記号:791 /Ta88
歴代藩主が茶道に力を入れた新発田藩では、関わりの深い和菓子文化も発達していきました。本書では、茶席で使われる和菓子を、季節ごとに紹介しています。由来や特徴が添えられ、写真から感じられる繊細な技からは、和菓子の奥深い世界も感じることができます。お客様へのおもてなしの参考としても、茶道、茶の湯に興味を持つきっかけとしても、お使いいただける1冊です。
このほか、映画化された小説『利休にたずねよ』(PHP研究所/2008年 請求記号:791/Y31)の著者・山本兼一氏が、千利休の人物像やゆかりの茶道具、茶室についてつづったエッセイ『利休の風景』(淡交社/2012年 請求記号:791/Se56)や、石州流怡渓会の活動や様々な情報を提供している機関誌『石州』(郷土雑誌のため、館内閲覧のみです)も県立図書館で所蔵しています。
ご不明の点がありましたら、こちらへお問い合わせください。
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新潟県立図書館 http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/