令和5年10月に、県内の国・県指定文化財を一斉に公開する「にいがた秋の文化財一斉公開」が、初めて開催されました。非公開の文化財を特別に公開するものや、期間限定あるいは通年の公開など、県内各地で約100件の文化財が公開され、多くの方がこれらの文化財を訪れました。
今回は、1日限定で特別公開された重要文化財「新潟県議会旧議事堂」(新潟市中央区)と「木造地蔵菩薩半跏像」(新潟市秋葉区)について、ご紹介します。
重要文化財「新潟県議会旧議事堂」は新潟県政記念館として市民に親しまれており、明治時代の県会議事堂で唯一現地に現存する貴重な建物であることから、昭和44年(1969)に重要文化財に指定されました。今回はこの貴重な建物を今後も引き継いでいけるよう、耐震改修工事と保存修理工事を令和10年(2028)3月まで行うに当たり、着工前に特別公開が行われました。
明治時代初めの県会(現在の県議会)は新潟県庁の管内会所で開かれていましたが、明治13年(1880)8月7日の大火で仮議場のある県庁舎が焼失してしまい、その後は近隣の学校内に仮議場が設けられたそうです。そして明治15年(1882)に県令(現在の県知事)の永山盛輝が議事堂を新築することを県会で提案し、同年8月に着工、明治16年(1833)3月に完成しました。
旧議事堂は、国内最初の都市公園の一つとして明治6年(1873)に認可された白山公園に隣接していますが、白山公園が明治の大火でも被害がなく、信濃川河畔に位置しており火災の心配がないため、現在の場所に決まったそうです。
明治16年(1833)に完成した旧議事堂ですが、昭和7年(1932)に県庁舎内に議場が新設されたため、その役目を終え、その後は新潟郷土博物館、海軍新潟港湾警備隊船舶警戒部、戦後は県庁分館などに使用されたのち、昭和44年(1969)3月に国の重要文化財に指定、昭和50年(1975)からは新潟県政記念館として使用されています。
この旧議事堂は木造2階建て(一部3階)で、屋上に八角塔屋を載せ、中央棟の両翼棟が左右対称に配置されています。建物内には議場、知事室、議長室、傍聴人控室、書記室など、大小14の部屋があり、議場の大空間を支えるトラス屋根組みや傍聴席を支える唐草模様の付いた鋳鉄柱、1階の守衛室と書記室に残る天井の中心飾りなどの見どころがあります。
外観では建物の隅を縁取る隅石(すみいし)やバルコニー、両側の棟の擬宝珠(ぎぼし)形の妻飾りなど、洋風建築の中に和風装飾が取り入れられ、伝統的な意匠を組み込んで調和させている特徴的な装飾となっています。
この建物の設計・監督は、現在の新潟市西蒲区出身の建築家・星野総四郎が取り仕切っています。星野は新橋駅舎、大阪駅舎などの建築に従事して洋風建築を学んだのち、県議会議事堂の設計を担当し、工事を請負っていました。
星野によって建てられたこの県議会議事堂は前述の通り、その時代ごとに多彩な役目を果たす建物として活用され続けてきており、その時々の建物の役割によって改修されてきました。
旧議事堂は、現役の議事堂として使われている間にも、大正6年(1917)10月に大きな改修があったことがわかっていますが、どのような改修をしたかはわかっていません。その後、重要文化財に指定された後に、建設当初の姿に戻すための修理工事が行われました。昭和47年(1972)1月から昭和49年(1974)3月に行われた昭和の大修理は、建物自体を解体して木材に残されている痕跡や構造などを調査しながら、あわせて文献調査も実施されたそうです。一つ一つの部材を丁寧に解体し、元通りにこれらの部材を極力再利用して組み立てるという修理を行いました。
また、平成16年(2005)11月から平成18年(2007)9月まで行われた平成の大改修では、傷んでいる箇所の修復や不同沈下による建物の傾きを修正する工事が行われました。
今回、修理の設計監理を行うのは、ユネスコ無形文化遺産「伝統建築工匠の技」の保存団体である(公財)文化財建造物保存技術協会です。文化財の建造物は普通の建物の修理工事とは異なり、建設当時の材料や工法などについて調査をしながら進めていくため、専門の知識を有する技術者が、修理工事の設計や監理を行うことが必要となります。
文化財である建物の修理は、傷んでいる部分をきちんと直していくというのが一番大きな目的であるものの、建物がどのように変遷してきたのか確認する調査を綿密に行い、当時の姿に戻すことも大きな目的となります。
旧議事堂が議場として使われた期間は約50年でしたが、その後用途が変わっていったため、外観もさることながら、建物内の設えがかなり変えられていったそうです。そのような変遷を過去の大改修の中で、調査を行ってどのような改造が行われたか明らかにした上で、復原できるところは復原し、建設当初の姿にほぼ戻されているということです。
これまで繰り返し修理工事を行ってきた県議会旧議事堂ですが、今回の修理では、多発している大規模な地震に備え、耐震補強を行います。過去の修理の際には想定していなかった規模の地震が多発しており、また、昭和の大改修から約50年が経ち、時代とともに耐震補強の技術も進歩したことから、今回耐震補強を行うことになったそうです。
令和の時代だからこそできる最新技術も取り入れながら、建物本体を保ちつつ修理、補強していくことにより、次の世代に確実に継承できるよう修理が行われています。
140年の間、時代ごとに議場や博物館、県庁分館等として使用され続けてきた新潟県議会旧議事堂。
その用途によって改修された外観や設えを、伝統建築工匠の技を駆使して建設当初の姿に近づけること、そして最新の補強技術による耐震補強を行うことが今回の修理工事のミッションとなっています。
修理を終え、私たちに再びその姿を見せてくれる時には、限りなく建設当初に近い形に復元され、地震にも耐えうる新たなる建物へと進化を遂げることでしょう。
この日、1日限定の公開となった文化財がもう1か所ありました。
新潟市秋葉区にある茂林寺に鎮座する国指定重要文化財「木造地蔵菩薩半跏像」が特別御開帳されたので、行ってきました。
こちらの像は古くから「子育延命地蔵尊」として崇められてきました。その芸術的な価値が高く評価され、昭和12年(1937)には「木造地蔵菩薩半跏像」として国宝指定されました。昭和25年(1950)の国宝保存法の廃止後は、文化財保護法に基づき国の重要文化財に指定され、新潟市内の彫刻では唯一の重要文化財となっています。
茂林寺は、江戸時代初期に新発田藩領の小須戸組の初代庄屋である坂井瀬兵衛吉次によって建立されました。この地蔵尊はその孫の与次兵衛によって大阪からもたらされました。当時、与次兵衛はたびたび大阪と小須戸を往復していましたが、ある日、大阪の宿にあった地蔵尊に出会い、それを譲り受けたとされています。その後、与次兵衛の家に男の子が生まれたことから、この地蔵尊は子育延命地蔵尊として人々の信仰を集めるようになったそうです。
地蔵尊は穏やかな表情と優雅な姿で、親の思いを包み込む愛情に溢れています。
普段は公開されていませんが、毎年5月7日・8日には、花まつりとして特別御開帳を行っています。
今回訪れた2つの文化財はいずれも1日限りの特別公開のため、しばらく見ることはできませんが、公開の際には訪れてみてはいかがでしょうか。
特に新潟県議会旧議事堂は、工事完了が5年後の予定となっていますが、修理工事の様子も公開する予定とのことですので、普段は見ることのできない文化財の修理現場もご覧いただけると思います。
文化財の中には、通年公開されているもの、一定期間のみ公開されているものがあります。今回の一斉公開期間にご覧いただけなかった方は、次回の公開の際には訪れてみましょう。
関連リンク
新潟県政記念館
新潟県新潟市中央区一番堀通町3番地3
電話:025-280-5619(新潟県観光文化スポーツ部文化課文化資源活用推進係)
茂林寺
新潟県新潟市秋葉区小須戸3362
電話:0250-38-2428