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域文化 データベース

新潟の歴史文化

文化財や寺社仏閣などの伝統的な建造物、新潟に縁のある偉人などを紹介します。

地域文化
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  • 八丁沖古戦場パーク

    八丁沖は長岡の東北郊外、百束(ヒャクソク)、大黒(ダイコク)あたりから、南は富島(トミジマ)、亀貝(カメガイ)にいたる南北約5キロ東西約3キロにわたる大沼沢地でした。河井 継之助(かわいつぎのすけ)は、長岡城奪回のため、 […]
  • 大黒古戦場パーク

    慶応4年(1868)の夏、このあたりは北越戊辰戦争最大の激戦地となり、長岡、会津、米沢藩兵らの奥羽越同盟軍と薩摩、長州藩兵らの新政府軍との間で幾度も激闘がかわされた場所で、付近の人びとは、その勇戦を讃え碑を建てました。 […]
  • 旧機那サフラン酒製造本舗

    長岡市や摂田屋地区の魅力・情報を発信する交流拠点施設が旧機那サフラン酒製造本舗です。ここでは、地元食材を活かしたメニューが堪能できるカフェ、特産品販売コーナーがあるほか、長岡出身の絵本作家・松岡達英さんの絵本なども展示さ […]
  • 木喰上人作 観音像

    木喰上人(1718-1810)は甲斐国(現山梨県)に生まれ、22歳で出家し、45歳のとき木喰戒を受け、56歳で廻国修行の旅に出て、仏像千体彫刻を発願しました。宝生寺木喰仏は、文化元年(1804)夏、この地を訪れた上人が境 […]
  • 貞心尼草庵・歌碑

    晩年の良寛を支えた貞心尼は長岡藩士の娘として生まれ、17歳で小出の医師に嫁ぎます。しかし、離縁され、まもなく出家。その後、古志郡福島村(現長岡市)の草庵(閻魔堂)に住みました。今はその跡が残るだけですが、草庵近くには「朝 […]
  • 馬高・三十稲場遺跡

    馬高・三十稲場遺跡は関原の南方に発達している信濃川左岸の河岸段丘上に小さな沢をはさんで東に馬高、西に三十稲場とわかれて所在しています。 馬高は火焔土器を出土した県内最大級の縄文中期の集落址でその規模は東西で150m、南北 […]
  • 藤橋歴史の広場

    藤橋遺跡は、信濃川中流域の河岸段丘上に所在する縄文時代後期から晩期に至る集落跡です。住居跡や土壙等多数の遺構と越後・会津地方の標式とされる藤橋式土器(晩期)・石鏃・板状石器・石斧等の多種の石器等の遺物の他、ヒスイ、その他 […]
  • 金峯神社の流鏑馬

    馬を駆せながら的を射る競技を「流鏑馬」と言います。7月15日の金峯神社の大祭に流鏑馬が行われるようになったのは、いつの時代か定かではありませんが、源義家が奥州討伐の勅命をうけ、北国街道下降に際し、朝敵降伏を祈願して社前に […]
  • 大森子陽の墓(おおもりしようのはか)

    寺泊駅近くの当新田の万福寺という寺に、良寛が少年時代に学んだ狭川(きょうせん)塾の師、大森子陽の墓があります。三十九歳で郷本の空庵に帰ってきた良寛は、何よりも先に子陽の墓に詣でています。その大森家墓地に良寛の詩碑が建てら […]
  • 遊女初君の歌碑(ゆうじょはつきみのかひ)

    愛宕神社境内、はるかに佐渡を見わたす小高い丘に、一基の歌碑が建っております。この歌碑が寺泊の遊女初君の歌碑です。 伏見天皇の御代、永仁六年(一二九八)時の権中納言藤原為兼卿は、幕府の執権北条貞時に陰謀の疑いありとして捕え […]
  • 硯水の霊井(すずりみずのれいせい)

    今から七百余年ほど昔、文永八年(一二七一)日蓮上人が佐渡へ配流になったとき、寺泊で船を待ちつつ説法された「北国最初の霊地」です。 ここに七日間滞在されたとき、上総国(千葉県)中山の弟子日常宛に有名な「寺泊御書」を書きまし […]
  • 本間精一郎誕生の地

    本間精一郎の実家は、酢、醤油の醸造を営む「かくほん」という屋号の豪商で、本家「やまほん」の分家でした。先祖は佐渡守護職本間遠江守正方で、承応二年(一六五三)遠江守の孫の代に寺泊に移り、廻船吟味役をしていた清左衛から分家し […]