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域文化 データベース

新潟の歴史文化

文化財や寺社仏閣などの伝統的な建造物、新潟に縁のある偉人などを紹介します。

地域文化
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  • 佐渡国絵図

    1681(天和元)年に描かれた佐渡国絵図には、雑太・羽茂・加茂の三郡の村が郡ごとに色分けされていて、それらの村々を結ぶ主要な街道が赤い線で引かれています。相川・夷などの大きな町は、家並みの絵で描かれています。そのほかにも […]
  • 佐渡国金銀山敷岡稼方図

    佐渡金銀山絵巻にはいくつかのパターンがあり、数多くの絵巻が伝えられています。基本的な内容は、坑内の採鉱の様子からはじまり、様々な製錬の過程を経て小判に鋳造されるまでを描いています。本絵巻もそのような構成で描かれる1巻本で […]
  • 九条頼経袖判下文

    越後文書宝翰集(えちごもんじょほうかんしゅう)は全44巻、705通の中世古文書群です。この古文書はそのなかでもっとも古いもので、鎌倉幕府四代将軍の九条頼経が当時の色部氏の当主公長による小泉庄支配を認める内容を示しています […]
  • 鉄黒漆塗紺糸縅異製最上胴具足(伝上杉景勝所用)

    上杉謙信公のあと、家督を継いだ景勝が用いていたと伝えられる甲冑です。兜の裏側に「永禄六年八月吉日」という文字が刻まれています。このとき上杉景勝はまだ8歳でしたので、上杉謙信の時代に作られた甲冑といえます。卍の下に猪(摩利 […]
  • 大棟山美術博物館

    松之山郵便局前より西にそびえる杉木立ちの奥にある大棟山美術博物館は、700年に近い歴史を持つ村山家31代の当主、村山政光氏が旧邸と庭園を博物館にしたものである。豪農の館として博物館の見所は、29世・30世が収集した書画陶 […]
  • 米山講

    江戸時代中頃から稲の虫よけと豊作祈願を中心とした米山の作神信仰が広がり、各地で米山講が組織された。田植え後の六月中旬から七月一日頃に代参者を出し、米山山頂の薬師堂を拝し、黒札と呼ばれる稲虫よけの護符とトウキ(せり科の薬草 […]
  • 桃林創始者塚田翁の碑

    塚田源太夫は独特の甘みで知られる「砂丘桃」の栽培を広めた先駆者。行商先で桃の 栽培には砂丘地が適することを知り、苦労の末に荒れ地を開墾して桃畑にしたのが始 まりです。最盛期の大正時代には上越や長野に出荷するまでになり、村 […]
  • 玉泉寺

    江戸時代には京都村雲御所(寺跡寺院)の御用を仰せつかっていた寺で、当時の乗り物だった緋網代の駕籠(村指定文化財)、上杉謙信公ゆかりの妙見仏像(北辰菩薩)が納められています。 出典:『2003年 村勢要覧 刈羽エナジー』 […]
  • 宝蔵寺

    同第五番札所。上杉景勝が国替えになった際、観音菩薩と如来像を乗せた舟が動かず、宝蔵寺に安置したという逸話があります。 出典:『2003年 村勢要覧 刈羽エナジー』 提供元:刈羽村役場 農政商工課 画像提供元:刈羽村総務課
  • 常楽寺

    この寺は、越後霊場三十三ヵ所第六番の札所です。札所というのは、鎌倉時代に北条時頼が諸国を巡回したときに立ち寄って祈願した観音さまが安置されているところを、道すじによって決めたものといわれています。本尊は行基の刻んだ国宝級 […]
  • 日本互尊社

    日本互尊社は昭和9年(1934)、野本互尊翁|野本互尊が唱えた互尊独尊の思想を後世に伝えようと設立されました。人はいかに生きるべきか。宇宙で唯一生きている独尊と、社会で多くの人びとと一緒に生きようとする互尊の両方が大切だ […]
  • 野本互尊翁

    野本互尊(恭八郎)は、山本 五十六(やまもといそろく)をはじめ、長岡出身の人物に大きな影響を与え、陽明学者の安岡正篤とも深い親交がありました。 また、11月3日を文化の日(旧明治節)とし、富士山を国立公園とする活動をした […]