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  • 金峯神社の流鏑馬

    馬を駆せながら的を射る競技を「流鏑馬」と言います。7月15日の金峯神社の大祭に流鏑馬が行われるようになったのは、いつの時代か定かではありませんが、源義家が奥州討伐の勅命をうけ、北国街道下降に際し、朝敵降伏を祈願して社前に […]
  • 長岡大花火

    長岡まつり大花火大会は、長岡市で毎年8月2日と3日に開催されます。長岡空襲の犠牲者の慰霊と復興に尽力する人たちへの感謝と恒久平和の願いを込め花火を打ち上げます。 正三尺玉とナイアガラ 正三尺玉は大正15年に長岡で初めて打 […]
  • 長岡まつり

    【長岡まつりのはじまり】 長岡まつりの前身は、長岡空襲の翌年に開催された「長岡復興祭」です。 昭和20年8月1日の夜、B29大型爆撃機の来襲により、一夜で市街地の約8割が焼野原へと変貌し、1,488名の尊い命が奪われまし […]
  • 大森子陽の墓(おおもりしようのはか)

    寺泊駅近くの当新田の万福寺という寺に、良寛が少年時代に学んだ狭川(きょうせん)塾の師、大森子陽の墓があります。三十九歳で郷本の空庵に帰ってきた良寛は、何よりも先に子陽の墓に詣でています。その大森家墓地に良寛の詩碑が建てら […]
  • 遊女初君の歌碑(ゆうじょはつきみのかひ)

    愛宕神社境内、はるかに佐渡を見わたす小高い丘に、一基の歌碑が建っております。この歌碑が寺泊の遊女初君の歌碑です。 伏見天皇の御代、永仁六年(一二九八)時の権中納言藤原為兼卿は、幕府の執権北条貞時に陰謀の疑いありとして捕え […]
  • 硯水の霊井(すずりみずのれいせい)

    今から七百余年ほど昔、文永八年(一二七一)日蓮上人が佐渡へ配流になったとき、寺泊で船を待ちつつ説法された「北国最初の霊地」です。 ここに七日間滞在されたとき、上総国(千葉県)中山の弟子日常宛に有名な「寺泊御書」を書きまし […]
  • 本間精一郎誕生の地

    本間精一郎の実家は、酢、醤油の醸造を営む「かくほん」という屋号の豪商で、本家「やまほん」の分家でした。先祖は佐渡守護職本間遠江守正方で、承応二年(一六五三)遠江守の孫の代に寺泊に移り、廻船吟味役をしていた清左衛から分家し […]
  • 密蔵院(みつぞういん)

    「ここは照明寺という真言宗の寺で、寺泊では屈指の大寺である。旧道から切通しになっている坂を入ってゆくと左手に照明寺の石段登り口がある。良寛は生涯のうち三度ほどここに移り住んだとつたえられる(中略)密蔵院はその境内の高台に […]
  • 寺泊の船絵馬(てらどまりのふなえま)

    日本海を航行する北前船にとって、寺泊は大切な港であり、高台に鎮座する白山媛神社は、航海に生きる人々の守護神として、篤い信仰を集めてきました。 ここに収蔵されている船絵馬は、白山媛神社に奉納され、拝殿に揚げられてきた五十種 […]
  • 二面神社(にめんじんじゃ)

    二面神社は、明徳二年(一三九一)五月、土地の漁師平三郎が夢枕に立った神様のお告げにより、海上に漂流する御神体を取り揚げて、ここに祭ったといわれています。ご神体は、横三九センチ、縦八二センチの板に、綱を持って魚を獲る西洋人 […]
  • 白山媛神社(しらやまひめじんじゃ)

    聚感園(しゅうかんえん)から、群生する石蕗(つわぶき)や藪椿を見やりながら高台に出ると、急に視野が開け、旅館の建つ街並や港が一望のうちに見渡され、夢の島佐渡も手に取るように眺められます。この台地に建つのが、寺泊の総鎮守白 […]
  • 五十嵐伊織の墓(いがらしいおりのはか)

    南蒲原郡田上村(現田上町)田巻三郎兵衛の三男に生まれ、長じて寺泊の五十嵐家を継いだ人です。 幼くして、藍沢南城について学び、皇典を修め、また、長岡藩士篠原某を聘(へい)して剣道に精進したといわれます。性剛直で敬神尊王の念 […]