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  • 遊女初君の歌碑(ゆうじょはつきみのかひ)

    愛宕神社境内、はるかに佐渡を見わたす小高い丘に、一基の歌碑が建っております。この歌碑が寺泊の遊女初君の歌碑です。 伏見天皇の御代、永仁六年(一二九八)時の権中納言藤原為兼卿は、幕府の執権北条貞時に陰謀の疑いありとして捕え […]
  • 硯水の霊井(すずりみずのれいせい)

    今から七百余年ほど昔、文永八年(一二七一)日蓮上人が佐渡へ配流になったとき、寺泊で船を待ちつつ説法された「北国最初の霊地」です。 ここに七日間滞在されたとき、上総国(千葉県)中山の弟子日常宛に有名な「寺泊御書」を書きまし […]
  • 本間精一郎誕生の地

    本間精一郎の実家は、酢、醤油の醸造を営む「かくほん」という屋号の豪商で、本家「やまほん」の分家でした。先祖は佐渡守護職本間遠江守正方で、承応二年(一六五三)遠江守の孫の代に寺泊に移り、廻船吟味役をしていた清左衛から分家し […]
  • 密蔵院(みつぞういん)

    「ここは照明寺という真言宗の寺で、寺泊では屈指の大寺である。旧道から切通しになっている坂を入ってゆくと左手に照明寺の石段登り口がある。良寛は生涯のうち三度ほどここに移り住んだとつたえられる(中略)密蔵院はその境内の高台に […]
  • 寺泊の船絵馬(てらどまりのふなえま)

    日本海を航行する北前船にとって、寺泊は大切な港であり、高台に鎮座する白山媛神社は、航海に生きる人々の守護神として、篤い信仰を集めてきました。 ここに収蔵されている船絵馬は、白山媛神社に奉納され、拝殿に揚げられてきた五十種 […]
  • 二面神社(にめんじんじゃ)

    二面神社は、明徳二年(一三九一)五月、土地の漁師平三郎が夢枕に立った神様のお告げにより、海上に漂流する御神体を取り揚げて、ここに祭ったといわれています。ご神体は、横三九センチ、縦八二センチの板に、綱を持って魚を獲る西洋人 […]
  • 白山媛神社(しらやまひめじんじゃ)

    聚感園(しゅうかんえん)から、群生する石蕗(つわぶき)や藪椿を見やりながら高台に出ると、急に視野が開け、旅館の建つ街並や港が一望のうちに見渡され、夢の島佐渡も手に取るように眺められます。この台地に建つのが、寺泊の総鎮守白 […]
  • 五十嵐伊織の墓(いがらしいおりのはか)

    南蒲原郡田上村(現田上町)田巻三郎兵衛の三男に生まれ、長じて寺泊の五十嵐家を継いだ人です。 幼くして、藍沢南城について学び、皇典を修め、また、長岡藩士篠原某を聘(へい)して剣道に精進したといわれます。性剛直で敬神尊王の念 […]
  • 越之浦神社(こしのうらじんじゃ)

    ここは、順徳上皇の御神霊を奉祀する神社です。仁治三年(一二四二)九月一二日、上皇崩御の悲報を聞いた五十嵐家の当主武兵衛は、旧行在所の脇に上皇が葬られた佐渡の真野御陵(まのごりょう)と相対す形で、小さな祠を建てました。その […]
  • 弁慶の手掘井戸(べんけいのてぼりいど)

    源義経は、兄頼朝の命を受けて一の谷、屋島、壇の浦の合戦で平家を滅ぼし、大きな戦功を立てました。しかし、逆に兄頼朝に疎まれ、追手をかけられて、弁慶以下わずかの手兵を従えて都落ちし、奥州平泉の藤原秀衡を頼って、身の危険にさら […]
  • 行宮御遺蹟碑(あんぐうごいせきひ)

    承久の乱の後、佐渡へ遷流になった順徳上皇を偲び、故本間建四郎氏ら町の有志の篤志によって、大正十一年に建設されました。 この巨大な碑面には、漢文で長い文章が刻まれており、要訳すると次のようになります。 「嗚呼 承久の事また […]
  • 聚感園(しゅうかんえん)

    ここは、北越地方の豪族五十嵐氏の邸宅跡です。五十嵐氏は、大同元年(八〇六)先祖忠利が姓を賜り常陸守に任ぜられ、三代左衛門尉利忠の時、越後守として当国へ赴任せられたといわれます。寺泊へ移住した年代は不詳ですが、文治三年(一 […]