新潟の地域文化を紡ぎ繋げる 新潟文化物語

文化の丁字路~西と東が出会う新潟~

  • 文字サイズ
  • 標準

特集

  1. 新潟文化物語HOME>>
  2. 特集>>
  3. file-7 鮭の子、はらこ ~村上の鮭文化~
特集 File07

file-7 鮭の子、はらこ ~村上の鮭文化~


世界初!鮭の自然保護増殖。貧乏がきっかけ

村上城址より村上市街を望む

村上城址より村上市街を望む。
右側に三面川の流れが見える。

 鮭の話の前に村上の歴史を少し。村上市は新潟県内で市としては最北に位置しており、上杉謙信の時代には本庄氏が村上城を守り、謙信を補佐していました。上杉家が越後から米沢に移封されると、村上は9万石の藩として村上氏(市名とは関係ないようです)が村上城に入ります。その後なぜか幾度も藩主が変わり、一時は15万石まで伸びた所領は5万石へ。1720年に内藤氏が入るとようやく安定して幕末までの9代、内藤氏が藩主を勤めました。内藤氏が入った時から5万石ではありましたが、一時は15万石に見合った体制だったわけですから藩の財政は常に厳しかったようです。内藤氏入封(にゅうほう)と時期を同じくするように、鮭漁の運上金が激減します。かつては数百両の収入になっていたものが、数十両。時には値がつかない年もありました。これだけでも大きな痛手ですが、1700年代後半から1800年代の前半にかけては全国的な飢饉。村上も無縁ではなく、税収が落ち込みます。また、内藤氏は幕府の中でも京都所司代など要職を勤める家柄で、藩主の出費が多かったのも窮乏に拍車をかけていました。

 村上藩にとって鮭の漁獲量の増大(=運上金増大)は、藩の行く末を左右するほどの大問題でした。そこで生み出されたのが「種川の制(たねがわのせい)」という鮭の自然保護増殖の技術でした。世界初というのは明治以降になって分かったことで、当時は村上藩独自の試みでした。



投稿はこちらから

  • イベントを投稿する
  • 地域文化データベースに投稿する
  • 投稿の仕方(PDF)
Copyright© Niigata Prefectural Government. All Rights Reserve