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特集 -File08-

file-8 佐渡の金銀山 一国天領に開いた文化


山から小判が生まれるまで

再現された佐渡金山の宗太夫坑

当時の採掘風景が再現された佐渡金山の宗太夫坑。


たらい舟

佐渡南端の小木半島に伝わる「たらい舟」。小木のたらい舟製作技術は国の重要無形文化財に指定されている。

 坑道に入ってたがねで鉱石を掘り(金穿大工)、その脇では木材を使って坑道を固定(山留大工)。鉱石を地上に運び出し(荷揚穿子)、さらに小さく砕いて品質ごとに選別(石撰り女)。この時点で奉行所の取り分と開発者の取り分に分けられます。その後石臼で粉砕して精錬し、金の延べ板を作ります。当初はこの状態で江戸に運ばれ、金座(現在東京造幣局の建つ場所)で小判になっていましたが、1622年からは佐渡でも小判鋳造が行われています。精錬から鋳造は佐渡奉行所内で厳重な監視のもとに行われていました。

 この一連の作業を支えるのは、鉱脈を見つける山師と測量技師(振矩師(ふりがねし))、坑道からしみ出す水を排水するための水替え人足、たがねを鍛え直す鍛冶師、桶を始めとした水抜き用の木工品を作る大工、鉱石を粉砕するのに使う石臼を作る石工などの専門職でした。こうした専門技術を持つ職能集団は全国から佐渡に集まり、定着します。このため相川で今も各地の地名を名字に持つ人がたくさん住んでいます。

 また、石工は坂の多い相川の町で石垣や石橋を築き、大工は後にたらい舟や佐渡箪笥を生み出します。振矩師の優れた測量術は、当時世界でも最先端の技術といわれる南沢疎水道を作りました。



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