広い県土を持つ新潟県は、食文化も地域によって様々。中でも正月料理は、各地域で代々受け継がれてきた大切な行事食。似ているようで、その家ならではのものがあり、背景を探っていくと地域の風習や歴史なども見えてきます。
 交通網が発達し、人の行き来が容易になった現代では、地域ごとの特色も薄れたといわれますが、昔ながらの正月料理は次世代へ伝えたい新潟の大切な文化のひとつ。今回は、地元に受け継がれてきた新潟県内の正月料理を中心に紹介します。

新潟県の正月料理の特徴は?
大晦日から始まる新潟県のお正月

 首都圏では、大晦日は年越し蕎麦だけで簡単に済ませ、おせち料理など正月のごちそうは年が明けた元旦から食べるもの。しかし新潟県では、大晦日からごちそうを食べはじめ、正月三が日も、そのごちそうをそのまま正月料理として食べる風習があります。
 この大晦日から正月料理を食べることを「年夜(としや)」といい、江戸時代から越後にあった風習だといわれます。そのごちそうは「年取り肴(ざかな)」とも呼ばれ、長岡藩主・牧野家の殿様のお正月もこの年取り肴でした。越後の藩主の正月は、皆そうだったといわれています。

 新潟の年夜のごちそうといえば、まずは「魚」。新潟の年取り魚というと最初に思い浮かぶのが鮭。正月に鮭を食べるのは、下越から中越、魚沼にかけての地域で、上越ではサメ、糸魚川ではブリと、地域によって違いがあります。

 また、正月の煮物といえば郷土料理「のっぺ」。地域によって欠かせない一品ですが、同じのっぺでも、具材の違いや煮汁が多い「のっぺ汁」や、仕上げに片栗粉でとろみをつける地域など様々。この「のっぺ」ではなく、「お平(ひら)」や「こくしょう」と呼ばれる煮物が並ぶところも多くあります。
 どちらも具材の数は、縁起を担いだ奇数で揃えます。昔から奇数は「吉数(きっすう)」と同じ読みであり、また陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)で奇数は「陽」=発展を意味することから、日本の正月料理は古来より奇数で揃えるのが良いとされています。

左は新潟市沼垂地区の汁が多めののっぺ汁。中央は十日町市松之山地区ののっぺ。仕上げに片栗粉でとろみをつけ、昔は鶏肉の代わりにウサギの肉で作ったそうです。右の三条市下田地区は練りものやキノコが沢山入っています。

 

津南町のある家庭の「ひら」。末広に切った人参、子孫繁栄の願いを込めたヤツガシラ、太いゴボウの芯をくりぬいてクルミを詰めた津南ならではの「いぐりごっぽ」など、縁起を担いだ奇数の素材が並びます。正月料理「ひら」とは、平たい器に煮物を盛ることからそう呼ばれるようになったとか。山間地の正月料理として、十日町や新発田、妙高など県内各地にあります。


 年夜のごちそうは、県内それぞれの土地の農漁業を反映した食文化。特徴ある料理は他にもまだ沢山あります。

 正月に納豆を食べる風習がある新発田市米倉地区、鮎で知られる阿賀町の上川地区の正月は、鮎の吸物や、鮎をご飯と山椒の葉で漬け込む「鮎の寿司漬け」が並び、三条市では名物の車麩の揚げ煮が欠かせないなど。また同じ地域でも、家によって少しずつ具材や味が違うのも年夜のごちそうの興味深いところ。これは遠くから嫁いだ女性が、自分の生まれ育った土地の味わいを少しずつ持ち込むためといわれます。年夜のごちそうは、その土地の文化であり、また代々作り上げた文化でもあるのです。

阿賀町上川地区の正月料理・鮎の吸い物。上川地区は清流と鮎で知られる土地。渓流で釣った夏鮎を冷凍保存し、正月料理として使います。鮎の香りとだしを存分に味わえるごちそうです。

三条の正月料理に欠かせない車麩。車麩の揚げ煮は正月料理の定番。他にゼンマイやタケノコ、身欠きニシンなどと煮物にすることもあるそうです。

 

県内各地の正月料理と正月の風習

新潟の年取り魚の代表格・塩引き鮭。鮭文化で有名な村上の正月に欠かせない塩引き鮭は、「海からの風が育てる」といわれます。内臓を出して塩をすり込み、軒下に吊るして海からの寒風に当てる塩引き鮭は、村上の風土が作りだした文化です。

 新潟のお正月といえばやはり「鮭」。そして鮭文化といえば村上です。1,000年以上も鮭と共に生きてきた村上の人たちは、鮭に敬意を払い、一切無駄にせず、「残るのはヒレと尻尾だけ」というほど、鮭の内臓や心臓、皮まできれいに食べることで知られます。
 村上の鮭料理は100以上、そのうち60種ほどが家庭の味として親から子へ代々伝えられているそうですが、その中で正月の習わしとして、塩引き鮭と酒浸しだけは、家長が腕を振るいます。年末には家族の労をねぎらいながら、塩引き鮭に包丁を入れ、「一のヒレ」の切り身を神様とご先祖様にお供えし、そのお下がりを家長が頂くのだそうです。

 この「一のヒレ」の風習は、村上だけでなく県内各地にあり、正月にブリを食べる糸魚川にも同様の風習があります。

左は村上市の塩引き鮭の一のヒレ。一のヒレは鮭1匹から2切れしかとれない貴重なもの。右は新発田市紫雲寺地区の一のヒレ。紫雲寺地区ではヒレはお腹を見せず、皮を上にして家長のお膳に付ける習わしがあるそうです。

県北や村上のお正月に欠かせないもうひとつが「飯(いい)ずし」。糀を混ぜたご飯に塩引き鮭や大根、柚子などを漬け込む伝統的な発酵食です。山形県境の海辺の町・村上市碁石地区では「飯(え)ずし」と呼ばれ、塩引き鮭ではなく、塩マスと身欠きニシン、数の子、タコ、塩イクラが入るのが特徴。

長岡、上越の正月料理

 長岡は長岡藩で知られる武士の町。昔の正月料理を調べてみると、塩引き鮭は欠かさなかったようですが、他は塩鮭のアラで野菜を煮る「べた煮」など、ぜいたくなごちそうというより、武士道の質素倹約の精神を感じられる料理が中心。ごま豆腐が欠かせないのも、武士の町ならでは。長岡の特徴として、他の地域では奇数で揃える「べた煮」や「のっぺ」の具材が、長岡では奇数で余りが出る「はぐれ」を嫌ってか、素材の数も偶数、盛り付けも2個ずつだったといいます。

 上越の正月料理の特徴はサメ料理。代表的な「サメの煮こごり」を始め、煮つけや酢味噌でぬたにして食べる風習があり、妙高でも正月にサメを食べる文化があります。サメを正月に食べる地域は日本でも数カ所しかなく、全国的に見ても珍しいようです。

上越の正月料理の定番だったというサメの煮こごり。ゼラチン質の多いサメの頭でなければできないそうです。

 そして、東西の文化の境目の地といわれる糸魚川。西の文化の影響からか、年取り魚は出世魚のブリ。男の子には必ず食べさせ、「王(おう)」にかけてブリの尾を食べさせたともいいます。
 上越でも糸魚川でも、正月に欠かせないのがおぼろ豆腐。特に糸魚川では昔から「糸魚川に過ぎたるものは豆腐・玄白・稚児の舞」といわれ、豆腐は、江戸時代の名医・相沢玄白(あいざわげんぱく)や伝統芸能の稚児の舞と並び称されていました。これはつまり、それだけ水の良い土地であり、おいしい豆腐ができたということだそうです。

左は長野県境に近い妙高市大鹿地区の正月料理。下にあるのが深ザメの煮魚。12月になると地元の店には深ザメの切り身が並ぶといいます。右は糸魚川の山間にある杉之当(すぎのとう)地区の家の正月料理。糸魚川名物の笹寿司に、ブリの焼きもの、梅花藻(ばいかも)という酢の物、こんにゃくとたらこを煮付けた「こあえ」などが並びます。


佐渡の正月料理

 同じ島内でも、地区よって違う文化があるといわれる佐渡。例えば両津は昔、スケトウダラ漁で栄えた地区だけに、正月にはこのだしで作る煮しめや、スケトウダラの子であるヨウノコを入れたなますなどが正月の膳に並びます。

佐渡市小木地区の正月料理。黒豆や田作りといった定番の他に、ニシンの煮物や昆布巻の他に「干し柿入りの紅白なます」や「あわせサヨリ」「海藻のワニカズラと油揚げの煮物」など、佐渡らしいものが並びます。

 金銀山の積み出し港として栄えた小木地区は、魚介が豊富に取れるにも関わらず、正月は昔から、佐渡で取れないニシンを使い、昆布巻きや煮物を作るそうです。これは江戸時代、北前船でニシンが取れる北海道との交流が盛んだったせいかもしれません。

新潟県のお雑煮図鑑

 お正月と言えば、欠かせないのがお雑煮。地元色や地域の素材はもちろん、同じ地区もそれぞれの家庭によって違うのがお雑煮。県内各地の家庭の味をいくつかご紹介します。

村上市碁石集落●岩のりを焼いて乗せるお雑煮

あっさりとしたしょうゆ仕立ての薄味のお雑煮に、寒風が吹く海から正月のためにとってきた岩のりを焼き、雑煮に乗せて食べます。


阿賀町上川地区●仕上げにクルミだれ

具は大根でだしは煮干し。上にクルミだれをかけるのは福島県の会津に近い阿賀町の特徴。クルミをすって水で伸ばしたものをかけると香ばしい味になるそうです。


柏崎市北条地区●のっぺを思わせるお雑煮

煮干しとかつお節でだしを取り、里芋やゴボウ、焼き豆腐や椎茸を煮てしょうゆとみりんで味を調えた、どこかのっぺ風の味わい。柏崎の山間部のお雑煮です。

津南町●山里らしい滋味溢れる雑煮

お雑煮の具はゼンマイと大根のみ。家によっては塩引き鮭やイクラが加わることもあるそうです。

十日町市松之山地区●珍しい汁なしのお雑煮

汁はなく、煮含めた大根と人参、白菜にゼンマイの具のみ。具の上に煮餅を乗せ、さらに具を乗せ、具で餅を挟むように食べる珍しいお雑煮。

糸魚川市杉野当集落●仕上げに添える赤巻き

具だくさんのお雑煮が多い新潟では珍しい、あっさりすまし汁仕立て。だしは干し椎茸と鶏肉。青ネギと、最後に入れる赤巻きが富山に近い土地ならでは。


新潟の旧家の正月料理
阿賀野市分田地区・石井家の正月料理


 国の登録有形文化財(建造物)に登録されている阿賀野市の石井家。明治天皇北陸御巡幸の際には御小休止所にもなった旧家です。この家を、17代目当主として守るのは石井たきさん。

高蒔絵の朱盃。高蒔絵とは文字通り、模様の部分が高く盛り上がった蒔絵のことだそうです。

 「私の家のお正月は、神棚やお仏壇と共に、明治天皇が御小休止された「玉座」と、庭に祭っているお稲荷様にお参りすることから始まります。大晦日には、玉座に塩引き鮭の「一のヒレ」をお供えし、元旦は御膳と御神酒をお供えしてお参りをします。」と石井さん。
 正月料理を頂く「茶の間」には、新年を迎えるために日の出と鶴の掛け軸。その前の置き床には、左右に御神酒入れである「弊子(へいし)」、高蒔絵(たかまきえ)の朱盃(しゅはい)は三方に乗せて飾ります。
 「お正月のごちそうは、家族が揃って一礼してから、まずお屠蘇(とそ)を頂きます。」そのごちそうはお雑煮、ゆずなます、のっぺ、ひたし豆、酒呑み切り干し、がんじきと錦卵と、素材の滋味を生かしたもの。

石井家のお雑煮。石井家ではこの器に餅は入れず、おつゆとしていただくそうです。「餅は好みで煮たり焼いたりして、別の器に入れます。そこにこのお雑煮をかけて頂くこともありますよ。」と石井さん。


 「ひたし豆」は一晩水に浸した青豆を、酒としょうがの搾り汁に浸したもの。「酒呑み切り干し」とは、輪切りにして干した大根に何度も酒をかけ、大根が開いたら生じょうゆだけで味付けする料理だそう。そしてお雑煮は、大根やゴボウ、コンニャク、打ち豆など、たっぷりの野菜と塩引き鮭が入ったものだと言います。

 中でも、石井家の正月料理に欠かせないのが、「がんじき」。がんじきとは、クルミにザラメを加えて煮詰め、焼き海苔で巻いたお菓子。新発田藩初代藩主の溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が加賀から入封した際に、共に移り住んだ菓子職人によって伝えられたものといわれています。
「私の母が新発田市五十公野(いじみの)の出身だったので、家でも作るようになったのです。」

奥に錦卵、手前が「がんじき」。慶弔用として特別に好まれていたそうです。独特の名前は、当時はクルミを岩に見立て、半月の型に入れて成形していたことから「岩月(がんづき)」と呼ばれ、そこから名前が付いたそうです。

石井家17代目当主の石井たきさん。

 毎年秋になると、石井さんはこのがんじきのために庭のクルミを拾い、殻を剝きながら、正月料理の準備に取り掛かります。1年の始まりを、丁寧に迎えているのです。
 石井家のある分田地区は田園が広がる地域。「子どもの頃、農家さんは12月から1月は農作業で忙しく、1か月遅れの 「2月正月」といわれていました。今はそういうこともなく、大晦日に皆さん村の鎮守さまにお参りに行っていますよ。」と昔のことを懐かしそうに語ってくれました。

 

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