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長岡市

「花火」と「米百俵」のまち

新潟県のほぼ中心に位置し、新潟市に次いで二番目の人口規模である長岡市。広大な敷地で四季折々の自然が楽しめる国営越後丘陵公園や、通称「魚のアメ横」と呼ばれる寺泊の魚の市場通りなどの人気スポットもあります。戦国時代は武将・上杉謙信が栃尾地域で旗揚げし、直江兼続が与板地域を拠点に活躍。他にも最後のサムライと称される・河井継之助、「米百俵」で知られる小林虎三郎、連合艦隊司令長官・ 山本五十六など、歴史上の偉人とのゆかりが深い場所です。また、「長岡まつり大花火大会」は、 日本三大花火大会として全国的な知名度を誇ります 。夏の夜空に大きく花開く「正三尺玉」や幅約2kmにも及ぶ復興祈願花火「フェニックス」は、視界に収まりきらないほどの壮大なスケール。訪れた観客を感動に包みます。

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  • 橇(そり)

    橇(そり)は人が曳いたり押したりして、荷物や人を運ぶ手橇と、馬が曳く馬橇とに大きく分けられます。手橇は古い歴史を持っていて、雪国にとってはなくてはならない民具の一つです。一方、馬橇は明治以降の新しい民具です。 手橇の最も […]
  • 雪用のカンジキ

    雪用のカンジキは、積雪量・雪質や使用目的によって形態が異なります。積雪の少ない新潟市などの海岸部では、田用と共用できるすだれ編型のカンジキが用いられました。魚沼地方などでは雪踏み用として大型のスカリやゴカリが、小型のカン […]
  • 越後古志郡二十村闘牛之図

    文政3年(1820)3月25日、鈴木牧之が滝沢馬琴の依頼で古志郡二十村(長岡市[旧山古志村]虫亀)で行なわれていた闘牛の取材に出かけた際に描いた絵図で、実に写実的に闘牛の様子を描いている。茶屋などの出店があり、多くの群衆 […]
  • 紀州本川中島合戦図屏風

    この屏風は、1992年に和歌山県で発見されました。5度にわたって行われた川中島合戦のうち、1554(天文23)年と1556(弘治2)年の両合戦を描いています。江戸時代前半に、紀州藩御三家の藩祖徳川頼宣の命で描かれたと考え […]
  • 佐渡国絵図

    1681(天和元)年に描かれた佐渡国絵図には、雑太・羽茂・加茂の三郡の村が郡ごとに色分けされていて、それらの村々を結ぶ主要な街道が赤い線で引かれています。相川・夷などの大きな町は、家並みの絵で描かれています。そのほかにも […]
  • 佐渡国金銀山敷岡稼方図

    佐渡金銀山絵巻にはいくつかのパターンがあり、数多くの絵巻が伝えられています。基本的な内容は、坑内の採鉱の様子からはじまり、様々な製錬の過程を経て小判に鋳造されるまでを描いています。本絵巻もそのような構成で描かれる1巻本で […]
  • 九条頼経袖判下文

    越後文書宝翰集(えちごもんじょほうかんしゅう)は全44巻、705通の中世古文書群です。この古文書はそのなかでもっとも古いもので、鎌倉幕府四代将軍の九条頼経が当時の色部氏の当主公長による小泉庄支配を認める内容を示しています […]
  • 鉄黒漆塗紺糸縅異製最上胴具足(伝上杉景勝所用)

    上杉謙信公のあと、家督を継いだ景勝が用いていたと伝えられる甲冑です。兜の裏側に「永禄六年八月吉日」という文字が刻まれています。このとき上杉景勝はまだ8歳でしたので、上杉謙信の時代に作られた甲冑といえます。卍の下に猪(摩利 […]
  • 日本互尊社

    日本互尊社は昭和9年(1934)、野本互尊翁|野本互尊が唱えた互尊独尊の思想を後世に伝えようと設立されました。人はいかに生きるべきか。宇宙で唯一生きている独尊と、社会で多くの人びとと一緒に生きようとする互尊の両方が大切だ […]
  • 野本互尊翁

    野本互尊(恭八郎)は、山本 五十六(やまもといそろく)をはじめ、長岡出身の人物に大きな影響を与え、陽明学者の安岡正篤とも深い親交がありました。 また、11月3日を文化の日(旧明治節)とし、富士山を国立公園とする活動をした […]
  • もみじ園

    もみじ園は、明治二十九年頃神谷の大地主、高橋家の別荘の庭園としてつくられたものである。 約四千平方メートルの敷地内には、樹令百五十~二百年のもみじや山桜・カエデ類・ツツジなど多くの植物が植えられている。 最も多く植えられ […]
  • 長谷川邸

    長谷川家は武士の出自と伝えられ、東谷の五十嵐家を頼り土着し、近世初期以降になってこの地に居を構えて、土地開発や治水事業など村の開発に貢献し、山村地主としての地位を固め、代々庄屋を勤めてきた旧家である。 幕末から明治にかけ […]