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新潟市

港町の歴史を感じる政令指定都市

新潟県の県庁所在地であり、政令指定都市にも定められる県内最大都市。県内はもちろん、甲信越地方における文化芸術や政治経済の中心地として発展してきました。新潟市には日本最長の大河・信濃川が流れ、「水の都」や「港町」として知られています。その歴史は古く、江戸時代には日本海側最大の北前船の寄港地として栄えており、信濃川を活用した水運も発達。また、当時多くの商人で賑わう交流拠点だった古町エリアは、京都の祇園、東京の新橋に並ぶ花街でした。訪れた人々を粋な芸でもてなす古町芸妓は、「みなとまち新潟」を代表する文化として、現代に受け継がれています。さらに、市内には「旧新潟税関庁舎」や「旧小澤家住宅」など、当時の歴史を伝える文化財や博物館が多く点在しています。

地域文化
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  • 北方文化博物館・本館(伊藤邸)

    蒲原平野を流れる二つの大河、信濃川と阿賀野川。その一つ、阿賀野川の左岸に位置する戸数約三百戸の集落は「沢梅(そうみ)」といい、江戸時代初期、慶長十五年(1610)より城下として栄えていました。伊藤家は、この沢梅の一農民か […]
  • 旧笹川家住宅

    この住宅の所有者であった笹川家は、安土桃山時代に信濃国水内郡(しなののくにみのちぐん)笹川村から、この味方(あじかた)の地に移住したと伝わり、昭和45年(1970)にこの地を離れるまで、14代300年以上にわたって続いた […]
  • 中野家

    わが国で「石油」が初めて歴史に登場したのは、今からおよそ1400年前の天智天皇7年(668)のことです。『日本書紀』によれば、この年「越の国から燃ゆる土、燃ゆる水が献上された」といいます。 献上地については、蒲原郡、三島 […]
  • 角田山

    巻の観光シンボルである角田山は標高481.7m、子供から老人まで容易に登れることから、県内一円から家族連れやグループがハイキング、登山にと年間十八万人の登山者で賑わう。 春は雪溶けと同時に雪割草やかたくり草の花が一面に咲 […]
  • 山谷古墳

    山谷古墳 菖蒲塚(あやめづか)古墳に先行する県内最古の古墳であるとともに、墳土下からは弥生時代後期の高地性集落も確認されており、本地域における古墳の出現過程を知るうえで重要な古墳です。   出典: 『まき四季彩 […]
  • 米百俵

    「米百俵」の精神は、明治のはじめに戊辰戦争で焼け野原になった長岡藩に、三根山藩が見舞いとして百俵の米を送ったのが始まりです。三根山藩は長岡藩牧野家の創主・牧野忠成公が、寛永十一年(1634)に四男定成公に六千石を分け与え […]
  • 鯛車(たいぐるま)

    「巻の鯛車」は、江戸時代末期頃から新潟巻地区に伝わる竹と和紙でできた郷土玩具です。全盛期の昭和初期には、子供の数だけ鯛車を作ったとも言われています。お盆の夕暮れ時に浴衣姿の子供たちが、各町内を数十台もの鯛車に明かりを灯し […]
  • 七面大明神教化(しちめんだいみょうじんきょうか)の岩穴

    妙光寺付近に大きな岩穴があり、そこに七頭一尾の悪蛇が住み土民を悩ましていた。日蓮聖人は、この悪蛇を教化に伏し、悪行を改めさせ法華経の行者を守護するとの誓いをたてさせ、以後悪蛇は身延七面山に鎮座して末法の鎮守として崇敬され […]
  • 菖蒲塚(あやめづか)古墳

    金仙寺の裏山、角田山麓竹野町丘陵にある長さ50m、高さ2mの前方後円式の古墳で国の重要文化史跡に指定されている。日本海側における古式古墳の北限とされており、保存状態も良く形は整っている。源頼政の妻あやめ御前の伝説もあり、 […]
  • 燕喜館(えんきかん)

    明治から昭和にかけて新潟を代表する大商家・斎藤邸の一部を、白山公園内に移築・再建した燕喜館。格調高い奥座敷、円弧形の地袋や欄間の細工など、贅を尽くした技もみどころ。季節を彩る庭園もみごとで、趣きの異なる各室はお茶会や華道 […]
  • 新潟市新津鉄道資料館

    新津は、信越本線、羽越本線、磐越西線の三線が交差する鉄道の要衝にあり、機関区や電務区などの現場機関も多数設置され、かつては「鉄道のまち」と呼ばれていました。 昭和58年10月14日(鉄道記念日)に開館した新津鉄道資料館は […]
  • 白根絞り

    白根絞りが特産品として大量に販売されるようになったのは、19世紀初期(こうか:弘化年間)と言われています。明治時代には、愛知県の鳴海(なるみ)絞りと大分の豊後(ぶんご)絞りと並んで日本の三大絞りに数えられ、全国的に有名で […]