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胎内市

歴史ある史跡を身近に感じるまち

新潟県北部に位置し、日本海から櫛形山脈にかけて広がる胎内市は、飯豊連峰を源流とする胎内川が流れています。砂丘地・平地・山間地といった特徴の異なる地形と肥沃な大地により、チューリップやぶどうなど、年間を通じてさまざまな特産品を生産しています。胎内市を中心に広がっていた「奥山荘(おくやまのしょう)」は、中世を代表する広大な荘園。荘域内にある城館(じょうかん)遺跡・信仰関係遺跡・生産遺跡などは、「奥山荘城館遺跡」として国の史跡に指定されています。「奥山荘歴史館」では、史跡から出土した遺物を見ることができます。また、海岸沿いの林の中に佇む「乙宝寺(おっぽうじ)」は、「今昔物語」や「古今著聞集」にも登場する歴史ある寺院。敷地内にある三重塔は、国の重要文化財です。

地域文化
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  • 郷土文化伝習館

    胎内市黒川地区の歴史・民俗資料を中心に展示しています。考古資料では、全国的にも珍しい縄文時代の完形の漆塗り水差しと、日本最北端の弥生再葬墓が出土した分谷地A遺跡を中心に展示しています。また近代では、胎内市(旧黒川村)に晩 […]
  • 地本(じもと)のミズバショウ群落

    高山湿地に自生する多年草本であるミズバショウが、標高8m、海辺より2kmの面積1.4haの地域に2万株に近い群生をなしていることは、県内における低標高自生地の代表的な例である。開花は3月下旬から4月中旬。花盛りは、4月上 […]
  • 分谷地(わけやち)A遺跡出土品 弥生時代再葬墓(さいそうぼ)出土品

    日本北限の弥生時代再葬墓。平成12年度、分谷地A遺跡弥生時代の調査では、今からおよそ2,300年前につくられた八基の再葬墓から15個体の壷や甕、石器が出土した。再葬墓とは、弥生時代前期から中期中ごろまでの短い間にみられる […]
  • 分谷地(わけやち)A遺跡出土品 縄文時代漆製品

    分谷地A遺跡は、胎内市を流れる胎内川左岸標高100メートルの熱田坂地区に位置する。調査の結果、住居、墓地、廃棄場などの遺構や植物採集に関連した多くの磨石や石皿類、狩猟に関連した尖頭器や石鏃、漁撈に関連した石錘や土錘などが […]
  • 荒川神社奉納模型和船並びに船絵馬 桃崎浜

    桃崎浜の荒川神社に奉納された模型和船は、裏日本海運界に活躍した北前船(和船)の正確な模型の雨船と日和船とよばれる二隻。雨船は明治5年(1768)の製作で全長356cm、幅78cm、高さ43cm。日和船は嘉永3年(1850 […]
  • 小林ハル

    明治33年、三条市に生まれ、生後3ヶ月で失明し、5歳でごぜに入門。日本の民俗芸能「ごぜ唄」を守り続けてきた最後の越後ごぜで、晩年は胎内やすらぎの家に住み、105歳で他界。その唄声はやさしく、威厳に満ちていた。 昭和53年 […]
  • 奥山荘城館(おくやまのしょうじょうかん)遺跡

    国指定史跡奥山荘城館遺跡は、中世東国荘園の姿を今に残すものとして、昭和59年10月3日に江上館跡(本郷町)・鳥坂城跡(羽黒)・倉田城跡(関沢)・野中石塔婆群(野中)・小鷹宮境内地(村松浜)の5地点が指定され、次いで平成6 […]
  • 奥山荘波月条絵図(おくやまのしょうなみつきのじょうえず)並びに附帯文書3通

    絵図は、三浦和田一族間の所領相論に関連して作成されたもので鎌倉末期のものと考えられているが、作成の具体的な目的や成立年代については諸説がある。紙本着色、縦30.2cm、横53.3cm、端々が破損しているが、三浦和田氏文書 […]
  • 乙宝寺三重塔附棟札(むねふだ)一枚

    この三重塔は、村上城主村上忠勝が願主となり、慶長19年(1614)起工、元和6年(1620)村上城主堀丹後守直奇のとき完成した。棟梁は京都の小島近江守藤原吉正。棟頂の九輪に、貞享年間(1684~87)の再興の刻銘がある。 […]
  • 黒川石油公園・シンクルトン記念館

    胎内市はその昔、臭水(くそうず)と呼ばれた原油が湧き出る地で日本最古の黒川油田があった場所。明治6年、英国人医師シンクルトンにより、手掘りによる採油方法が黒川の地に伝えられ、数多くの井戸が掘られた功績をたたえ、シンクルト […]
  • 飯豊(いいで)連峰

    飯豊連峰は昭和25年に磐梯(ばんだい)朝日国立公園に指定され、ほぼ南北に走る主脈には標高2,000m前後の山々が連なっています。 稜線は東面が急斜面、西面がなだらかで、チシマザサの覆うのびやかな頂陵部のいたる所に小池を点 […]