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燕市

世界に誇る金属加工技術を持つまち

越後平野のほぼ中央、県都新潟市と長岡市の中間に位置する燕市。「ものづくりの街」としての知名度が高く、金属加工において世界トップクラスの技術を誇ります。その歴史は、江戸時代初期の「和釘」から始まっています。当時信濃川の氾濫に悩まされていた農民たちは、副業として和釘を製造していました。そして江戸時代中期に、仙台の職人から鎚起銅器の技術が伝わったことで「燕鎚起銅器」が誕生。一枚の銅板を槌(つち)で打ち起こす高度な技術は、現代まで脈々と受け継がれてきました。また、全国でも珍しい「つばめ桜まつり 分水おいらん道中」が、桜前線の到来と共に開催されます。世紀の大工事「大河津分水路」に従事した人々への感謝の心で植樹された約2,600本の桜並木を、豪華絢爛な衣装に身をつつんだおいらん役が歩きます。

地域文化
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  • 八王寺大白藤

    燕市八王寺地内にある安了寺の境内では、樹齢350年の大白藤が毎年5月の上旬から中旬にかけて満開になり、数え切れないほど連なる純白の花と香りは息をのむほどの美しさです。 出典:『つばめいいとこ巡り』(燕市観光ガイド) 提供 […]
  • 酒呑童子伝説

    その昔、桓武天皇の皇子が流罪となり、この地へ来たとき、従者であった砂子塚の城主石瀬俊綱が子宝に恵まれなかったため、信州戸隠山に祈願したところ、妻が身ごもり16ヶ月後に男児が生まれ、外道丸と名付けられた。 外道丸は大きくな […]
  • 酒呑童子行列

    燕市砂子塚で生まれたとされる伝説の鬼「酒呑童子」を守護神とした『越後くがみ山酒呑童子行列』は、参加者がそれぞれの願いをこめて「鬼面」を創作し、当日は鬼に扮して国上山を練り歩き、縁結びの神「酒呑童子神社」で満願成就を祈願す […]
  • 分水おいらん道中

    春、桜前線が到来すると、大河津分水路堤防にソメイヨシノが一斉に咲き誇ります。その川の流れと桜の美しさは例えようもなく、日本さくら名所百選の一つとして有名です。 その満開の桜並木の下で、信濃・桜・分水の三太夫が絢爛豪華な衣 […]
  • 鎚起銅器

    燕地方の銅器業は、江戸時代中期に、仙台の渡り職人がその技術を伝えたところから始まったとされています。地元の間瀬銅山から採れた銅を用いて、やかん類が生産されていました。明治維新後は各地との技術交流が盛んとなり、彫金技術を含 […]
  • 煙管「キセル」

    煙管の産業が始まったのは江戸中期で、会津と江戸からその技術が導入されました。煙管には、「羅宇(らう)煙管」と「延(の)べ煙管」があり、前者は火皿がついている雁首と呼ばれる部分と吸口を羅宇(ラオスの竹という意)で継いでいる […]
  • 大河津分水(おおこうづぶんすい)

    穏やかな水面をたたえて流れる日本一の大河、信濃川。母なる川とも呼ばれるこの大河はかつて、大洪水を頻繁に引き起こす暴れ川として脅威をもたらしていました。信濃川の治水は人々にとって悲願とも言えるものだったのです。 その治水対 […]
  • 乙子神社草庵(おとごじんじゃそうあん)

    五合庵の老朽化と朝夕の山坂の登り下りが老身にこたえ、良寛は文化13年(1816年)から約10年、ここ乙子神社社務所に移り住みました。以来、誰いうともなく乙子神社草庵と呼ぶようになりました。 出典:『つばめいいとこ巡り』( […]
  • 五合庵

    越後に戻った良寛が寛政5年(1793年)ころから約20年過ごした庵。もとは国上寺本堂を再建した客僧萬元上人が住んでいた庵で、五合庵の名は萬元上人が毎日米五合を給されていたことに由来して付けられました。 良寛はここで托鉢に […]
  • 国上寺(こくじょうじ)

    国上山の中腹にある真言宗の寺院で、和銅2(709)年創建の県内最古の名刹です。境内には本堂のほか、客殿、六角堂、大師堂、一切経蔵、鐘楼堂、宝物殿などの重厚な建造物が建ち並び、酒吞童子はこの寺の稚児であったという伝説もあり […]
  • 千眼堂吊り橋

    朝日山展望台と五合庵とを結ぶ長さ124メートルの吊り橋。ひときわ鮮やかな深紅の橋梁が緑の山に美しく映え、「新潟の橋50選」にも選ばれています。 出典:『つばめいいとこ巡り』(燕市観光ガイド) 提供元:一般社団法人燕市観光 […]