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域文化 データベース

新潟の歴史文化

文化財や寺社仏閣などの伝統的な建造物、新潟に縁のある偉人などを紹介します。

地域文化
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  • 見玉山 正宝院(けんぎょくさん しょうほういん) 見玉不動尊(みだまふどうそん)

    町内の見玉にある、天台宗のお寺です。その由来は、文治元年、檀の浦の合戦で平家が滅びた翌文治二年、平清盛の家臣宮本木与左ェ門がお告げによって平家の守護神である不動明王を捧持して見玉村にいたって安置し、自ら初代住職となって正 […]
  • 松平忠輝

    徳川家康の六男として生まれ、はじめ家康に遠ざけられましたが、やがて取り立てられて長沢松平家を継ぎ、武蔵国深谷(1万石)、下総国佐倉(5万石)、信濃国川中島(12万石)、そして越後国福島(45万石~75万石まで所説あり)へ […]
  • 親鸞聖人

    承元元年(1207)専修念仏禁止の弾圧により、35才のとき越後国府(現在の直江津)へ流罪となる。赦免されるまでの越後での生活はほとんど明らかになっていないが、この間に恵信尼と結婚、信蓮房が誕生する。現在の国府別院の地・小 […]
  • 岩屋堂観音堂

    8世紀頃、北陸地方で活躍していた泰澄大師(たいちょうたいし 西暦683~767年)が創建。鎌倉時代には、執権・北条時頼も訪れ、その霊験にあやかり、越後三十三ヶ所観音霊場の第一番札所としました。また、戦国期には上杉氏に信仰 […]
  • 金銅虚空蔵菩薩懸仏

    鏡板径15.1センチメートル、像高5.7センチメートルの菩薩像を表す小形の懸仏で、五十君神社の社殿内に安置されている懸仏です。同社の本地仏と思われます。 本地仏とは、仏教の広まりと、共に発生した神仏習合の思想によるもので […]
  • 石造仏頭

    堂百地蔵宮の堂内に石造りの仏頭3個が安置されています。尊名は、中央が阿弥陀如来、向かって左が観音菩薩、向かって右が地蔵菩薩と伝えられています。 阿弥陀如来頭部は全高73センチメートル、観音菩薩頭部は全高71センチメートル […]
  • 深鉢形土器

    縄文時代中期に作られたもので、信濃川流域特有の土器で、炎をイメージさせる形をした土器です。頸城区の塔ヶ崎遺跡から出土したもので、上越市での出土例は少なく貴重なものです。 出典: 『上越観光ネット』 提供元:上越市観光企画 […]
  • 大日如来座像

    本像は、普泉寺の大日堂に安置されています。頭上に宝冠をいただき、両手で定印(じょういん:手をへその下で重ねる形)を結ぶ、胎蔵界大日如来です。「清里村史」によると、もと東山寺の山寺三千坊の一つ、天台宗仏性寺のものであったと […]
  • 菅原古墳

    菅原古墳群の最南端で菅原神社境内にある唯一の前方後円墳です。古墳群は、古文書などによると江戸時代に用水の積石に使用され、さらに太平洋戦争中に食糧増産のため大部分が破壊されました。 出典: 『上越観光ネット』 提供元:上越 […]
  • 浄興寺と寺町界わい

    親鸞聖人が常陸国(茨城県)で『教行信証』を著した寺で、正式には歓喜踊躍山浄土真宗興待寺といい、親鸞が自ら略して浄興寺といいました。川中島合戦で焼失し、その後、上杉謙信公により当地に移りました。国指定文化財の本堂や、聖人の […]
  • 五智国分寺

    奈良時代の国分寺がどこにあったかは現在でもはっきりとは分かりません。現在、直江津にある五智国分寺は永禄5(1562)年に上杉謙信公が再興したと伝えられ、江戸時代には幕府から厚い保護を受けていました。本堂は平成9(1997 […]
  • 居多神社

    天国主命・奴奈川姫(ぬなかわひめ)・建御名寿名を祀り、越後一宮とも呼ばれる延喜式内社。代々、国司の厚い保護を受けてきました。親鸞聖人も上陸の際に一番に参ったといわれ、聖人にまつわる越後七不思議の第一番「片葉葦」が群生して […]