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域文化 データベース

新潟の歴史文化

文化財や寺社仏閣などの伝統的な建造物、新潟に縁のある偉人などを紹介します。

地域文化
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  • 北方文化博物館・新潟分館

    長岡在の大事業主、清水常作氏の別宅として明治二十八年(1895)に建てられました。出雲崎町尼瀬の西山油田の掘削によって財をなした清水氏は、それを元手に水力発電をはじめとする各種事業を手がけ、後には越後鉄道の敷設にも尽力し […]
  • 北方文化博物館・本館(伊藤邸)

    蒲原平野を流れる二つの大河、信濃川と阿賀野川。その一つ、阿賀野川の左岸に位置する戸数約三百戸の集落は「沢梅(そうみ)」といい、江戸時代初期、慶長十五年(1610)より城下として栄えていました。伊藤家は、この沢梅の一農民か […]
  • 旧笹川家住宅

    この住宅の所有者であった笹川家は、安土桃山時代に信濃国水内郡(しなののくにみのちぐん)笹川村から、この味方(あじかた)の地に移住したと伝わり、昭和45年(1970)にこの地を離れるまで、14代300年以上にわたって続いた […]
  • 郷土文化伝習館

    胎内市黒川地区の歴史・民俗資料を中心に展示しています。考古資料では、全国的にも珍しい縄文時代の完形の漆塗り水差しと、日本最北端の弥生再葬墓が出土した分谷地A遺跡を中心に展示しています。また近代では、胎内市(旧黒川村)に晩 […]
  • 分谷地(わけやち)A遺跡出土品 弥生時代再葬墓(さいそうぼ)出土品

    日本北限の弥生時代再葬墓。平成12年度、分谷地A遺跡弥生時代の調査では、今からおよそ2,300年前につくられた八基の再葬墓から15個体の壷や甕、石器が出土した。再葬墓とは、弥生時代前期から中期中ごろまでの短い間にみられる […]
  • 分谷地(わけやち)A遺跡出土品 縄文時代漆製品

    分谷地A遺跡は、胎内市を流れる胎内川左岸標高100メートルの熱田坂地区に位置する。調査の結果、住居、墓地、廃棄場などの遺構や植物採集に関連した多くの磨石や石皿類、狩猟に関連した尖頭器や石鏃、漁撈に関連した石錘や土錘などが […]
  • 荒川神社奉納模型和船並びに船絵馬 桃崎浜

    桃崎浜の荒川神社に奉納された模型和船は、裏日本海運界に活躍した北前船(和船)の正確な模型の雨船と日和船とよばれる二隻。雨船は明治5年(1768)の製作で全長356cm、幅78cm、高さ43cm。日和船は嘉永3年(1850 […]
  • 小林ハル

    明治33年、三条市に生まれ、生後3ヶ月で失明し、5歳でごぜに入門。日本の民俗芸能「ごぜ唄」を守り続けてきた最後の越後ごぜで、晩年は胎内やすらぎの家に住み、105歳で他界。その唄声はやさしく、威厳に満ちていた。 昭和53年 […]
  • 奥山荘城館(おくやまのしょうじょうかん)遺跡

    国指定史跡奥山荘城館遺跡は、中世東国荘園の姿を今に残すものとして、昭和59年10月3日に江上館跡(本郷町)・鳥坂城跡(羽黒)・倉田城跡(関沢)・野中石塔婆群(野中)・小鷹宮境内地(村松浜)の5地点が指定され、次いで平成6 […]
  • 奥山荘波月条絵図(おくやまのしょうなみつきのじょうえず)並びに附帯文書3通

    絵図は、三浦和田一族間の所領相論に関連して作成されたもので鎌倉末期のものと考えられているが、作成の具体的な目的や成立年代については諸説がある。紙本着色、縦30.2cm、横53.3cm、端々が破損しているが、三浦和田氏文書 […]
  • 乙宝寺三重塔附棟札(むねふだ)一枚

    この三重塔は、村上城主村上忠勝が願主となり、慶長19年(1614)起工、元和6年(1620)村上城主堀丹後守直奇のとき完成した。棟梁は京都の小島近江守藤原吉正。棟頂の九輪に、貞享年間(1684~87)の再興の刻銘がある。 […]
  • 中野家

    わが国で「石油」が初めて歴史に登場したのは、今からおよそ1400年前の天智天皇7年(668)のことです。『日本書紀』によれば、この年「越の国から燃ゆる土、燃ゆる水が献上された」といいます。 献上地については、蒲原郡、三島 […]