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  • 貞心尼草庵・歌碑

    晩年の良寛を支えた貞心尼は長岡藩士の娘として生まれ、17歳で小出の医師に嫁ぎます。しかし、離縁され、まもなく出家。その後、古志郡福島村(現長岡市)の草庵(閻魔堂)に住みました。今はその跡が残るだけですが、草庵近くには「朝 […]
  • 馬高・三十稲場遺跡

    馬高・三十稲場遺跡は関原の南方に発達している信濃川左岸の河岸段丘上に小さな沢をはさんで東に馬高、西に三十稲場とわかれて所在しています。 馬高は火焔土器を出土した県内最大級の縄文中期の集落址でその規模は東西で150m、南北 […]
  • 藤橋歴史の広場

    藤橋遺跡は、信濃川中流域の河岸段丘上に所在する縄文時代後期から晩期に至る集落跡です。住居跡や土壙等多数の遺構と越後・会津地方の標式とされる藤橋式土器(晩期)・石鏃・板状石器・石斧等の多種の石器等の遺物の他、ヒスイ、その他 […]
  • 悠久山公園

    市民から「お山」の愛称で親しまれている悠久山公園は、この地をこよなく愛した長岡藩3代藩主牧野忠辰(ただとき)が佐渡の杉苗をはじめ、松や桜などを植えて育てられたのが始まりと言われています。さらに9代藩主牧野忠精(ただきよ) […]
  • 国営越後丘陵公園

    全国で13番目、日本海側初の国営公園で、平成10年健康ゾーンの一部47ヘクタールが開園しました。巨大な植栽迷路やトリム遊具が楽しめる「緑の千畳敷」や、音楽噴水や水遊びを楽しむ「越の池」さらに「フォーリーの丘」や「展望台」 […]
  • 千秋が原ふるさとの森

    花と緑に恵まれた敷地内には、ハイブ長岡(産業交流会館)、県立近代美術館、リリックホールなど文化施設がある他、花の広場、緑の広場などがあり、常に多くの人で賑わいをみせています。 出典: 『長岡市ホームページ』 提供元:長岡 […]
  • 雪国植物園

    この植物園は西部丘陵地帯に大植物園を造ろうという構想を支援する「平成令終会」によって活動がはじまり、昭和59年から、延べ3000人の市民ボランティアが参加して造成されました。雪国の里山をそっくり利用し、高山植物、外来植物 […]
  • 米百俵まつり

    秋の収穫を祝い、長岡の教育の原点「米百俵の精神」を伝えるお祭りです。越後長岡時代行列のほか、子供たちが楽しく「米百俵の精神」を学べる体験国漢学校など楽しいイベントが催されます。  出典:「長岡市ホームページ」 提供元:長 […]
  • 金峯神社の流鏑馬

    馬を駆せながら的を射る競技を「流鏑馬」と言います。7月15日の金峯神社の大祭に流鏑馬が行われるようになったのは、いつの時代か定かではありませんが、源義家が奥州討伐の勅命をうけ、北国街道下降に際し、朝敵降伏を祈願して社前に […]
  • 長岡大花火

    長岡まつり大花火大会は、長岡市で毎年8月2日と3日に開催されます。長岡空襲の犠牲者の慰霊と復興に尽力する人たちへの感謝と恒久平和の願いを込め花火を打ち上げます。 正三尺玉とナイアガラ 正三尺玉は大正15年に長岡で初めて打 […]
  • 長岡まつり

    【長岡まつりのはじまり】 長岡まつりの前身は、長岡空襲の翌年に開催された「長岡復興祭」です。 昭和20年8月1日の夜、B29大型爆撃機の来襲により、一夜で市街地の約8割が焼野原へと変貌し、1,488名の尊い命が奪われまし […]
  • 大森子陽の墓(おおもりしようのはか)

    寺泊駅近くの当新田の万福寺という寺に、良寛が少年時代に学んだ狭川(きょうせん)塾の師、大森子陽の墓があります。三十九歳で郷本の空庵に帰ってきた良寛は、何よりも先に子陽の墓に詣でています。その大森家墓地に良寛の詩碑が建てら […]