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  • 聖籠山宝積院(ほうしゃくいん)

    緑丸の菩提のために、天平9年(737年)泰澄大徳が彫刻したものといわれる十一面観世音菩薩と二王尊を納め祀ってあるのが宝積院の観音堂と二王門。新発田城主初代溝口秀勝候が聖籠山観音寺を深く信仰され、慶長13年(1608年)7 […]
  • 緑丸伝説

    むかし、百合若という若者が、いくさの途中嵐に遭い、島(現在の聖籠観音の森)に流れつき、その島で出会ったかしこい鷹を『緑丸』と名付けてかわいがりました。百合若は「都に帰りたい、迎えに来て欲しい」という手紙を緑丸に持たせ、故 […]
  • 八王寺大白藤

    燕市八王寺地内にある安了寺の境内では、樹齢350年の大白藤が毎年5月の上旬から中旬にかけて満開になり、数え切れないほど連なる純白の花と香りは息をのむほどの美しさです。
  • 酒呑童子伝説

    その昔、桓武天皇の皇子が流罪となり、この地へ来たとき、従者であった砂子塚の城主石瀬俊綱が子宝に恵まれなかったため、信州戸隠山に祈願したところ、妻が身ごもり16ヶ月後に男児が生まれ、外道丸と名付けられた。 外道丸は大きくな […]
  • 酒呑童子行列

    最強の鬼「酒呑童子」。 誕生伝説の残る燕市では、9月の最終日曜日に酒呑童子が現れ、鬼軍団を率いて練り歩きます。そして、国上の地に集まる人々の『様々な縁結び』と『子どもの成長』を祈願します。会場は、道の駅SORAIRO国上 […]
  • 分水おいらん道中

    春、桜前線が到来すると、大河津分水路堤防にソメイヨシノが一斉に咲き誇ります。その川の流れと桜の美しさは例えようもなく、日本さくら名所百選の一つとして有名です。 その満開の桜並木の下で、信濃・桜・分水の三太夫が絢爛豪華な衣 […]
  • 鎚起銅器

      燕の鎚起銅器は、江戸時代中期に、仙台の渡り職人がその技術を伝えたところから始まったとされています。近隣の間瀬銅山から採れた銅を用いて、やかん類が生産されていました。明治維新後は各地との技術交流が盛んとなり、 […]
  • 煙管「キセル」

    煙管の産業が始まったのは江戸中期で、会津と江戸からその技術が導入されました。煙管には、「羅宇(らう)煙管」と「延(の)べ煙管」があり、前者は火皿がついている雁首(がんくび)と呼ばれる部分と吸口を羅宇(ラオスの竹という意) […]
  • 大河津分水(おおこうづぶんすい)

    穏やかな水面をたたえて流れる日本一の大河、信濃川。母なる川とも呼ばれるこの大河はかつて、大洪水を頻繁に引き起こす暴れ川として脅威をもたらしていました。信濃川の治水は人々にとって悲願とも言えるものだったのです。 その治水対 […]
  • 良寛

    出雲崎の名主の長男として大切に育てられた良寛は、豊かな感受性を純真さから、世の中の不条理やはかなさを嘆き、名主見習いの役を辞職したと推察されています。 しかし、出家してからも家族への温かい想いは変わらず、名主を継いだ後、 […]
  • 乙子神社草庵(おとごじんじゃそうあん)

    五合庵の老朽化と朝夕の山坂の登り下りが老身にこたえ、良寛は文化13年(1816)から約10年間、五合庵より下に位置する乙子神社社務所に移り住みました。ここでの10年間の生活は、良寛芸術の最も円熟したときであったといわれて […]
  • 五合庵

    国上寺の僧侶たちの4つの塔頭(たっちゅう)のひとつで、国上寺を再興した萬元上人(ばんげんしょうにん)のための庵として作られました。1797年、良寛40歳の頃からおよそ20年間過ごしました。国上山の中腹に位置しており、座禅 […]