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  • 三条市歴史民俗産業資料館

    この資料館はもともと武徳殿(ぶとくでん)として、昭和10年にできた建物です。武徳殿とは武道鍛錬の場として戦時中に日本各地で建設されたものです。市民の要望もあり、市制施行(昭和9年)を機に建設計画が持ち上がりました。鈴木荘 […]
  • もみじ園

    もみじ園は、明治二十九年頃神谷の大地主、高橋家の別荘の庭園としてつくられたものである。 約四千平方メートルの敷地内には、樹令百五十~二百年のもみじや山桜・カエデ類・ツツジなど多くの植物が植えられている。 最も多く植えられ […]
  • 長谷川邸

    長谷川家は武士の出自と伝えられ、東谷の五十嵐家を頼り土着し、近世初期以降になってこの地に居を構えて、土地開発や治水事業など村の開発に貢献し、山村地主としての地位を固め、代々庄屋を勤めてきた旧家である。 幕末から明治にかけ […]
  • 上杉謙信公

    戦国時代の雄将、上杉謙信公は幼名を虎千代、元服して景虎、出家して僧名を謙信、不識庵とも号した。上杉姓を名のるのは、上杉憲政のあとをつぎ、関東管領職となってからである。 謙信公は父為景の没後14歳の時、中越地方鎮撫のため栃 […]
  • 栃尾城跡

    栃尾城跡(県指定文化財) 市街地の西方に天高く城型のシルエットを描いているのが栃尾城のおかれた鶴城山(227m)である。市内に20を超える砦(支城)が築かれ、消長を遂げてきたが、これらの中心(本城)をなした。南北朝時代の […]
  • 道院高原と守門岳

    標高1,538mの袴岳を主峰に青雲岳、大岳、中ツ又岳が一大山系を構成する越後屈指の名峰「守門岳」は、たおやかな山容と豊かな自然が人気を集め、シーズンには、県内はもちろん首都圏など県外からの登山者で賑わいます。守門岳の中腹 […]
  • 杜々の森名水公園

    栃尾地域南部の西中野俣地区にある杜々の森は、昔から神の棲む霊地として村人に敬われてきました。この森は、水源涵養林や干害防備林として保護され、今も、ブナやホオノキ、ケヤキなどの古木が群立し、鬱蒼とした森ではアオバズクやブッ […]
  • 常安寺

    父、長尾為景の命により、中越鎮撫のため栃尾城に入城した上杉謙信公は、当時、栃尾にあった名刹「瑞麟寺(ずいりんじ)」五世門察和尚の薫陶をうけ、正義を重んずる清廉な人格を形成されました。天文16年(1547年)8月、すでに越 […]
  • 来伝天神合格祈願祭

    長岡市上来伝の菅原神社は、通称「来伝天神」といわれ、学問の神「菅原道真公」をお祭りした神社として、受験生や保護者の参拝が絶えません。来伝の地名の由来は、室町時代、この地の水利の便のよい点に着目して開墾に着手した日に落雷が […]
  • とちお祭

    栃尾の夏祭り”とちお祭”は、8月下旬盛大に開催されます。1日目には、幼稚園児や小学生のかわいらしい踊りや演奏が披露される「オープニングイベント」や、夜には、「みこし渡御」、市民総出の「大民踊流し」がおこなわれ、栃尾甚句に […]
  • 秋葉の火祭り

    火伏せの神として、全国に信者を持つ秋葉三尺坊威徳大権現の火祭り。栃尾は秋葉三尺坊行法成就の地であり、三尺坊は日本総廟の称号を冠せられています。三尺坊は、もとは信州戸隠の人であったといわれますが、越後蔵王堂(現在の長岡市栃 […]
  • 南部神社百八灯

    長岡市森上(もりあげ)の南部神社は、奥州盛岡の地から勧請されたといわれています。森上には、南北朝の動乱期に、後に南朝方の総帥となる新田義貞が鎌倉幕府打倒をめざして上野国で挙兵したとき、早速、二千の兵を率いて駆けつけた越後 […]