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地域文化
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  • ほくほく線

    豪雪で名高い東頸城、中でも記録に残る豪雪地、松代・松之山、山間僻地の山村は1度雪が降ると陸の孤島と化し、生鮮食料や郵便物等の全てが人力徒歩に頼り、病人は民間治療に頼らざるを得なく30km~40kmの雪道、吹雪や雪崩に気を […]
  • 笹ずし

    上杉謙信公が柿崎城から枇杷島城(びわじまじょう)へ行く途中、農村に立ち寄った際に笹の葉を利用し、あり合わせの山菜などをご飯にのせて供されたのが、今日の笹ずしの由来と言われている。 出典:『柏刈地域の食の歳時記』 提供元: […]
  • 三階節

    お盆がくると「三階節」に合わせて、夜毎太鼓の音が響き、大勢の人たちが盆踊りを楽しむ。この三階節の起源については諸説あるが、歌詞の中に柏崎、刈羽地方の名所、名物、行事を名文句300種で歌い上げ、三階節の名を上げている。 地 […]
  • 米山講

    江戸時代中頃から稲の虫よけと豊作祈願を中心とした米山の作神信仰が広がり、各地で米山講が組織された。田植え後の六月中旬から七月一日頃に代参者を出し、米山山頂の薬師堂を拝し、黒札と呼ばれる稲虫よけの護符とトウキ(せり科の薬草 […]
  • 星と森の詩美術館

    星と森の詩美術館は1996年秋、株式会社 丸山工務所の企業メセナとして”街にゆとりとうるおいを”の理念のもと、郷土にゆかりの深い作家である星襄一の木版画・二科会会員藤巻秀正の彫刻・人間国宝天田昭次の刀剣など、収蔵作品の企 […]
  • 桃林創始者塚田翁の碑

    塚田源太夫は独特の甘みで知られる「砂丘桃」の栽培を広めた先駆者。行商先で桃の 栽培には砂丘地が適することを知り、苦労の末に荒れ地を開墾して桃畑にしたのが始 まりです。最盛期の大正時代には上越や長野に出荷するまでになり、村 […]
  • 玉泉寺

    江戸時代には京都村雲御所(寺跡寺院)の御用を仰せつかっていた寺で、当時の乗り物だった緋網代の駕籠(村指定文化財)、上杉謙信公ゆかりの妙見仏像(北辰菩薩)が納められています。 出典:『2003年 村勢要覧 刈羽エナジー』 […]
  • 宝蔵寺

    同第五番札所。上杉景勝が国替えになった際、観音菩薩と如来像を乗せた舟が動かず、宝蔵寺に安置したという逸話があります。 出典:『2003年 村勢要覧 刈羽エナジー』 提供元:刈羽村役場 農政商工課 画像提供元:刈羽村総務課
  • 常楽寺

    この寺は、越後霊場三十三ヵ所第六番の札所です。札所というのは、鎌倉時代に北条時頼が諸国を巡回したときに立ち寄って祈願した観音さまが安置されているところを、道すじによって決めたものといわれています。本尊は行基の刻んだ国宝級 […]
  • 真人ムジナの伝説

    約百七八十年前の事若栃部落の作物を荒しまわり人間をばかし夜道をまどわかし岩壁の谷に落しワキの下から生血をすいとり葬式の行列をまねて人間を追いまわし興の中からゆうれいを引出す等帰宅死亡した人もあり時々真人山地八ヶ部落民を火 […]
  • 日本互尊社

    日本互尊社は昭和9年(1934)、野本互尊翁|野本互尊が唱えた互尊独尊の思想を後世に伝えようと設立されました。人はいかに生きるべきか。宇宙で唯一生きている独尊と、社会で多くの人びとと一緒に生きようとする互尊の両方が大切だ […]
  • 野本互尊翁

    野本互尊(恭八郎)は、山本 五十六(やまもといそろく)をはじめ、長岡出身の人物に大きな影響を与え、陽明学者の安岡正篤とも深い親交がありました。 また、11月3日を文化の日(旧明治節)とし、富士山を国立公園とする活動をした […]